村岡城跡
所在 藤沢市村岡東3丁目
交通 JR東海道本線藤沢駅よりバス高谷小学校入口下車
歴史 村岡城は坂東八平氏(千葉・上総・三浦・土肥・秩父・大庭・梶原・長尾氏)
の祖と知られる平良文の居城跡といわれる。築城年代は良文が村岡郷に
荘園を開き村岡五郎と名乗った平安時代の中頃(10世紀後半)といわれる。
因みに良文は桓武天皇の曽孫高望王の五男にあたる。
鎌倉幕府成立以後の村岡は鎌倉への交通の要所となり、元弘3年(1333)
新田義貞による鎌倉攻めの際に激戦地になったのをはじめ、室町・戦国時
代を通して幾たびか戦禍にさらされたという。ただ当時の城の役割・歴史、歴
代城主など詳しい事は不明な点が多い。
村岡城址石碑
城跡は現在公園に
一言 場所は藤沢市を一望する高台の住宅地に位置する。周辺は開発が進み、城跡
自体も現在公園となっており、ただ公園の片隅に東郷平八郎元帥の筆になる石
碑を残すのみで、その遺構は確認できなかった。
良文の居館跡と伝える地は埼玉県熊谷市村岡にもあるが、この藤沢市村岡周
辺にはこの村岡城跡をはじめとしてニ伝寺境内に伝わる良文の墓、良文が将
門の乱鎮定にあたって勧請したと伝えられる御霊神社等、数多くの史跡が残っ
ている。
(俵平太様からの情報により記事訂。なお、俵さんのページには村岡氏と村岡城跡に関する更なる情報・大きな画像があります!)