小机城跡

所在  神奈川県横浜市港北区小机町

交通  JR横浜線小机駅より徒歩15分

歴史  正確な築城の年代は不明であるが、この近辺が開けはじめた

     十二世紀頃には存在したと考えられている。その後、この城の

     西方の榎下城が上杉氏の勢力下に置かれていたことから小机

     城も、上杉氏の属城であったと考えられる。

     文明8年(1487)、山内上杉氏の家臣長尾景春が家督争いに

     乗じて叛乱を起こした際、時の城主矢野兵庫助は景春に味方し、

     上杉方の太田道灌の軍と対陣した。城は文明10年(1489)に

     落城。

     上杉氏もやがて北条早雲に追われ、約40年間廃城となっていた

     が大永4年(1524)、一族の北条氏尭を配し笠原越前守信為を

     城代とし、再興した。

     天正18年(1590年)、小田原の役にて落城。その後、徳川家の

     家臣弥次平衛重政が入城したが、近くの台村に居を移したことか

     ら廃城となった。

       小机城遠望

       本丸?広場

       二の丸?広場

 一言  太田道灌が小机城を攻めたとき、攻めあぐねる味方に対し

      「小机は まず手習いの はじめにて いろはにほへと ちり

      ぢりになる」との歌を詠んで励ましたという。

      現在城跡は『小机市民の森』となって整備されているが、車

      で行った私達は何処に車を止めていいやら、登るのやら解

      からず右往左往してしまった。

      小机城自体には本格的な遺構調査が行われていないらしく、

      本丸・二の丸についてどちらがそうなのか判明していないと

      いう事だった。城跡にはこの2つの他、曲輪跡・土塁・空掘・

      虎口跡が残る。遺構はよく残っている方だが、JR横浜線と

      京浜道路が交差するところにあり、建設の為に破壊がなされ

      たのでないか。

      遠くには近代的な建設物、横浜国立球技場が望め、鬱蒼と

      した森(城跡)とのアンバランスさもなかなか乙なものである。

      但し、竹やぶがあるせいか蚊が多い!蚊に悩まされる事の

      ない様、夏場の訪問には充分な対策を。

       小机城空掘跡

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