衣笠城跡
所在 横須賀市衣笠町
交通 JR横須賀線衣笠駅より徒歩20分
歴史 前九年の役の戦功で相模国三浦郡を与えられた平為通が康平五年(
1063)に築城、為通は三浦氏を名乗り三浦氏の初代となる。
四代義明の時には衣笠城を本城として一族が三浦半島各所に支城を設
け、その守りを固めていた。
治承四年(1180)八月、源頼朝が挙兵した時、義明は援軍を送ったが、
頼朝軍は敗れ房総に逃れる。勢いに乗じた平家側の畠山重忠・河越重
頼ら秩父一党の軍勢3000余騎に攻められ落城。落城時、義明はその
子義澄・義連らを房総に落ちさせ、八十九歳の老身ながらも果敢に城外
に討って出て華々しく戦い、ついに討死したという。房総に逃れた義澄・
義連はその後、鎌倉幕府樹立に尽力、重臣の列に名を連ねることになる。
のちの宝元年(1247)に廃城。
衣笠城跡石碑
城跡は現在広場に
一言 城跡の本丸跡は大善寺の裏手の斜面にあたる。平安時代から鎌倉時代
にかけて利用された城にしては、土塁・曲輪・空掘等よく旧態を止めている。
また、最高所には当時も使われていたと思われる物見岩が今も残り、大正
8年の発掘調査ではその岩の下より経筒が発見されたという。
衣笠城土塁跡
城跡の前にある大善寺