葛西城跡
所在 東京都葛飾区青戸
交通 京成線青戸駅より徒歩10分
歴史 正確な築城年代については不明だが、室町年間には岩付城の出城と
して太田氏により治められていた。
その後、後北条氏侵出によりその支配下に収まる。しかし、その統治は
安定したものではなく、永禄四年(1561)に越後の長尾景虎(後の上杉
謙信)の小田原城攻めの折、近辺の城と同様に長尾軍に呼応する。
だが、長尾軍は小田原包囲後、その不利を悟ると、鎌倉で関東管領職を
譲り受け越後に撤退してしまう。そこから北条氏の反撃が始まる事となり、
翌永禄五年(1562)4月に北条氏康により再び城は北条氏の手に落ちる。
その2年後、葛西城より東方3kmに地点にある国府台城付近で里見氏
と北条氏が激突する。葛西城は北条氏の前衛基地として機能していたと
いわれるが、後の天正年間の家康関東入府の折に廃城になったといわれる。
葛西城跡公園入口
現在は公園として名を残すのみ
一言 戦国時代当時、東京湾は今より北に食い込んでおり、葛西城付近は幾つ
もの川が複雑に流路をとる水郷地帯で、人跡も多くまた房総に通じる要衝
だった。だが、湾は埋めたてられ、川の水路は整備されてその面影は全く
ない。なにより城跡は幹線道路の環状7号線・国道6号線、また宅地化に
より完全に破壊されており、現在は城跡の近く建つ公園に名を残すのみで
ある。