浄福寺城跡
所在 東京都八王子市下恩方町
交通 JR八王子駅よりバス松竹橋下車
歴史 浄福寺城は室町時代の中期に大石氏によって築城されたとされる。
大石氏は信濃国大石郡に所領を有していたが、五代義任の頃に
武蔵に所領を得、山内上杉氏に従い武蔵西部を統治した。
その後九代憲儀の時には最盛期を迎え、武蔵多摩郡西部のほか入
間郡・高麗郡・新座郡・児玉郡等の各地を治めていたが、十三代定久
の時に相模から進出してきた後北条氏に領地を侵食され、遂にその
家督も北条氏照に譲ることになる。
浄福寺城も北条氏に接収され、天正年間にはここより南2kmに築か
れた八王子城の出城として使用されたとれる。しかし、天正18年(15
90)の豊臣軍八王子城攻めにより浄福寺城も落城、廃城処分となった。
浄福寺遠望
城跡前に建つ浄福寺
一言 城跡は大石氏が再建した浄福寺の裏山に当たるところにあるところから
『浄福寺城』と呼ばれているが、その他にも『新城』『案下城』『松竹城』『千
手山城』とも呼ばれる。
標高360m・比高150mの典型的な山城であり、登城口は寺に向かって
左手にある。最初に大きな削平地があり、そこには現在祠が奉ってあるが、
当時はここが出丸であったのではないか。その後は山の尾根伝いに登る
事になるが、途中曲輪・堀切等が確認出来る。本丸には廻りに石を置いた
小さな祠が残るのみであるが、本丸に沿う様に残る帯曲輪が確認できた。
城跡を訪れる人は殆どなく、昼間でも鬱蒼と茂った木々に光が遮られ薄暗
い。
最初の削平地にある祠(出丸?)
本丸跡
本丸付近の帯曲輪跡
麓の寺から徒歩20分弱だが、後半の坂がキツかった...。