深大寺城跡
所在 東京都調布市深大寺
交通 京王線調布駅よりバス深大寺下車
歴史 正確な築城年代は不明であるが、天文六年(1537)川越城主扇
谷上杉朝定が相模より進出してた小田原北条氏の北進を阻止すべ
く、家臣の難波田弾正に命じてこの地にあった古城を修築したとされ
る。
当時、扇谷上杉氏は高輪原の戦い(港区高輪)にて北条氏に敗北し、
さらには江戸城を奪われていた事から、この深大寺城を前衛基地に
して川越城領地への侵出を防ごう考えた、と推測出来る。
同年7月6日、それに対し北条氏の軍勢はこの深大寺城を無視して
直接川越城を攻めるという挙に出た。難波田ら城兵は急ぎ川越へと
兵を進め、深大寺城での攻防はなかったとされるが、一方では深大
寺城の攻城戦を伝える古文書も残っている。
その後、城は北条氏の手に落ちたが、その存在価値を見出せなくな
ってしまい廃城となったと考えられる。
本丸跡にある石碑
整備された土塁
一言 城跡は天平5年(733年)創建された白鳳仏を安置する古刹深大寺
の南に位置する水生公園の一角に残る。城跡の名の由来もこの深大
寺からきている。
現在、公園として整備され、一の郭本丸広場跡のほか、空掘・土塁・
建物跡・物見台跡が残っている。
深大寺城は3つの郭で形成されていたが、現在残るのは一の郭のみ
でここより西側のテニスコート付近が2の郭、さらにその西側が3の郭
跡とされる。本丸の北東側が水生公園であり、現在も湿地帯となって
おり、築城者も敵の侵入を防ぐ役目を想定したのであろう。本丸へは
比高も20m位なので難なく行ける。
北東は水生公園として湿地帯となっている
城跡北側に残る深大寺