一宮城跡
所在 寒川町一之宮
交通 JR相模線寒川駅下車徒歩5分
歴史 一宮城跡は鎌倉時代の侍所の別当として権勢を振るった梶原景時の館跡
である。梶原景時は治承4年(1180)8月、源頼朝挙兵の時、石橋山の合戦
で敗れ洞窟に逃れた頼朝の命を救った。翌年の正月、頼朝の信任厚い家臣
となり、鎌倉幕府の土台作りに貢献した。
しかし、正治元年(1199)景時が「結城朝光に謀反の志あり」と将軍頼家に
讒言したのをきっかけに、逆に御家人たちの反撃を受けて失脚し、この一宮
城に立て篭もった。
後の正治2年正月、景時は再起を期し、挙兵するために密かに館を出発して
京都を目指した。しかし一行は駿河清見関(清水市郊外)で、北条氏の命に
よる地元の武士によって景時以下討ち死という悲劇的な最後を遂げる。また
館の留守居役の家臣も翌年尾張(犬山市)に引き上げたといわれ、一宮城
は歴史の幕を閉じる。
梶原景時館跡
館跡に建つ天神社
一言 上記の天神社は広大な敷地であった館跡の物見櫓があったところに建って
いる。
やはりここも市街地と化しており、この天神社・近くの中学校の校名に「城」と
いう字が使われていた様に思う事以外、特に往時を偲ぶものは見受けられな
かった。住宅街の中で時代に取り残された様に佇む天神社が時の移ろいを
感じさせた。