石垣山城跡

所在  小田原市早川

交通  JR東海道線早川駅より徒歩30分

歴史  天正十八年(1590)、「小田原の役」において豊臣秀吉が築いた。

     小田原攻めに際し、秀吉は当初、箱根湯本にある早雲寺に本陣を置いた

     が、同4月小田原市街を一望できる笠懸山に陣をおく事とし、ここに城を築

     いた。築城にあたっては小田原城に面した部分を白紙で覆い、小田原側か

     ら見えない様にして八十日間でこの城を築いたという。そしてある日、夜のう

     ちにそれまで城の前面を覆っていた白紙を取り、木々を伐採した。篭城して

     いた北条側は一夜のうちに忽然と城が現れたと錯覚、驚愕して戦意を喪失

     したという。築城にあたっては約4万人を動員し、突貫工事によって築かれた

     といっても、完成した城は豪華絢爛たるものであったことが徳川家康の家臣

     榊原康政の手紙にも記されている。

     あくまでも小田原城攻めの為に築かれた城であるため、「小田原の役」以後こ

     の城が使用されることはなかったという。

       石垣山城跡入口 

       本丸石垣 

一言  城跡は標高261mの山中にあり、小田原城の本丸より227m高く、距離に

     してわずか3kmの位置にあたる。城の縄張りは南北方向に走る尾根を軸に

     してその最高地点に本丸・天守台をが残り、南には西曲輪と出城、北には二

     の丸や北曲輪・井戸曲輪が残っている。ただ三の丸は整備されておらず、草

     木が密集した状態になっている。

     関東大震災によって石垣が崩れたといっても、南曲輪に残る石垣は旧態をよ

     く残している。また、江戸時代には立ち入り禁止になっていたので、その保存

     状態は悪くない。

     城跡へは急勾配の道を進まなくてはいけないが、道路が舗装されており、車

     でも行ける。また道すがら「小田原の役にまつわる重要人物」について書かれ

     た看板が随所に建ち、一興であろう。

     この城は80日で完成したとの事。土木工事に長けた秀吉らしい。

     城からは小田原城下はもとより、足柄平野・相模灘・三浦半島も望める。

     歴史好きな人も、眺望する人も一度訪れてみては...。

       南曲輪の石垣

       本丸跡

       本丸より二の丸を望む

 

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