平塚城跡

所在  東京都北区西ヶ原二丁目

交通  営団地下鉄南北線西ヶ原より徒歩10分

歴史  平塚城跡は、鎌倉時代にこの地を治めていた豊島近義が築いたと

     される。豊島氏は平安時代から続く名門であり、武蔵東部に一大勢

     力を誇る国人領主として君臨していたが、文明八年(1476)に起こ

     った長尾景春の乱において景春側に与したことから、鎮圧軍の太田

     道灌に攻められることになる。

     翌九年、この平塚城を攻めるべく江戸城を出発した道灌軍であった

     が急遽進路を変更、江古田・沼袋の戦いで豊島軍を撃破した。その

     戦いで平塚城城主であった豊島泰明は討死したという。戦いに敗れ

     た泰明の兄、豊島泰経は石神井城に篭もるが、力攻めにより落城し

     てしまう。城を追われた泰経はこの平塚城に逃げ込むが、更に翌十

     年正月、平塚城も道灌軍に攻められ落城。泰経は小机城(横浜市)

     に逃亡し、その後、豊島氏の名は歴史上から消えることとなる。 

       平塚神社入口

      平塚神社社殿

 

一言   城跡は平塚神社やこの近くにある城官寺を中心とする地域にあった

      という。平塚神社は飛鳥山の一角に位置し、東側は大きく落ちこみ、

      丘状の体裁を残している。但し、近隣の都市化に伴ない遺構も消滅

      してしまい確認できなかった。(神社横の道路は空掘跡?)

      なお、社殿が建っているすぐ後ろの塚は、豊島近義が八幡太郎義家

      から与えられた鎧を埋め、城の鎮守とした「甲冑塚」だという。

      但し、塚には門が閉ざされ、かつ、犬が放し飼いになっているのでフ

      ェンス越しに眺められるだけである。   

       甲冑塚入口(だけど入れません)

       社殿後ろの甲冑塚

 

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