檜原城跡
所在 東京都檜原村本宿
交通 JR五日市線武蔵五日市駅よりバス檜原村役場下車
歴史 築城は室町時代の応永年間に、鎌倉公方足利持氏に与した当時
の武州南一揆の有力者、平山三河守正泰によって築かれたという。
当時、持氏は関東管領上杉氏憲と対立しており、この城を氏憲の義
父にあたる甲斐の守護武田信満の押さえにしたとされる。
その後代々平山氏が城を治めたが、室町時代末期には関東一円に
勢力を伸ばした北条氏により、平山氏もその配下として加えられる。
天正十八年(1590)、豊臣軍により八王子城が落とされると、八王
子城城代横地監物はこの城に逃れるが、小田原城が落城し北条氏
当主氏直が高野山に追放という処分が決まった7月12日、豊臣軍
に攻められ奮戦むなしく落城。
最後の城主平山氏重はその子、氏久とともに千足「かくれ岩」にて自
害、監物は小河内蛇沢口にて自害したとされる。
檜原城遠望
主郭削平地
一言 城跡は戸倉城跡の5km西に当たり、東京方面から来て橘橋交差点の正面
にある山が城山となる。(吉祥寺の裏山にあたる)
縄張りは主郭を中心に南北に伸びる尾根に小規模の郭を、また南側尾根
には堀切を設けていたとされる。その保存状態は非常に良く、特に北側『払
沢の滝』方面からの登り口に見うけられる廓は、その連続したが遺構が容易
に確認できる。
しかしここも山城。登城は大変でした...。
南側に残る堀切り
遺構を良く残す北側曲輪群
上から見た曲輪群