八王子城跡

所在  東京都八王子市町

交通  JR・京王線高尾駅よりバス八王子城跡下車

歴史   八王子城の築城開始時期について正確な事は伝わっていないが、

      永禄年間に滝山城の出城のかたちで構築されたという。

      永禄十ニ年、滝山城で武田信玄の軍を迎えた当時の城主、北条氏

      康の三男氏照は滝山城の守備上の欠陥を痛感し、八王子城を築き

      そこに移る。その時期は天正十ニ〜十五年頃と推定される。

      対武田として築かれた八王子城もその後、対豊臣として方向転換を

      余儀なくさせられる。

      天正十八年(1590)、関東に進出してきた豊臣秀吉に従う上杉景勝

      ・前田利家の連合軍1万5000の兵の攻撃を受け、1日にして落城。

      当時、氏照は小田原にて篭城しており、城代横地監物吉信・中山勘解

      由家範らが奮戦したが、城兵約千名ではこの大規模なこの城を守る

      には寡兵であった。

      のち、関東に入部した徳川家康により廃城。

       八王子城跡石碑

       御主殿に続く橋

        橋上より御主殿

        御主殿跡

一言  城跡は八王子城跡として整備され、御主殿跡・御主殿橋などが再建された。

      但し、御主殿橋の位置については当時の場所と異なるという。

      城域は八王子盆地の西端に聳える標高460mの城山全域を占めており、

      東西約1500m・南北740m・周囲3800mの中に10以上の城郭が築か

      れていた事からその広大さが解かる。

      城主北条氏照は北条一族の中でも武闘派とされ、「小田原評定」でも主戦

      論を展開したという。その為か、北条氏の属城に対し「兵で囲み開城させる」

      策をとっていた豊臣軍だが、一転北条氏の戦意を挫く為にも八王子城の力

      攻めを決行する。ここに八王子城の大殺戮戦が行われる事となる。八王子

      城落城の報に際し、小田原の氏照は床を叩いて号泣したという。

      

        金子丸跡

        本丸跡にある八王子神社(暗くてすいません)

       本丸跡にある石碑

       山頂付近から八王子市街を望む

 

      麓に御主殿跡や石碑、説明の碑などがある。また、いたる所に土塁・竪堀等

      が確認できる。

      本丸へは急峻な道をひたすら登らなくてはならない。途中「近藤丸」「金子丸」

      「小宮丸」等、戦時そこを守った城将の名をとった曲輪跡が残る。その他本丸

      には八王子神社が鎮座し、石碑等がある。また、本丸付近からの眺望は素

      晴らしく、遠くは新宿の高層ビル群まで確認できる。

      前述にもあるが、本丸跡を訪れる「とにかくすごい坂道を登る覚悟」が必要。

      殺戮戦が行われたという同所。「でる」なんて話をよく聞く。

            

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