波多野城跡
所在 神奈川県秦野市寺山
交通 小田急線秦野駅よりバス寺山農協前下車
歴史 新編「相模国風土記稿」によると寺山村には平安時代から鎌倉
時代にかけて活躍した波多野氏の城跡があったという。
平将門の討伐に軍功があった藤原秀郷の子孫がこの地を治め、
「波多野」を開発し所領した事から波多野姓を称した。五代義通
は平治の乱(平治元年・1159)で源義朝に属して戦い討死する
など、忠臣として名を馳せたが跡を継いだ義常は治承4年(118
0)の源頼朝挙兵時に頼朝側への参軍を拒み、松田の館で自害
する。
「吾妻鏡」によると、その後波多野領は義常の叔父義景が継ぎ、
その子盛通、そして義常の弟忠綱へと実権が移ったといわれる。
波多野氏はその後、丹波国(現在の兵庫県)に所領を得て移った
といわれる。
跡地に建つ石碑
波多野城跡遠望
一言 波多野城は義通の頃に築かれたといわれ、金目川を望む台地にあ
る。現在はただ石碑が残るのみ。昭和62年から平成2年にかけて7
次にわたる発掘調査が行われたが波多野城の痕跡を発掘できなかっ
た事もあり、この場所に波多野城があったという意見を疑問視する声
もある。(空掘と信じられてきた場所から大量の馬歯が発掘されたこと
から古代から「雨乞い等をする神聖な場所」であった事は事実だが)