榎下城跡

所在  神奈川県横浜市緑区三保町

交通  JR横浜線中山駅より徒歩15分

歴史  室町年間に上杉憲清が築いたと伝えられている。憲清の子、憲直が永亨

     の乱(1438)にて足利持氏に加担し、敗れて金沢称名寺で自決して以来、

     城主については不明であるが、後北条氏の時代には小机衆の拠る小机城

     に対しての出城の役目を果たしたと考えられている。

     天正18年(1590)の小田原の役にて落城し、廃城。

     その後、慶長年間(1596〜1614)この地に旧城寺が開かれた。

       城跡に建つ旧城寺

一言  城は自然の丘陵地を利用し、本丸は一段高いところに位置し、内外に空

     掘をめぐらし、更に土塁を築き、大手口には虎口を設け侵入者を防いだと

     いう。また、東側の堀は谷を利用して箱掘となっていたらしい。ただし、現

     在開発が進み、遺構はあまり確認できなかった。

     上記の建物の裏手は本丸跡と思われ、現在農地になっていた。

       本丸跡?の農地

     この城跡は小机城跡を見た後に偶然発見。ナビに感謝。

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