赤塚城跡
所在 東京都板橋区赤塚五丁目
交通 都営地下鉄西高島平駅より徒歩10分
歴史 赤塚城は室町年間中期、豊島氏の庶流赤塚氏の居館であったが、
文明九年(1477)4月太田道灌が豊島泰明を赤塚城に攻めた時、
泰明をはじめ赤塚氏ら150名余が討死し、城は道灌の手に落ちる。
道灌はこの城に、当時古河公方足利成氏の軍により市川城を追わ
れた千葉自胤を配した。その後千葉氏は武蔵千葉氏としてこの地一
帯を治めることとなる。
自胤の後は盛胤・良胤・惟胤と続き、後北条氏の配下となって家名の
存続を計るが、天正十八年(1590)に廃城処分となった。
赤塚城跡本丸跡
赤塚城跡石碑
一言 城跡は板橋区立溜池公園の横の丘状地に残る。本丸跡は広場として整備
され、本丸の周囲には空堀・土塁跡が僅かだが確認出来る。公園との比高
も20m程で難なく登れる。
当時、赤塚城一帯は荒川の水を引き込み、天然の堀としていたらしいが、現
在は公園に溜池を残すのみである。
赤塚城跡遠望