優等生<我侭

 




 携帯電話がピピッとメールの着信を知らせた。
 勝也は携帯電話を開いて、ボタンを操作する。そしてメールを読んで凛々しい眉を寄せた。
『ごめん。明日の約束、少し遅れる。午後からにしてもいいか? 陽』
 まただ、と思う。最近、陽からのメールは、デートの約束に遅れるか、酷い時には取り消されることもある。
 陽だって仕事があるのだし、今は大学入試が本格化していく時期なので、忙しいのはわかる。それくらいは理解したい……と思う。
 けれど、メールで済ませられるのが嫌なのだ。せめて電話で理由を話して欲しい。決して『駄目だ』とは言わないのに。
 溜め息をひとつ、誰が見ているわけでもないのにこっそり落として、メールの返事を打つ。
『わかった。1時頃でいい? 駄目なら連絡して。勝也』
 物分りのいいふりをして、返信する。実際、そうすること以外にできない自分がいる。
 メールの返事はない。1時で問題無しなのだろう。
 携帯のメールが苦手な陽。なのに、デートの約束の変更だけはメールでしてくる。
「いっそ、着信拒否にしようか?」
 できもしないことを言って、勝也は苦笑する。
 自分もアルバイトの都合で、約束の変更を求めることはある。しかし、どうしても都合がつかなくなったときだけで、それもメールでお願いなどしない。
 もやもやした気持ちでいると、「しけた面」と双子のどちらかが嫌味を言って通り過ぎる。どっちだろう? 見分ける気持ちのない勝也は、「大きなお世話」とやり返す。
「お前、生意気」
 こういうことを言う方は正也だ。
「マサちゃんこそ、どうして今日は家にいるんだよ」
「ざんねーん、でした。僕は拓也です」
「タクちゃんは京とデートだもんな」
 でまかせを言う。あの二人のデートの予定など、一々聞いちゃいないが、目の前にいるのが正也だというのは、なんとなくわかる。
「ちっ」
 やはり正也だったらしい。
「崇志さん、仕事でどっか行ったのー?」
「ほんと、煩いよ、お前」
「仕事って、伝家の宝刀だよなー」
「はあー?」
 溜め息をつュ勝也に、正也は何かを察したらしく、ニヤリと笑う。背筋がぞっとする美しさだ。兄弟で良かったと思う。そうでなければ、落ちていたかもしれない。
「よーし、明日暇なんだな?」
「暇じゃない」
「買い物行こう!」
「嫌だ」
 正也の買い物など絶対一緒に行きたくない。崇志のいないときの正也の買い物が、どんなに派手で、どんなに大変か、兄弟だから知っている。
「行くの」
「あら、ショッピングに行くの? ママも一緒に行きたいわ」
 勝也はがっくりと項垂れる。こうなれば、逃げ出すことは不可能だ。
「1時までだからな」
 勝也の敗北宣言に正也は勝ち誇ったように笑った。

 いったい、周りからはどんな風に見られるのだろうか。
 母親と正也は親子に見えるだろう。下手をしたら姉妹に見えているかもしれない。
 その中にはいった自分は、どのような位置にいるのだろうかと考えると、それだけで疲れを感じる。もしかしたら、どちらかの恋人に思われたら嫌だなと思う。
 ショップの中ではわざと「母さん」「兄さん」と呼んでいたら、二人に嫌な顔をされた。場の空気の読めない奴というわけだ。だったら連れてくるなと思う。
「勝也も何か買ってあげましょうか?」
 母親の優しい台詞に騙されてはいけない。その買ってくれるものは「勝也の欲しいもの」ではなくて、「母親が息子に着せてみたいもの」なのだ。
 うっかり頷けばとんでもないものを着せられ、頷かなければ拗ねられる。難しいラインだ。
「いいよ、俺は」
「駄目よー、せっかくなんだし。これなんか似合うと思うのよー」
 母親の手に持った服を見て、勝也はぐっと息が詰まる。
「そ、それは」
 どこの王子様だ、そりゃ。口まで出た言葉を苦労して飲み込む。
「それはマサちゃんの方が似合うんじゃないかなー?」
 レース地の衿なんて冗談ではない。カフスまでレースでできている。
「こういうのは勝也の方が似合うわよ。正也には別のを買ってあげるのよ。ねー」
「ねー。僕のはこっち」
 二人して意気投合している。何か?今日は俺を苛める日と決めたのか?という疑惑いっぱいのまま、試着室へと追いやられる。
「ほら、似合うじゃない。これ、戴くわ。着て行きますから」
「ま、待って。買うだけでいいじゃん」
「駄目。これから食事なのに、あんな暗い服で一緒に歩かれるのは、嫌なのよ」
 暗いって……、ただ黒のシンプルなシャツと薄手のコートという組み合わせである。暗くなどはない。
「諦めれば?」
 隣の試着室から出てきた正也を見て、勝也は確かに諦めざるをえないと思った。
 サーモンピンク色のセーターに、白のスパンコールで飾ったデザインパンツ。もう、「どこの撮影ですか、お姉さん」といういでたちである。
「これで食事かよ……」
 どうすれば逃げ出せるだろうか。勝也は必死で逃亡計画を練っていた。

 ホテルのスカイレストランでランチバイキング。ならば、こんなに派手な姿でなくてもいいだろう。おかげで一番目立つテーブルに連れてこられ、皆の注目を浴びている。
 勝也は心の中で恨みの言葉を連ねる。口に出せないのは、二人に勝てないからである。
「母さんが一緒だと、変な女に声かけられなくていいんだよなー」
「やーねー、虫除けに使わないで」
 二人で盛り上がっている。勝也はいい加減うんざり気味に、溜め息をついた。と、携帯が振動でメールの着信を知らせる。
 嫌な予感がするが、見ないわけにもいかない。
『ごめん。2時間遅れる。陽』
 冷たい文字。素っ気無い用件だけのメール。
「あら、残念ね」
「愛されてないんじゃないの?」
 二人が覗き込んできて、勝手な感想を言う。
「ほっといて」
 返事を打とうとした勝也の携帯を、正也が取り上げる。
「ちょっ、マサちゃん!」
 勝也は慌てて取り上げようとするが、正也は勝手にピピッとメールを返信してしまう。ここがレストランでなければ、取っ組み合いしてでも取り返したものを。
「物分かりのいい恋人は、恋する相手には物足りないもんだぞ」
「何勝手なこと言ってるんだよ!」
 メールボックスを開くと、正也の送信したのは、『イ・ヤ』という文字だった。
「もう……」
 返事を打ち直そうとして、手が止まる。
「恋人だからこそ言えるわがままもあるわ」
 母親の言葉に勝也は携帯をパタンと閉じた。
「待ち合わせの場所に行ってくる」
「2時間待ちかー」
 正也の冷やかしに苦笑しながらも、勝也は走った。

 1時20分。
 そりゃ2時間遅れるって連絡あったものな。
 勝也は腕時計を見ようとして、母親の買った服のままだったことを思い出す。どうりで先ほどからチラチラと見られてしまうわけだ。
 陽と会ったら、すぐに着替えに行こうと考えて、あと1時間40分もこのままなのかと、うんざりする。
 人の通りから目を避けるように、柱の影に立つ。
 その背中をとんとんと叩かれた。振り返ると、息の荒い陽が立っていた。額に薄っすらと汗を滲ませている。
「まだ用事があったんじゃ……」
「いや、……断ってきた」
「いいの?」
 息を整えながら、陽は笑った。花がほころぶような、艶やかな笑顔。
 勝也をほっとさせる優しい笑顔だ。
「もういい加減、手伝うのにもうんざりしていたんだ。お前が聞き分けいいからさ、向こうもずるずる引き止めるし」
 つまり……。陽の説明では、友人が独立して塾を始めるのに、色々かりだされていて、断る口実もなく、またその大変さに同情して、ずるずると手伝っていたらしい。
「デートは口実にならないの?」
 むっとしたように勝也が言うと、陽は曖昧に笑う。
「いや、言ったんだけど。予定ずらせるか聞いてみろって言われて。そうしたら、お前、いつもOKするから……」
 思わず笑いがこみあげてくる。
「少しは俺のこと、優先しようとしてくれた?」
「そりゃ……少しは」
「少しだけー?」
 自分から振った話題だが、少しと言われるとやはり悲しい。
「う……、いや、……その」
「これからは最優先にして」
「えっ」
「仕事よりも、俺を優先にして」
 陽は驚いたような、困ったような顔をする。
「どうしたんだよ、お前らしくない……」
「優等生は学校だけにする。恋人の時はわがままになる」
 勝也の宣言に、陽は目を丸くする。
「でもさ……」
「駄目。今は恋人だからね、言い訳なんか聞かないよ?」
「勝也……」
 陽は仕方なさそうに笑って、わがまま坊主が二人か……と呟いた。
「冬芽よりもわがままになるかもよ」
「似合わないなー」
 クスクスと笑う陽は、勝也の袖口を引っ張った。
「そういえば、どうしてこんな服着てるんだ? 似合ってるけど、勝也じゃないみたいだな」
 全部陽のせい。勝也はそう言ってから、ぎゅっと抱きしめた。