『 True spell 』

 




「重くないか?」
 あれほど熱かった身体の熱が鎮まり、息も落ち着きを取り戻したころ、勝也の 胸の上に抱き上げられた陽は、トクトクと穏やかな鼓動に耳を寄せて、そっと尋 ねた。
 このまま抱きしめられていたいと思う気持ちが、反対の事を聞いてしまう。
「重くないよ。平気」
 そのまま抱かれていてもいいと許された反面、重くないと言われたことに少し むっとしてしまう。
 それは……、自分がどれだけ欲しいと望んだかわからない、理想の体型が目の 前にあり、陽のコンプレックスをわずかながら刺激するからだ。
 まだ少し震えそうになる腕を伸ばし、勝也の顎を指先で触れる。
「ん?」
 少しだけ顎を引いて、勝也が胸に頬を寄せる陽を覗き込んだ。陽を落とさない ようにと、抱きしめる腕に力をこめる。
 肩の筋肉がきゅっと引き締まる。それを目にして陽はふぅと息を吐いた。
「疲れた?」
 溜め息の意味を別の方向へ解釈して、勝也が気遣いしながら陽の髪を撫でた。
「お前、なんかスポーツしてる?」
「は?」
「スポーツ、何してる?」
「……剣道」
 あまりに当たり前な質問に、これもまた当たり前の答えが返ってくる。
「剣道だけでこんな肩になるか? 絶対別のこともしてるだろ」
 同じスポーツをしていながら、こんなにも筋肉のつき方が違うなんて、ありえ るだろうか?
「そんな時間あるなら、陽を抱きしめるけど?」
「っ! ……話をはぐらかせようとしてるだろ」
 陽は思わず顔を上げる。
 厚い胸板が、急に姿勢を変えた自分を軽々と支える。それすらも腹立たしかっ た。
「本当に何もしてないよ。剣道場に通うのもままならなくて、師範に渋い顔をさ れてるくらいなのに」
 高校のクラブ以外にも、勝也は中学の頃から通っている道場へ時折顔を出して いる。
「それにしては立派な筋肉だよなぁ。羨ましい」
 自分がどれだけトレーニングしても、こんなに筋肉はつかないように陽は思っ た。
 勝也の筋肉も特に盛り上がって隆々というわけではないが、引き締まった理想 の形になっている。
「陽だって、引き締まったいい身体をしている」
 すぅと、肩から肘へと勝也の指先が撫でていく。快感にぞくりと肌が粟立つ。
「俺は、お前のような身体が欲しかったの」
 あと10センチ、いや5センチでいいからと、自分の背の低さを恨んだだろう。
 剣道に身長はたいして必要ないと思われがちだが、それは外から見ている人間 の勝手な憶測だと陽は思っている。
 体格をカバーしようとスピードを上げた。技の多様化を目指した。スタミナの なさを速攻で補おうとした。
 それは確かに陽を勝利へと導いた。けれど、どうしても壁は越えられなかった。
 高い位置から振り下ろされる竹刀、圧倒的な力の差は鍔迫り合いで押され負け した。
 限界が見えた。
 陽は剣道の道を選びたかった。けれどその限界が自分の身体の小ささだと思い 知った時、剣を捨てた。
「えー、俺は今の陽が好き」
 いつもなら嬉しい言葉が、今はカチンとくる。簡単に言ってしまう勝也が憎い。
「なんだよ、それ。じゃあ、俺が筋肉モリモリで、お前より背が高かったら、俺 のこと、好きにならなかったのか?」
 子供っぽい反抗だとわかっていたが、年下の男に抱かれていたという事実が、 それを言わせてしまった。
「そんなわけないよ」
「いーや、お前は絶対俺のこと、好きにならなかった。俺が小さくて、押し倒せ るからいいだけなんだろう?」
「陽……」
 陽は勝也の身体の上からおりて、ベッドの端から床へと足を下ろす。
「陽」
 慌てたように勝也が陽の腕を掴んだ。
「離せよ」
「駄目だよ。陽の誤解を解くまでは、離さない」
 勝也もベッドの上に座り、陽の腕を掴んだまま、真剣な瞳を向ける。
「何が誤解だって? 今の小さい俺が好き。お前より大きくなったら好きにはな らない。そうだろ?」
「違う」
 むきになって言う陽に、勝也はゆっくり首を振る。
「違うもんか。理想的な身体を持っているお前に、俺のコンプレックスはわから ないよ」
 掴まれた手を振り払おうと、陽は腕を上下に振るが、勝也の手は強く掴んでい て、振り解けない。それがますます陽を苛立たせた。
「陽のことが好きなんだよ。陽だけ。身体の大きさなんて関係ない。どんな陽で も、陽だけが好き」
「手遅れ」
 短く言い放って、陽は掴んだ勝也の手の甲をぴしゃりと叩いた。
 勝也の手がすっと離れた。それがひどく切なかった。離せと言ったのは自分な のに。
 床に脱ぎ捨てられた服を一枚、一枚と自分の分を拾い集める。
 それらを抱えて浴室へ行こうとドアに手をかけた。
「大っ嫌いっ!」
 背中にぶつけられた言葉に、身体全体がびくりと震えた。
 ゆっくりと振り返る。
 ベッドの上に座ったまま、勝也が真っ直ぐに陽を見つめていた。
「勝也……」
 唇も震えて上手く喋れない。本気なのかと聞くのも怖かった。
 胸が痛くて、息も苦しくなる。
「……勝也」
「どうして好きっていう言葉は信じなくて、嫌いっていう言葉を信じるのさ」
 勝也は悲しそうに笑う。
「どんな陽でも好きだよ。俺を暗闇から救ってくれたのは陽だよ。陽の身体を好 きになったんじゃない。陽だって、俺の身体を好きになったんじゃないでしょ う?」
 一歩でも動くのが怖かった。がくりと崩れるような気がした。
「戻ってきて。俺のこと、抱きしめて。手遅れなんて、言わないで」
「……ぃょ」
 まだ言葉が震えた。上手く話せない。それでも勝也は陽の言葉を聞いてくれた。
 すらりと長い足が床を踏む。一歩、一歩と自分たちの距離を縮める。
 伸ばされた腕に捕らえられ、肌の暖かさに触れると、生き返ったような気持ち になった。苦しかった息が、楽にできる。
「お前こそ、嫌いなんて……言うな」
 勝也の腕の中だからこそ言える。安心できる場所だからこそ言えるのが我が侭。
「もう二度と言わない。ごめんね」
 唇に触れる温もり。それが泣きたくなるほど嬉しい。
「愛してるよ、陽」
 ぎゅっと抱きしめられると、ごめん、と、愛してる、を素直に言えた。