Pliability
朝比奈陽は職員室の片隅のロッカーの前で唸っていた。ロッカーの引出しの中には、生徒達から没収した『お宝』がいっぱい詰まっている。 装飾品、貴重品、未成年が持つには相応しくない雑誌、持っていてもいいが授業中に使用したため取り上げられたものや、何に使うのか意味不明なものまで、びっしりと埋まっている。 普段は陽も取り上げたものをそこに放り込むだけだが、今の陽にとっては、大切な情報源になっている。 「朝比奈先生、何か没収してきたのですか?」 通りがかりの先生に声をかけられて、陽は慌てて引出しを閉じる。 「いえ、そういうわけでは……」 渇いた笑い声で答えて、そそくさと自分の席へと戻る。 今はまだ夏休みの最中。補習授業はあるが、正規の授業はなく、午前中だけで学校も終わっている。 夕方のこの時間に、校内に残っているのは、クラブ活動のある生徒と顧問だけだろう。 陽が顧問をしている剣道部は、夏休みの最終週はクラブ活動も自主練習になっていて、実質上は休みである。 実は……。陽は高校生の男の子が欲しがるような物を物色していたのだ。 自宅には同世代の少年がいるが、『今どんな物が欲しい?』と聞いて、『MDウォークマン!』を連発されて、買わされそうになったので、早々に情報収集は諦めた。 その後、ぶらりとデパートに行った時に、勝也がよく着ているブランド服のショップを見つけて入ってみたのだが、値段の高さに驚いて出てきてしまった。 買えない値段ではないが、いつもこんなのを着ていたのかと驚いてしまったのだ。 そして……、いよいよ明日になってしまったのに、まだ決められなくて、ついつい、没収箱を覗いてしまったというわけだ。 勝也はアクセサリーをつけないし、そこに入っているような贅沢品を欲しがるとも思えなかった。ちなみに弟の欲しがっているMDウォークマンも既に持っている。 明日……。夏休み終わりぎりぎりの27日、勝也の17歳の誕生日である。 もちろんというか、デートの約束をしてしまっている。なので、何かを買いに行くなら、今日しかないというのに。 こんなことをしていても、決まらない。もういいや、昨日のショップに行って、何か服を買ってやろうと思って、陽は車のキーを手に職員室を出た。
「すみません、昨日ウィンドウにディスプレイされていたシャツは……」 昨日も陽の相手をしてくれた店員をつかまえて尋ねた。昨日からウィンドウのマネキンが着ていたシャツを、陽は良いなと思っていたのだが、今日来てみれば、ディスプレイが変わっていたのだ。 「申し訳ございません。他のお客様からご注文がございまして」 「売れてしまったんですか?」 「いえ、……当ブランドはお得意様にカタログを発送しておりまして。ご注文がございましたので」 「だったら、あの、……同じ物は……」 「あのシャツは新作でございまして、ワンショップ一点限りの品でございますので」 「その人、まだ取りに来てないんですよね。絶対買いにきますか?」 陽らしくもなく、つい食い下がってしまった。これが買えなければ、後がないという気持ちでいっぱいなのだ。勝也に似合うと思った黒のシャツ。一品ものだと思うと、それを他人が着るのかと思うと、なんだか許せないような気持ちになってしまった。 「お客様には少しサイズが大きいと思うのですが……」 「プレゼントなんです。どうしてもあのシャツが、気に入ってしまって」 「少々お待ち下さいませ」 店員は苦笑して、スタッフルームへ消えた。陽が食い下がったものだから、他の店員がチラチラと陽を見ている。今更ながら、自分の強引さが恥ずかしくなった。 諦めてもういいですと言おうと思っていると、先ほどの店員が、そのシャツを手に現われた。 「注文下さったお客様へ事情をお話しましたら、譲ってもいいと仰って下さいました。こちらでよろしいですか?」 白いテーブルにふわりと広げられたシャツは、マネキンが着ていたときにはわからなかったが、手触りも柔らかで、光の加減によって微妙に黒の光沢が変化して見える。 「ありがとうございます。お願いします」 陽は頭を下げて、相手に電話をかけてくれた店員に礼を言って、そのシャツをプレゼント用に包んでもらった。
「ここ、予約取って来た。ここにいこう」 待ちあわせの場所で陽の車に乗ってきた勝也は、パンフレットを広げた。 「予約って、……お前」 パンフレットは会員制のスポーツクラブのように見えた。表紙にはテニスコートやプールなどが写っている。 「行けばわかるよ。平日だから空いてるみたいだよ。テニスでも、プールでも」 「ここ、会員なのか?」 「親父がね。一応家族会員にはなってるから、大丈夫だよ」 ニッコリ微笑まれると反対する理由もなく、陽は勝也の案内のまま、車を走らせた。
「なんだか、……納得できないけど……」 ベッドに寝かされ、勝也に押さえ込まれて、陽は睨み上げる。 「嘘はついてないだろ」 勝也は苦笑しながら、陽の頬にキスをする。 確かに、勝也のナビのままやってきたスポーツクラブは、色々なスポーツを楽しむことができた。郊外にあるため、緑も豊かで、併設してあるレストランからの眺望も楽しめて、ディナーも美味しかった。 そのまま帰るものと思っていたら、勝也は散歩でもするように、陽を小道へと誘った。そして行きついたのは、木立に囲まれたコテージだったのだ。そしてベッドに押さえ込まれる羽目になっている。 勝也との行為は嫌ではない。だが、こうも上手く運ばれると、慣れているように思えてしまうのだ。 「ウソとかじゃなくてさ……」 勝也は陽がここへ騙されるように連れてこられたことを怒っていると取ったらしい。 「こんなに準備されると、抵抗があるんだよ」 「どうしてさ」 「お前の誕生日だから、俺がプランを組み立てたかったということに……、あ、そうだ」 話を逸らせようとして、大切なことを思い出した。 「車にプレゼントを置いてきた。ここじゃ遊ぶだけだと思ったから」 「プレゼントなんていいのに、陽をくれたら、それで、……いてっ」 呆れた台詞に、思わず膝で勝也のお腹を蹴ってしまった。 「取ってくる」 「いいよ、後で」 「今。じゃないと、もうやらない」 陽の台詞に、勝也は渋々という感じで身体を起こした。 「駐車場まで遠いよ。取ってくる」 「待てよ。俺が取りに行かないと意味がないだろう」 陽が譲らないものだから、勝也は肩を竦めてフロントに電話をした。スタッフに道案内を頼んでいるらしい。 「じゃあ、俺、ここで楽しみに待っているから」 勝也はひらひらと手を振る。 最初の台詞そのままに、なんだか納得できないまま、陽は案内してもらって、プレゼントを取りに向かった。
「……これ!」 勝也は嬉しそうにプレゼントを開き、出てきたシャツを見て、目を見張った。 「どう?」 気に入ってくれるだろうかと心配そうに陽は勝也を覗き込んだ。弟の欲しがっているMDウォークマンより高いシャツなので、気に入ってくれなかったら、ちょっと悲しいものがある。 不安そうに見つめる陽に勝也はクスッと笑いを零して、突然きつく抱きしめてきた。 「うわっ、勝也っ!」 「ありがとう、これ、欲しかったんだよ。でも、もう諦めてたんだ」 「お前も店で断わられたのか?」 勝也がとても気に入ってくれたようなので、陽も嬉しくなった。 勝也はクスクス笑うばかりで、陽を抱き締める腕を緩めようとしない。 「こら。着てみろよ。似合うと思うんだよな」 陽が抱き締められた腕の中から、勝也の髪を引っ張る。 勝也は陽の頬にキスをしてから、着ていたシャツを脱ぎ、陽がプレゼントしたシャツを羽織った。 「似合う?」 陽の前で手を広げる。 「うん、似合う。お前に似合うと思ったんだ。ちょっと恥ずかしかったんだぞ、お店の人に頼み込んで。でも、カタログで注文するなんて、酷いよな。やっぱり、店で実物買わなくちゃ」 陽は眩しそうに勝也を見上げた。 勝也の精悍な顔に、その漆黒のシャツは映えた。勝也以外、似合うとは思えないほどに。 無理を言っても良かったと思えるほどに。 「だねー」 勝也はまた笑って、そのシャツを着たまま、陽を抱き締めた。 シャツの柔らかな肌触りを、直接自分も肌で感じながら、陽は逞しい腕の中で目を閉じた。
< |