その重さ

 




 二人で並んでソファに座り、借りてきたビデオを見ていた。その映画がかかっていた頃、二人はすれ違う気持ちのまま過ごしていた。
 勝也は何度か陽を映画に誘ったが、陽からの良い返事を聞くことはできなかった。
 今、こうして同じ時間を過ごせるようになって、並んで映画を見ていることは、勝也にとって信じられないような幸福の時間でもある。
 陽はそのたおやかな容姿に似合わず、アクション物が好きである。今、見ているものも、邦画にしては珍しい、近未来物のアクション映画である。
 これについては勝也も異論はなく、肩を寄せ合って観るには、少々不向きな映画を見ていた。それでも幸せなのだからいいのだと。
「真面目に観ろって」
 時折伸びてくる悪戯な手を陽は苦労して外す。本当はその手が嫌ではないので、外すのに苦労するのだ。
「観てるよ。っていうか、俺、映画館で観たもん」
「誰と?」
 くるりと陽が振り向き、勝也に問い質す。
「え? ええーとぉ……」
 答えに悩む勝也に、陽はくすくすと笑う。
「あの人?」
 勝也が答えを言いよどむならそれはただ一人だけ。今もその人を思うと、胸が小さく痛むが、それはすぐに勝也が消してくれる。
「……あ、ほら、ここからいい場面」
 誤魔化すようにテレビを指差す。
 陽は仕方ないなと笑って、勝也の肩に頭をもたれさせ、テレビに視線を移す。
 髪を撫でる手にほっとしながら、陽は主人公とヒロインが敵の建物に飛び込むのを真剣に見詰めた。

 エンドロールを省略して、ビデオテープを取り出すと、テレビがニュースを流していた。
「ノーベル賞かー」
 日本で今年二人目の受賞者があった事を報せている。
「へー、普通のサラリーマンだね。こういうこともあるんだ」
 会社の作業服を着て記者会見に応じている姿が微笑ましい。
「大学の研究者は資金に困ってて、サラリーマンの研究員は時間に困ってる。それが日本の縮図かな」
「物理に化学か。数学はないの?」
 勝也が他に知っているのは、文学賞と平和賞、生理・医学賞、経済学賞である。
「数学はないな。あっても、教師はあんまり関係ないけど」
「でも、物理も化学も、数式はあんなに使うんだけどな」
「お前はこれから、物理でも、化学でも、どんな可能性でもあるんだから」
 陽が言うと、勝也は盛大に顔を顰めた。
「変な顔」
「陽が教師に戻るからだよ」
 テープをケースに収めている陽を無理矢理引き寄せた。
「危ないだろ」
 勝也の腕に抱きとめられ、危ないことは全くなかったが、それでも不満を言ってしまう。
「陽が悪いの。それとも、俺にノーベル賞、とって欲しいの?」
 勝也なら本気で取りかねない。そう思って、陽は首を振った。
「これ以上お前が忙しくなったら、俺、浮気しそう」
 心にもない事を言ってみる。
 途端に勝也は眉を寄せる。
「じゃあ、バイト辞めようかな」
 できもしないことをさらりと言い、勝也は陽の唇にゆっくりとキスをした。
 勝也はバイトの時間を極力、陽に合わせているが、それでもお互いに学校もあり、会える時間は限られている。
 もっとも、顔を合わせるだけなら、他の恋人たちよりも多いだろう。何しろ、毎日学校で同じ時間を過ごしているのだから。
 けれどその時間は二人とも、「会っている」時間にカウントしていない。
 勝也の唇を受けながら、陽は勝也の腕を掴む。
 引き寄せられたままの姿勢が不安定で、勝也が離すはずがないとわかっていても、手は縋るものを求めてしまう。
 離れていく唇を寂しく感じ、陽は舌を伸ばす。それを絡めとり、軽く吸い、触れ合わせて、二人の唇の間に距離が生まれる。
 テレビのニュースは、どのような研究に対して賞が与えられたのかを詳しく説明している。
「物質の重さ……」
「ん?」
 陽の呟きに、勝也は陽を引き寄せる。完全に勝也の膝の上へ抱き上げられて、陽はゆったりともたれかかる。
 ほっとする。その優しい逞しさに。
「分子レベルでたんぱく質の重さを量るんだってさ」
「……あぁ、ノーベル賞の話? キスしながら、そんなこと考えてたの?」
 勝也が小さく笑って、陽の額に、自分の額をこつんと押し当てる。
「その物の最小単位で、この世で一番重いものは何だと思う?」
 陽が尋ねると、勝也は「もう……」と唸った。
「二人の時に、教師になるのは違反だろ?」
「教師として聞いちゃいないって」
「じゃあ、正解したら、ご褒美を貰ってもいい?」
 勝也の目が悪戯にちらりと光る。
「いいよ。正解したらな」
 陽も何かを思いついた目でにこりと笑う。
「ウラン」
 勝也の答えは明確だった。
「不正解」
 陽は当たり前の答えを返した勝也に、くすくす笑って教師の口調で不合格を告げる。
「不正解って……。じゃあ、アトム」
 勝也はふざけた調子で、別の名前を言ってみた。陽は軽やかに声をたてて笑う。
「なんだよ、アトムって。でも、その考え方の方が、答えが出るかも?」
 陽の言い方に、悪戯めいたニュアンスを感じて、勝也は軽く愛する人を睨んでみる。
「なぁ……、正解はウランだろ? 陽、褒美を出したくないからって、はぐらかすなよ。生徒に間違ったこと、教えてもいいのか?」
 教師になるな、生徒として扱うなと言いながら、勝也は唇を尖らせて抗議する。
「じゃあ、宿題にしといてやる。俺の満足する答えをくれないと、いつまでもこれだけ」
 陽は笑いながら、手を伸ばし、勝也の頭を引き寄せた。
 どうせ褒美といっても、欲しいものはただ一つ。
 だから、答えを聞かないまま、勝也はその細い身体を抱きしめた。

「なあ、この世で一番重いものって、なんだと思う? あ、物質の最小単位で」
 後日、勝也は京に尋ねてみた。
 京はそれを聞いて何を今更という顔で、『ウラン』と答えた。
 だよなぁと言って、それでも勝也は「違うんだってさ」と言った。
「どうも、なぞなぞっぽいんだよな。物質の最小単位でって言って、問題のレベルが原子・分子の重さって言わなかったから」
 勝也はうーんと唸る。もう褒美より何より、陽の問いに答えられない自分がもどかしくてならなかった。
「あのさ……、それ、誰に質問された?」
「陽」
 勝也は拘ることもなく、陽の名前を口にする。
 京はしばらく考え、突然顔を朱に染めた。
「なんだよ。どうして赤くなるわけ?」
 京は少し困ったような表情で、口ごもる。
「わかん……ないの?」
 むっとしたように京が勝也に言う。
「わかったら聞いてないって。あ、ちなみにタクちゃんに聞いても、ウランって答えたぞ」
 父親や兄たちに聞いたら、みんな同じ答えを言った。秋良にはわからないと言われ、崇志には笑ってごまかされた。
 そして京はうー、と唸って少し批難のこもった目で見られてしまった。
「答えは、勝也の……だと思う」
 聞き取りにくくて、勝也は目を細めた。
「俺? 俺の何が重い……、……あっ」
 勝也は突然思いついたように、あっと声をあげる。
「……ありがと」
 少々気まずい空気を吹き払うように、勝也は礼を言ったが、その顔はいつになくだらしなく、喜びに崩れてしまっていた。

 その日の夜、勝也が陽の耳に囁いた答えに、陽は極上の微笑で勝也の望むものを与えたのだった。