眼差し

 




 ふと、何かの拍子に気づいてしまうことがある。
 気づかなければ良かったと思っても、あとの祭りで。
 そんなことに気づいて、一人で勝手に傷つく自分が余りに情けなくて、勝也は次第に無口になっていく。
 そして、それに恋人が気を使ってくれることがまた勝也を苛立たせた。いや、苛立ったのは自分に対してだ。決して陽にではないのに……。


 父親が珍しく連休で家にいるというので、母親が張り切って勝也たちを夕食に誘った。
 双子はたまたま二人とも予定が合わず、洋也たちと6人で食卓を囲むことになった。
 最初は緊張気味だった陽も、ワインが入り、会話が弾むにしたがって、打ち解けていった。
 そんな陽の様子に喜んで見ていた勝也だったが、陽の視線が父親や兄に向けられていることに気づいた。
 ただ見ているだけなら勝也も気にしない。自分たちは見比べられることが多いから。
 けれど陽の眼差しが、何か勝也を苛立たせる色を持って、父や兄に向けられているのである。
 話の弾む皆とは反対に、勝也はだんだん口数が少なくなる。
「お茶の用意をしてくるよ」
 みんなが食事を終え、ワインがちょうど切れたところで、勝也が席を立った。
「手伝おうか?」
「いいよ。陽はみんなと話してて」
 自分でもしまったと思うほど突っぱねた言い方をしてしまい、勝也は一瞬後悔の表情を浮かべるが、謝罪はせずに陽の肩を座るように強引に押してしまう。
 陽が勝也の不機嫌を気遣って手伝いを申し出てくれたことはわかっていた。
 けれどそれを素直に受け取ることは、今、この場だけはできそうにもなかった。
 あとのフォローは誰かがしてくれるだろうと勝手に決めて、勝也は食器を重ねた盆をキッチンへ運び、食器棚からティーカップを取り出し始めた。
 脇から手が伸びて、そのティーカップを奪われる。
「アキちゃん……」
 兄の恋人である秋良は咎める瞳を勝也に向けながらも、人数分のティーカップを並べる。
「お湯沸かして。カップを温める分もな」
「アキちゃん、いいよ。俺がするから」
「勝也のすることは他にあるだろう? 朝比奈先生困ってたぞ。気の毒だろ、慣れない場所で気を遣わせたら」
「わかってるけど……」
 秋良の前ではつい子供っぽい態度に出てしまう。それがわかっているから、秋良も勝也をとりなしに来たのだろう。
「何が不満なんだよ。……まぁ、なんとなくわかるけど」
「アキちゃんもヒロちゃんを見られて嫌だったの?」
 陽の視線に秋良も気づいていたのだとわかって、勝也は眉間に皺を寄せる。
「バーカ、僕は朝比奈先生の気持ちがわかるって言ったの」
「どこがわかるのさ」
「自分で聞けば?」
 いつも優しい秋良にしては珍しく冷たい態度で、勝也をダイニングへと押しやった。
「なんだよ、もう……」
 気まずい思いを抱きながら、勝也は自分の席に着いた。
「お茶の用意は?」
 陽に微笑みかけられるが、勝也はただ素っ気無く、アキちゃんがするんだって、と答えた。
 勝也の視界の隅で、兄がくすっと笑ったような気がして、ますます居たたまれなくなったのだった。

「なあ、何を怒ってるんだよ」
 勝也の部屋に引き上げると、陽が勝也の髪をつんつんと引っ張った。
「……おい」
 その手を掴み、ついきつく睨むと、陽が怯えたように一歩下がろうとする。
 それを許さずに、自分の方へと引き寄せた。
「なんだよ、もう。今日のお前、変だぞ」
 抵抗することは勝也の苛立ちを増幅させるだけと諦めたのか、陽は大人しく勝也の腕の中に納まった。
「なんだ、逃げないの?」
 勝也の毒のある台詞に、陽は軽く溜め息をつく。
「どうして逃げるんだよ。バカだな」
「どうせバカだよ」
 勝也は陽を抱き上げ、いつになく乱暴に陽をベッドへと放り投げる。
「な、なんだよ!」
 さすがに陽もいい加減にしろと怒ろうとするが、荒々しく被さってきた勝也に唇を塞がれる。
 両手も手首を掴まれ、強く押さえ込まれて抵抗さえも封じられる。
「か、勝也」
 いつも自分より大人っぽいと思っていた勝也の豹変を陽は信じられなくて、自分を襲う男を見上げた。
「怖い?」
 勝也の唇が歪む。
「勝也……」
「助けを呼ぶ? 父さんがいい? 兄貴がいい? それとも、二人とも呼ぶ?」
「なにを……」
「言っとくけどね、陽を誰にも渡さないよ」
 勝也の視線が突き刺さる。
 陽は必死で首を横に振る。
「何をいってるんだ、お前……」
「今更年上の男がいいって言っても、俺は離さないよ」
「だから、そんなこと、言うわけない」
「じゃあ、どうしてあんなに物欲しそうに親父や兄貴を見てたのさ。自分の眼差しにも気づいてないの? わかってないなんて、言わせないよ」
 勝也の指摘に陽はごくりと息を呑んだ。その態度が、内心を見透かされてうろたえている様に勝也には見えてしまった。
「や、やめろっ!」
 喉に噛み付かれ、荒々しく口づけられて、陽は本気で怖くなってしまった。
 こんな勝也は知らない。
「叫べば? 親父が来てくれるかもよ? それとも兄貴に来て欲しい? 俺は別に見られてもいいよ。あの二人に、陽は俺のものだって、見せつけてやる!」
「勝也! やめ! ばかっ、お前……」
 陽は拘束された手を握り締め、きつくまぶたを閉じて顔を背け、勝也の怒りを見ないようにした。
 その目尻に涙が浮かぶ。
 身体を硬くして唇を噛み締めていると、唐突に身体から重みが去った。両手も自由になる。
「…………勝也?」
「ごめん。もう帰って。送れないけど、下に行けば誰かが車出してくれると思う」
 ベッドの端に腰掛け、背中を丸めて頭を抱える勝也を見て、陽は胸が痛くなった。
「どうして帰れなんて……。もう、俺が嫌いになったか?」
 声が震えるのを止められなかった。
 本当に怖いのは荒々しい勝也ではなく、こうして自分に背中を向ける彼だ。
「嫌いになるわけないだろ。これ以上陽がここにいたら、本当に傷つけてしまう。だから……」
「勝也……。怒ってることがあるなら、ちゃんと俺に言えよ。自分一人で決めつけるなよ……」
 陽の言葉に勝也は首を振った。
「今は……言いたくない」
 そんな勝也を陽は愛しそうに見た。
「俺が……、お父さんやお兄さんを見てたのはな」
「いいよ、聞きたくない」
「聞けって」
 耳を塞ごうとする勝也にそれを許さず、両手を外させて、勝也の背中に頬を寄せて抱きついた。
「お前の十年後、二十年後って、あんな感じなんだろうなって。それを想像してたんだ。俺の勝也は、二人より背が高いし、目も綺麗だし、何より俺のために、もっとかっこよくなるだろうなって。そんなこと考えてた」
「陽……」
「お前がそんな風に傷つくなんて思いもしなくて。……ごめんな」
 陽の優しい謝罪に、勝也は顔を上げた。
「陽」
「お前が好きだよ。お父さんやお兄さんなんて、かすむくらいに」
 勝也の背中が離れ、陽は頼る場所を失い顔を上げる。
 勝也が陽を見ていた。それまでの激情はなく、熱い眼差しが陽に向けられる。
 ふわりと抱きしめられ、勝也の暖かさといつものコロンの香りに、陽はほっとする。
「俺、バカだったよね。怖がらせてごめん」
「ほんと、怖かったな。俺の勝也じゃないみたいで」
 陽の言った『俺の勝也』という言葉が嬉しくて、勝也は愛しい人を抱きしめた。
 それまでの謝罪と今まで以上の愛情を込めて……。

 陽が眠ったのを確かめて、勝也は階下へと降りた。
 もうみんなが寝静まっていると思っていたのに、リビングにはまだ灯りがついていて、勝也はびっくりした。
「まだ飲んでたの?」
 父親と兄がグラスを傾ける脇で、秋良はうとうとと舟をこいでいた。
「アキちゃん、寝かせてあげれば?」
 洋也はふっと笑って秋良の肩を揺すった。
「秋良、勝也が下りてきたよ」
 洋也に揺すられて、秋良は眠そうに目を擦りながらも、起き上がった。
「あ……、あー。眠っちゃってた?」
 洋也に微笑みかけて、秋良はキッチンへと水を飲もうと移動する。
「大丈夫? アキちゃん」
 冷蔵庫からミネラルウォーターを出してやり、秋良の持つグラスへと注ぐ。
「仲直りした?」
 こくこくとおいしそうに水を飲み乾して、秋良は首を傾げる。
「うん。……心配かけて、ごめん」
「それは朝比奈先生に謝ることだろ」
「もう謝ったよ」
 ならいいけどと、秋良はさらに水を飲んだ。
「どうしてアキちゃんには、ヨウの気持ち、わかったの?」
 不思議そうに問う勝也に、秋良はクスクスと楽しそうに笑った。
「アキちゃん?」
「だって、僕も思うことがあるもん。洋也がもう二十年もしたら、こんなになるんだなーって」
 秋良の告白に、勝也も堪えきれずに笑ってしまう。
「ついでに、洋也の若い時って、こんなだったんだろうなって、勝也を見てて思ったりもする」
 その視線に兄は気づいているのだろうかと考えて、ああ、だから俺は兄に疎ましがられるんだなと納得してしまった。