うつくしいひと


 早春の日差しは窓から燦々と照り、それが背中を暖めると目蓋は自然と重くなる。
 昼の食堂、お腹はいっぱいになったばかりとくれば、柔らかい太陽の光は『寝ろ!』と言っているようにしか見えない。
 しかも夕べは新しく買ったゲームに夢中になり、兄の厳しい視線もどこ吹く風で、もういい加減寝ないと徹夜になるという時間までコントローラーを握り締めていた。
 朝、母に叩き起こされなければ、先に出かけてしまった無情な兄に、学校でさらに叱られていただろう。
 だから、眠い。
 ましてや、傍にこれ以上はないというくらい素敵な背もたれがあれば、そのまま睡魔に身を任せて、あくびをする間もなく、冬芽は春にもたれて眠ってしまった。
 降り注ぐ光に、冬芽の白い肌はますます白く透き通って見えた。大きな目の目蓋は、閉じられると綺麗なカーブを描き、長く豊かな睫毛がくっきりと影を落とす。
 ピンク色の唇は薄く開き、白い歯が奥に隠れている。本人が気にしている小さめで低いという鼻は、かえって彼の少年らしさを引き立てていて、全てがバランスよく配置されている。
 きらめく日差しは産毛さえ金色に輝かせ、猫っ毛の柔らかい髪も光の加減で金色に萌えて見える。
 春に寄りかかり、安心しきっているのか、穏やかな寝息は規則正しく、側を通る人の足を無意識に止めてしまう魅力があった。
 クラスメイトが立ち止まり、クスクス笑いながら、冬芽の目の前で手を左右に振る。本当に眠っているのか確かめるためである。
「ぐっすり寝てるよ」
 春が苦笑交じりに教えてやる。
「本当に美少年って感じだよな。よくお袋さんとか、芸能界に売りに出さなかったな」
 そんな感想に、春は苦笑を深くする。
「黙ってれば、綺麗なのに、もったいないよなー」
「いやあ、あのアンバランスさがいいっていう噂もあるぞ。これで口調まで可愛ければ、犯罪もんだろ」
「でも、大人しくしてて欲しいなー」
「せめて、外見を裏切らないで欲しいよな」
 色々な感想を漏らしながら、みんな最後には口をそろえて「本当に綺麗だよな」と呟くのである。
 冬芽が眠っているのを幸いに、日頃思っていることが口に出たという感じである。
 もしも本人が起きていたりしたら、絶対口にできない台詞の数々である。
 これをちらりとでも本人に聞かれでもしたら、小さな嵐が吹き荒れるのは必至である。
「綺麗だぁ? 男相手にバッカじゃねーの? どこに目ぇつけてんだよ、てめー。今度言ってみやがれ、そのXXXX蹴っ飛ばしてやるからな!」
 見た目からは想像もできない罵詈雑言が飛び出す。
 しかも、今度言ったらと言いながら、その場で手や足が出てくることも珍しくはない。
 冬芽が竹刀を持っていたら、さらにそれは絶対の禁句になる。
 竹刀を持つ者の心得はどこかに霧散し、冬芽にとっては「粛清」という名の元に、無防備であっても竹刀が振り回される羽目になる。
 一度痛い目に遭っても、どうしてなのか、つい「可愛いのに」とか「綺麗なんだから」とか、口に出てしまう。
 中には、冬芽のその豆台風ぶりを見たくて、わざと口に出す輩もいたりするので、宥め役の春としては、毎日が気の抜けない学園生活を強いられることになる。
 だからこうして冬芽が完全に眠っている今は、言いたい放題、日頃我慢していることを言える絶好のチャンスとなるわけである。
 みんなの感想を聞きながら、春は内心、複雑な心境になった。
 冬芽は確かに綺麗だ。だが、みんなは外見のことしか描写しない。
 外見の綺麗さを褒め称えれば、冬芽はキレて、癇癪を起こし、周りを振り回す。
 だから余計に冬芽の本質を見抜けない。
 冬芽が幼い頃から忙しい両親は、十分な愛情を子供に注ぐことはできず、兄にその愛情を分け与えられて育ってきた。
 だからその心は繊細で、本当の気持ちをくれる人にしか、内面を見ようとはせず、外見だけの賛美には徹底的に対抗する。
 冬芽が本当の自分を見せるのは、陽や春に対してだけかもしれない。
「なんだよ、伊堂寺、けちくさいことすんなよ」
 携帯電話のカメラを向けた相手に、春は冬芽の顔を手のひらで隠してやる。
「写真撮ったなんてばれると、後で知らないぞ」
 写真、しかも寝顔など撮らせるつもりはない。
「お前が黙ってれば、ばれやしねーって」
「そう言って、ばれて、半殺しになった奴がいるぞ。その時はさすがに俺も止めなかったぞ」
 冬芽の顔を隠しながら牽制すると、相手は舌を打ちながらも諦めた。
 ぱらぱらとみんなが散っていくと、昼休みの終わりのチャイムが鳴る。あと五分で本鈴が鳴り、午後の授業が始まる。
「ほら、冬芽、起きろって」
 肩を揺すると、冬芽は抵抗することなく、パチッと目を開ける。
「俺、さすがに半殺しまではしねーぞ。携帯は二度と使えないようにしてやるけど」
 恐ろしいことをさらっと言う冬芽に、春は溜め息をつく。
「起きてたのなら、自分で抵抗しろよ」
「春が喋るから目が覚めちゃったんだろ。今度からは人の通らないとこで昼寝しよ」
 春がいるから、全ての厄介ごとから守ってもらえる。
 冬芽はうーんと身体を伸ばし、目を覚ますように首を振る。
 柔らかな髪が揺れて、光を弾く。
「行こうぜ、春」
 振り向いた冬芽は本当に綺麗で、春ですらつい言ってしまいそうになって、慌てて息を呑む。
「なんだよ、なんか文句あんのか?」
「ないよ」
 冬芽をゆっくり眠らせるために同じ姿勢を続けて硬くなった肩をほぐすために、首を左右に曲げる。
「今夜はゲーム、早く切り上げろよ」
 また明日も寝られたらたまったものじゃないと春は先に忠告する。
「大変なとこは越えたから、地道にレベル上げするよ。金曜日にラストまで突き進んでやるぜ」
 握りこぶしを作る冬芽に、春は土曜日のデートはお預けか?と溜め息をついた。