夜は明けず




 
 シャワーを浴びて髪を軽く乾かせてベッドルームへ入った真央は、ベッドの上で静かな寝息をたてている恋人を見て、思わず微笑をもらしてしまった。
 余程疲れていたのだろう。ぐっすりと眠っている。
 夏休みが終って、ようやく東京に戻ってきた彼を東京駅で出迎えた。そしてそのまま自分のマンションに連れてきてしまった。
 その相手に寝られてしまって、身体の中の熱い血は行き場をなくしたけれども、真央はそれよりもしたいことがあった。
 いつも身体を重ねた後はすぐに冷たいシャワーを浴びて帰ってしまう恋人。いくら泊まっていけと言っても帰ってしまう。真央が彼のマンションに行けば、追い出されるか、ソファで淋しく眠ることになる。
「おやすみ、聡寿」
 真央は彼を起こさないように隣に横になって、まだ湿っている髪に口づけた。京都から帰ってきたばかりの聡寿の髪は、洗っても尚、幽かに香の薫りがした。
 一度そのことを言って、聡寿が辛そうな顔をして以来、真央は口にしなくなった。
「東京にいる間は、オレのものだ……」
 真央が聡寿を起こさない程度に肩を抱く手に力をこめた。
「……う…ん、真央の……、いちびり……」
 聡寿の言葉にハッとして顔を覗き込むが、彼は柔らかく笑っているような顔をして、けれどもすやすやと眠っている。
「寝言か……、いちびりって、どういう意味だ?」
 多分関西の方言だろうと思い、明日の朝聞くことにして真央も眠った。
「やっぱり、一緒に朝を迎えるのって、嬉しいよな」
 
 
 
「いやや……、いやなんや……、僕のことなんか放っといてぇな……」
 明け方近く、聡寿の譫言で真央は起こされた。
「聡寿?」
「いやや……、お母さん助けて……、いやや……」
「聡寿!」
 真央は驚いて聡寿の肩を揺さ振り、彼を起こした。
「聡寿!」
「あ……!」
 薄く目を開けた聡寿は自分がどこにいるのか分からないというふうに頭をめぐらせ、そして真央を見つけて一瞬は目を見開いたものの、その瞳はすぐに安堵の色に塗り替えられた。
「真央……」
「うなされてたぞ。嫌な夢でも見たか?」
「あ……、覚えていない」
 聡寿の声が擦れて、艶かしく聞こえる。まるで真央を誘うように……。
「そうか……」
 聡寿の言葉に独特の訛りがあったことと、その言葉の内容で、大体想像はついたけれども、真央は知らぬ振りをした。
「何か言ってたか?」
「何も、ただウンウン苦しそうだっただけ」
 聡寿が軽く安堵の溜息をつくのを見て、真央は言わずにいて良かったと思った。聡寿の総ての苦しみを取り除いてやりたい。例えそれがここにいる間だけのまやかしであったとしても。
「今、何時だ?」
「あっと、午前四時。もう少し眠ろう? もう怖い夢を見ないように、俺が手をつないでいてやるからさ」
 真央が子どもに言い聞かせるように言うと、聡寿は苦笑いをして、再び横になった。
「真央」
「んー?」
「昨夜さ……」
「そうだよ。お前先に寝ちゃって、俺は淋しく枕を抱えて寝たの」
「起こせば良かったのに」
「嫌だよ。せっかくお前と一緒のベッドで朝を迎えられるまたとない機会なんだぞ。それを無駄にできるか」
 聡寿がクスッと笑って、つないだ手を自分の肩に導いた。
「聡寿」
 決して言葉にはしない聡寿の誘いを感じ取って、真央は肩から背中に手を回して抱き寄せた。
「終っても帰ったりしないよな」
 甘く囁きながら聡寿の耳朶を噛む。返事など返ってこないことを知りながら、それでも願わずにはいられない。毎日、一日、容赦なく時間は過ぎ往く。限られた時間がどんどん擦り減っていく。
「んん……」
「聡寿……」
 そして真央は聡寿の名前だけを一つ覚えのように呼ぶ。確かに聡寿を抱いているのだという証のために。
「聡寿……」
 バスローブを肩から剥ぎながら、口づけていく。聡寿の声が漏れる場所には所有の印を残しながら……。
 紐を解いて白い胸を露にすると、真央は自分もバスローブを脱ぎ捨てた。重ねた胸の熱さが真央を煽る。
 唇を重ねて深く口づけると、聡寿の舌が震えながら答えてくる。嫌な夢を見た。それを忘れたい。忘れさせてくれる相手は、この世には真央しかいない。
 真央の肩にしがみつくと、彼は優しく微笑んで、その手の甲に唇を落とした。
「あ……」
 聡寿の口から溜息にも似た声が零れた。
「聡寿。愛してる」
 答えはない。それでも否定はされないし、肩に置かれた手は強さを増す。
 再びキスで身体を辿っていく。そして手は膝の裏を少しだけ持ち上げ、ゆっくりと腿を撫で上げる。
「ん……」
 甘い声を合図に、真央の愛撫を受け入れて震えるものを口に含んだ。
「あぁ……、真……央……」
 聡寿の手が真央の髪を掴んだ。離そうとしたのかもしれないが、それはもう目的もなく、ただ長い髪を絡ませているだけだった。
 腿を撫でていた手が滑り、身体の最奥の入り口を突く。
「うん……。あ……、はぁ……」
 真央の指の動きにあわせたように声が出続ける。
 止めようとしても止まらなかった。
 快楽だけを与え続けられて、聡寿の頭の中から帰省中の嫌な記憶が消えていく。
「真央……、もう……、もう……」
 高くなっていく声に合わせて、真央は口にしたものを深く、飲み込もうとさえするように含み込んだ。そして堪え切れずに溢れ出たもので喉を潤わせる。
 真央の髪を絡ませていた手が、パタンとシーツに落ちた。
 大きく上下する胸に、何度も啄ばむような口づけを続ける。
 静かに手が上げられ、怠さを秘せずに長い髪をすくう。
「聡寿、愛してる……。お前は……?」
 応えてやれればどんなにいいだろう。きっと……、きっと、自分の想いの方が深い。
 聡寿はそれを認めながら、口にしてはならない自分の将来を呪うことしかできなかった。
「聡寿、聡寿……」
 泣きだしそうな声に、やはり何も言えないまま、聡寿は真央の長い髪を撫でてやった。
 それが答え。聡寿の今できる、精一杯の応え……。
 真央はそれを感じ取ったのか、灼熱の想いを聡寿の身体に埋め込んだ。
「ああ……!」
 ひときわ高く声が上がる。けれどもさほど痛みは感じていないらしいとわかって、真央は快感を追って、身体を動かせ始めた。
「聡寿……」
 名前を呼んでも答えはなかった。意識を半ばとばしているその頬に優しく口で触れた。
「いつも俺はいるから、忘れるために利用していてもいいんだ。聡寿がいるなら、それで……、聡寿……、んん……」
「ん……、はぁ……、あぁ……!」
 
 
 力の抜けた身体で抱いていた肩がゆっくりと起き上がるのを感じて、真央はあわててそれを引き止めた。
「真央、離してくれ」
「駄目だ」
 離すまいと、余計に力を込めて抱き込む。胸の中の恋人は軽く息を吐いて、瞳を閉じた。
「シャワーを浴びたい」
「駄目だ。シャワーを浴びたら帰ってしまうじゃないか。このまま朝まで抱き合ってる」
 いつも冷たいシャワーを浴びて、自分の名残を消してしまう聡寿をそうはさせまいと抱く。
「もう朝だよ。ほら、外が白み始めてる」
 カーテン越しにも、陽が昇り始めているのはわかったが、まだ離したくなかった。真央は両手で抱きしめると、さっきつけたばかりの紅い痕に口づけた。
「真央……」
「今日だけでいいから……」
 聡寿は黙ったまま、身体の力を抜いた。そして真央の髪に手をやり、ツンツンと引っ張る。
「聡寿?」
「おやすみ……」
 その言葉を聞いても真央は抱きしめる腕の力を抜くことはできずに、おやすみのキスをした。
 クスッと笑う聡寿が憎い。
「なあ……、いちびりってどういう意味だ?」
「はあ? どうしてそんな言葉、知ってるんだ?」
 眠そうな声が眠りを引き戻された怒りを滲ませている。
「お前が言ったんだ。昨日、寝入りばなに。俺のこと、いちびりだって」
 真央が言うと、聡寿はクスクスと可笑しそうに笑う。それがきっといい意味ではないことを指しているのを感じ取り、真央は意地になって意味を問いただした。
「聡寿!」
 けれども聡寿は笑うばかりで、意味を教えようとはしない。
 まあいいかと、真央は思った。こんなふうに聡寿が笑うのは、本当に少ない。だから、しばらくその姿を見ていたい。
 真央は愛しく胸の中の恋人を見続ける。そして心地好い眠りに引き摺られていく。
 
 
 
 真央が「いちびり」の意味を知ったのは、それから3日後、大学で大阪出身の同級生を捕まえて聞いたときだった。
 それからしばらくふくれ続ける真央を見ては、聡寿は恋人を幸せにする笑顔を見せていた。
 大学2回生の秋。恋人たちの時間は、まだ折り返し地点を過ぎていなかった。