ネットをはさんで  

 


 体育の教師が出張とかで、時間割が変更になった。1年生と2年生合同の体育なったのは、別に不満はない。その授業の内容が、バレーボールになったのは、むしろ嬉しいくらいだ。
 だが……。
「じゃあ、1年対2年で、試合をしよう。負けた方が、放課後、中庭の掃除な」
 体育の教師が言い出した台詞に、それでなくても『負けられない』と思っていた2年生は、余計意地になった。しかも2年生のバレー部のメンバーは3人。その中にはバレー部のキャプテンがいて……。対する1年生は2人だけ。負ければ、バレー部の先輩としての威厳さえなくす。
 なのに。
「隼人、頑張ってね」
 うしろではクラスメイトが、敵に応援を贈っている。
 校内で1番の美人にがんばってと言われた後輩は、驚いて固まり、くるりと背中を向けた。なのに、舜の方はにこにこと笑っている。
「絶対勝ってやる」
 バレー部、2年の3人は、意欲に燃えた。当然勝てる。そう思っていた……。いたのに……。
 隼人が前衛に上がってきた途端、僅かな点差はあっさりひっくり返された。ラインギリギリ、鋭く決まるアタックに、バレー部以外は手を出せるはずもなく……。バレー部でさえ、ようやくレシーブを返しても、次にはまた決められるという有様で。
 アタックが決まるたび、自分のクラスが負けているのに、生徒会長は拍手を送っていて。
「東郷、本気になるなよ!」
「だって、中庭の掃除は嫌です。今の時期は手が凍るから」
「先輩に花を持たせろ!」
「可愛い後輩のために中庭掃除して下さい」
「てめー」
 ネットをはさんだバレー部同士の会話に、クラスメイトは逃げ腰で……。
「先生、メンバーチェンジ!」
 2年生のバレー部員がメンバーチェンジを申し出る。
「織原、ちょっと」
 クラスメイトに呼ばれ、舜は立ち上がった。
「僕は見学したいんだけれど」
 出来れば、1年生側で……。
「東郷の前に立ってくれるだけでいい。あいつが飛ぶのに、一緒にジャンプするだけ、な?」
「でも、隼人が嫌がるだろうし」
「織原頼むよ。そうだ……、あのな……」
 バレー部のキャプテンは舜の耳元でごにょごにょと何かを囁く。
 それを聞いて舜はニッコリ笑って、頷いた。
 
 
「卑怯ですよ!」
 舜がメンバーに入っても、隼人は気にしなかった。舜さえ狙わなければいいのだと思って。けれど、舜が自分の目の前で、両手を上げてブロックに飛んだ途端、強くボールを叩けず、ボールは弱々しく逸れていく。
「なんで、織原だって2年生だからな。どこが卑怯なんだよ」
「せんぱいー」
 恨めしげに舜を見やれば、舜は愛らしい顔で笑って、ごめんねと謝る。
「いいもの貰う約束したんだ」
「いいものって何ですか?」
「内緒」
 可愛く微笑まれれば、それ以上のことは聞けない隼人は、バレー部のキャプテンを睨む。
「買収工作だー」
「勝てばいいんだよ。織原に遠慮せずに打てば?」
「くぅ〜〜〜〜〜。勝てばいいんですねー」
「おうよ、東郷たちが勝てば、今日の部活は2年が玉拾いするさ」
「本気ですね!」
「ああ!」
「お前ら、早く試合を始めろ!」
 体育教師の怒鳴り声に、隼人は教師に向き直る。
「先生、授業範囲内でなくてもいいですよね? 向こうもああ言ってるんだし」
「ああ、いいぞ。ただし、バレー部のアタックはバレー部以外狙うなよ」
「わかってます」
 隼人はメンバーを集めてあることを囁いた。
「何しても負けだって、東郷が飛べないんじゃな」
 バレー部の2年生はにやりと笑う。
 そして、あっさり、3点が2年生に入り、隼人は後衛に下がった。舜は移動せずに、前衛にいる。
「ちょっ、待て、東郷! それは反則だろ!」
 サーブの順番になり、隼人はボールを持ったまま、体育館ギリギリまで下がった。
「先生、あれは反則だよ!」
 バレー部員が教師に向かって叫ぶ。バレー部員以外は、何が起こるのかわからないようだ。
「大丈夫です。バレー部員以外は狙いませんから」
 隼人は大きくボールを前方に投げると、数歩を走り、大きくジャンプする。
 パシンという小気味のいい音の後、ボールは信じられない勢いで、宣言した通り、バレー部員の足元で破裂したように跳ねた。
「うっ……」
 一歩も動けなかった彼は、飛んでいくボールを目で追うことも出来なかった。
「隼人、かっこいい……」
 ネットギリギリをボールが掠めたと思ったときには、もうパシンという音がしていた。
「や、やめろ、東郷! 織原は下げるから!」
「もう遅いです!」
 2度3度と隼人が飛ぶ。あっという間に、ゲームは終わった。
「まあ、体育の授業にはならなかったが、面白かったな」
 教師がそう呟いたとか、呟かなかったとか。
 
 
 
「一体、何を貰う約束したんですか?」
 学校からの帰り、隼人は舜の家に寄り道をした。舜の部屋で、彼のベッドに座り、舜を背中から抱きかかえ、隼人は尋ねた。ちょっと恨みを込めて。
「内緒」
 なのに舜は答えようとしない。クスクス笑っている。
「もうちょっとで舜にボールぶつけるところだったんだからな」
「カッコよかったよねー、隼人」
 隼人の恨めしげな声も、舜にはまったく通じていない。隼人はがくりと項垂れる。
「一度でいいから、隼人とバレーをしたかったんだぁ。隼人と同じチームだと足手まといになるだろうけど、相手チームだと、邪魔にならなくていいよね?」
 これを本気で言っているのだから、怖い、この人は。
「ほんとカッコよかったなぁ。この手だよね。ボールが速くて、まるで隼人に操られているみたいだった」
 自分の前に回されていた隼人の手を舜がそっと持ち上げる。
「やっぱり、コートの中で見ると、迫力が違うよね」
 舜の白く長い指が、隼人の右手の指を一本、一本に触れていく。
「素敵な手」
「舜……」
 舜が隼人の手を自分の頬に持っていく。強く頬に押し当て、自分の両手も重ね合わせる。
「舜……」
 残された手で旬の腰を強く抱きしめ、隼人は舜の晒された細いうなじに唇を寄せる。
「隼人……」
 甘い声が零れ出る。
 シャツの下から手を入れる。滑らかな肌の感触を味わう。
 その時、クスリと舜が笑った。隼人はむっとして、舜の耳に囁く。
「余裕?」
 舜は熱い吐息を漏らし、首を竦める。
「だって、隼人の手……」
「俺の手? 好きなんでしょ?」
「うん……。ステキ……」
 頬に添えられた手を幸いに、強引に自分に向かせる。見つめ合い、視線を絡め、舜のまぶたがゆっくり下りていくのにあわせて、唇を重ねる。
「好き、隼人……」
 キスの間に零れる甘い言葉に、隼人は理性を脱ぎ捨てる。
「舜……」
 好きという言葉は、直接耳に吹き込む。
 ゆっくりベッドに恋人を押し倒す。綺麗な身体を一枚ずつ、大きな手があらわにしていく……。
 
 重ね合わせた手は、指を絡めあい、舜が縋りつくように、その大きな手を掴む。
「あっ……、隼人…ぉ……」
 潤む瞳を指で拭う。
「苦しい?」
 必死で首を振る舜の唇を吸う。
「……いい…」
 熱い息の中から漏れる淡い響き。
「俺も……、すごく……、いい……」
 強く押しつけ、優しくひく。
 繋いだ手で伝え合う気持ちは、とても熱く、そこから溶け合うようだった。
 
 
 
「これっ!」
 後日、舜が手に入れたもの……。
 隼人がそれを真っ青な顔で取り上げたとか、取り上げられず返してくれと頼んだとか、それを渡した先輩が隼人のボールの標的になったとか、ならなかったとか。
 それはうわさ……。
 ただ、バレー部でジャンピングサーブが流行ったのは、明らかな事実で……。