ハート・ハード
「あ、隼人だ」
背中から聞こえる声にドキッとする。振り向くと、そこにはやはり、隼人の心臓を更に早くさせる美人が立っていた。
「先輩」
名前で呼んでと言われたけれど、学校内では、やはり『先輩』と呼んでしまう。それについては、舜のほうも異存はないらしい。
ただし、舜のほうは、隼人がどこにいても、遠慮もなくあっけらかんとした声で『隼人』と名前を呼んでくださる。周りの者も、もう慣れてしまったらしく、一時の様に冷たい目では見なくなってはいるが、それでも隼人は名前を呼ばれる度、落ち着かない気分になってしまう。
「お昼、一緒に食べよう」
「はい」
隼人の短い返事に、舜はこのうえない笑みを浮かべる。隼人は鼓動の速さの限界を試されているのかと思ってしまうというのに。
「じゃあ、迎えに行くね」
邪気もなく言われ、頷きかけて、ぶるぶると首を振る。いくら殆ど公認状態とはいえ、悪意の含まれた野次がないわけではない。
自分だけなら耐えられるが、舜は巻き込みたくない。それくらいのことで揺らがない人だと、十分わかっているつもりだけれど、それでも、隼人は守りたくなってしまう。
実際に、舜の失脚を狙い、舜を手に入れんがため、夏休みの前には一騒動が持ちあがったのだ。
「踊り場のところで待ってて下さい」
舜は小首をかしげ、少し不満そうに唇を尖らせながらも、わかったと言った。
「じゃあ、後でね」
更に極上の笑みを浮かべて、舜は戻って行く。その先に舜の右腕と呼ばれる九鬼の姿を認め、一瞬湧き起こる苦いものを隼人は苦労して飲みこんだ。
九鬼と自分では護るべき場所が違うのだとわかっていても、嫉妬心は消せない。
『こんなに独占欲が強かったのかなぁ』
舜に出会うまではわからなかった自分の心。暗い気持ちになりかけて、否定する。
…………俺は、俺だから。
『隼人と居る時が、一番僕らしく居られるから』
そう言ってくれた。その言葉が大切なんだと、気持ちを切り替える。
昼休みまであと1時間。そう思うと、口元が緩む。
「なあ、一応ハンサムに見えてるのに、そのにやけた顔じゃ台無し」
高柳の揶揄も気にならなかった。拳骨のお返しはしておいたけれど。
「せ、先輩、ほんとにここ、いいんですか?」
隼人は焦って舜の手首を押さえた。
昼休み、隼人と待ち合わせた舜は、どこで食べますかと訊いた隼人を屋上へと連れてきた。そして立ち入り禁止になっているはずのドアを涼しい顔で、ポケットから取り出した鍵で開けてしまった。
「いいよ。誰も来ないし、ゆっくり出来るよね」
誰がこの人に投票したんだと恨みたくなる。鍵だって、きっと生徒会長という信用で持ち出してきたのに違いないんだと思う。
「でも、見つかったりしたら」
「ああ、誰も来ないよ。隼人は心配性だね」
舜が気にしなさ過ぎるんだと思う。思うが口にはしなかった。無邪気に、どうしてと訊かれるのがオチだから。安田基梓が舜をして、人の天秤で測れるやつじゃないと言っていたけれど、それは多分、世間の常識からも大きく離れていて、しかも自覚がないという意味なのではないかと、隼人は疑っている。
つまり、天然ボケ。なのに、頭脳は怜悧な刃物よりよく切れるのだから、始末が悪い。
とうとう舜がドアを開けて、二人は屋上へと足を踏み入れた。
「あーあ、生徒会長が校則違反してる」
隼人が言うと、舜はクスクス笑う。
「真面目過ぎるよ、隼人」
見た目も麗しい完璧な生徒会長が、そういって笑う。憎らしいくらい、愛らしい微笑みを、隼人は他の誰にも見せたくないと思う。そんな独占欲に少し心苦しくなる。
「早く食べよ?」
黙って頷くしか出来ない自分がもどかしくもあった。もっと、舜に相応しい男になりたいと。
「それ、何ですか?」
舜は食べ終えたお弁当を袋に入れて、かわりにあるものを取り出した。
「隼人、これ、掛けてみて」
手渡されたものは、3Dシアターなどで貰う紙製の眼鏡によく似ていた。
「3Dとも違いますよね。赤と青じゃないし」
「いいから、掛けてみてよ」
言われるままに隼人がその眼鏡を掛けると、舜は小さな丸い蝋燭を出し、一緒に取り出したマッチで炎を点けた。
「どう見える?」
舜は悪戯っ子のように、眼鏡を掛けた隼人を覗きこむ。
「あ……、これ」
オレンジ色の炎の左右に、小さなピンクのハートマークが浮き出して見えた。
「昨日両親がね、親戚の結婚式に行って、そこで貰ってきたんだ。キャンドルサービスの時にみんなでつけたんだって。会場に一杯ハートが浮かんだんだって」
見れば舜も同じ眼鏡をかけていた。
「昨日から、隼人と一緒に見たいと思ってたんだ」
「綺麗ですね」
「僕から隼人へプレゼント」
舜はクスクスと笑って、隼人の肩に頭を寄せてくる。
「舜……」
名前を呼ぶと、舜は嬉しそうに微笑んで、隼人の首に、自分の細い両腕を巻きつけた。隼人はその唇をそっと盗む。
抱きしめた背中は、鍛えられた隼人の腕の中で、折れそうなほどに細い。
「隼人……」
耳元で囁かれると、ゾクリと背筋が粟立つ。
舜の優しい香りに、ここしばらく抱きしめられなかった、お互いの忙しい時間を思い出す。
「離れて、舜」
最後の自制でそう告げるが、舜は余計に隼人にしがみついてきた。
「舜……」
困りきった声で言うと、いつもの舜なら仕方なさそうに笑って離れてくれるのに……。今日はなぜか、しがみついて離れようとしない。
「どうしたんですか?」
「抱いてって、言わせたい?」
舜の甘い声に、隼人は抱きしめる腕の力を強める。
好きだから。どんな我が侭も聞いてみたくなる。
「隼人……、大好き」
そう言ってクスクス笑う憎らしい人が、愛しくてたまらない。
唇を吸いながら、隼人は舜の制服のボタンを外していく。白く薄い胸に、夏の名残の太陽が反射する。薄いピンクの乳首を強く吸うと、隼人の肩を掴んでいた手が、ピクンと震えた。
「大丈夫?」
隼人が顔を上げて聞くと、舜は薄く染まった頬をして頷いた。
コンクリートの床の固さで舜を傷つけたくなくて、隼人は自分の膝の上に舜を背中向きで抱き上げた。
「隼人……」
顔が見えないと嫌がる舜を背中から優しく抱きしめる。
「この方がきっと……、楽だから」
うなじにキスを繰り返し、ベルトを外す。そっと手を差し入れると、舜の分身は半ば起ち上がりかけていた。
「隼人……、手、……熱い……」
背中からも手を入れて、滑らかなふくらみを辿り下りていく。自然と浮き上がる腰に助けられて、舜を包む邪魔な布を取り払った。
「舜、誰にも見せたくないのに」
「あ、誰も見ないよ、……っ」
裏側から先端の敏感な所を強く掴むと、舜の背中が反り返る。
指を含ませると、舜はたどたどしく、それらを吸う。ゾクリとするような、滑らかな舌に濡らされて、隼人は指を引き抜き、舜の後ろを探る。
「あっ……、隼人っ……」
慣れない痛みが襲うのか、舜が逃げようとする。
「舜、少しだけ、我慢して……」
差がひらいてきた身長のせいで、舜は隼人の声を耳元で聞いてしまう。コートの中でも良く響く、優しく甘い声。
「隼人……」
ねだるような甘い声に、隼人は指をゆっくり潜らせていく。
「ああっ……」
「舜、熱い……」
背中に照りつける太陽と……、指に伝わる熱。
自分のベルトを外し、猛る分身を出す。そして、指の代わりに、愛しい人の身体の中に押し入る。
「はや…………っと……」
舜が声にならない声で名前を呼んだ時、午後の授業の開始を知らせるチャイムが、高らかに鳴り響いた。
けれど、二人は離れられず……。
蝋燭の灯が、コンクリートの上で、陽炎を揺らしていた……。