SELENE

眠り<SLEEP>






 夢を見て……夜中に目が覚めた。
 厭な汗が全身を包み、どうしてもそのまま眠れなくてベットから起きあがる。
 昔よく見た夢だ。
 しばらく見ることの無かったその夢が、最近また良く現れるようになった。
 幼い頃の……、助かった者と助からなかった者。非情な運命を目の当たりにしたあの事故。
 動悸が治まらない。
 なにかの暗示なのか。
 それとも……。

 シャワーを浴び、ふと見た横の鏡に自分の姿が映っているのが見えた。
 痩せて青白いだけの貧相なシルエット。
 いくら食べても太らない体。
 白い肌は紫外線を拒否して、焼けもしない。
 筋肉が付き難いのか、酸素ボンベなんかの重い荷物を平気で担ぎ上げるくせに、全然太くならない。そればかりか、ひょろひょろと背ばかりが伸びて、その他のもの統べてが追いついていないような気がする。
 男として当たり前に持っていてもおかしくない精悍なものや、それに釣り合う精神も……。それはまるで何か人として当たり前に持ち得なくてはならないものを、全て拒否しているようで、自分でも訳の分からぬ不安に陥ってゆく。
 急ぐ必要はないと、あの人は言ってくれる。
 だが、それを素直に納得できるほど俺は大人ではないのだろう。そしてそのまま言葉通りに甘えられるほど子供でも。
 乾ききらない水滴が重力に従い、髪の先から珠を作って落ちてゆく。
 あの時の雨のように、ポタリ……ポタリ……と。
 少し前まで伸ばしていた髪は、ダイビングの時に便利だというのが表向きの理由だったが、本当は自分のコンプレックスを隠す意味が大きかった。
 思っている事の半分も言葉では伝わらないのだと……。あの時以上に傷つく前に、自分を隠してしまいたくて……。
 言葉を紡ぐ事に臆病になり、自ら人を遠ざけ、ロジックの世界へのめり込んだ。
 誰も近くに居なくても良い。
 一人がいい。
 そう思っていた事に嘘は無いはずなのに、いつしか孤独と信頼関係が奇妙に共存するダイビングに没頭し始めたのは、割り切れなかった心の残滓なのか。
 幼い頃の、あの恐ろしい痛みも……時間が経てば癒えてくるものなのだろうか。
 自分が幸せになることを、許してもいいのだろうか。

 鏡に映る自分の姿。
 首筋にあの人がつけてくれた赤い印が見える。
 そっと指でなぞると、甘い疼きが身体に走った。
 男に抱かれて喜ぶ自分。
 あまりの欲望の深さに涙が滲んだ。
 でも、自分の気持ちに嘘は付けない。
 どうしても離れられない。
 彼が居なければ、……自分はもう息を継ぐことも出来ないだろう。

 永遠を誓ってくれる言魂。
 それを信じてしまう自分。

 「眠るのが怖い」のだと言ったら、彼はどんな顔をするだろう。

 夜毎訪れる、あの子の悲鳴。
 愛情の名の元にぶつけられた理不尽な言葉。
 閉ざすことで人形となった骸は、愛する人と出会って人へと近づいたのかもしれない。
 でも、それは、逃げるしかなかった過去の弱い自分との対峙でもあり……。

 これを乗り越えなければ

 自分は

 大人に

 なれないのかもしれない。


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