SELENE
unconsciousness
初めてあの人に逢ったのは、俺が中学生の時だった。
遊びに行った友人宅。
彼の二番目の兄だというその人はやたらと急いでいるらしく、挨拶もそこそこに慌ただしく家を出ていってしまった。
俺はすれ違いざま、その横顔を掠め見ただけ。
でも、何故かその横顔と、勝也が叫んだ「タクちゃん」という声がいつまでも頭から離れず……。
――そして。
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リビングへ行くと、下のほうから千円札がにゅっと飛び出してきた。
「京、コンビニでこの雑誌買ってきて」
ソファにごろ寝しながら、俺に命令するのは年の離れた姉。
何年も前に嫁に行ったはずなのに、このところ、何故か用も無いのに実家へ入り浸っている。いつだったか『今に離縁されるぞ』と厭味を言ったら、遠慮の無い蹴りが飛んできた。相変わらず乱暴な女だ。以前、旦那さんに同情したら、何ともいえない笑いが返ってきたので、どうやらああいうのが好きだという事らしい。人の趣味は解らないものだ。
近所のコンビニに行き、頼まれた本と、自分の飲むミネラルウォーターを買った。
預かっていた札をポケットから出しレジで支払う。釣り銭は俺のもの。こういう所はアネキはケチケチしないし、共稼ぎで子供無しの高級取りだから、遠慮もしない。
ゴミにしかならない袋は断って、シールだけ貼ってもらい、店の外に出る。途中、信号が赤に変わったので、なんとなく手持ちぶさたで雑誌をめくった。
心臓がトクンと鳴る。
美少女モデルで有名な『聖夜』が、見開きでこちらを見つめていた。
透き通るような中世的美貌と、『睨んでいる』と言ってもいいそのキツイ表情は、彼女のアイデンティティとも言われていて、男女問わずものすごい人気らしい。
でも、俺はなんとなくそれ以外の何かを感じていた。
今までモデルとかそういうものにはまったく興味がなかったが、彼女の顔だけは何故か探してしまう。そんな不思議な存在。
目を奪われるまま、信号がになるまでの短い時間、俺は『彼女』とみつめあった。
頼まれた雑誌を愚姉に渡したあと、俺は部屋に戻ってマシンの電源を入れた。
立ち上がるまでの時間、買ってきた水を一口飲む。
正常起動を示すプロンプトが点滅している。俺の頭には、何故か先程見た『聖夜』の顔と、何年も前に見た勝也の兄の横顔が交互に浮かんでは消えていった。
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帰り道、突然呼び止められ、そういう意味で差し出された手紙に戸惑う。
受け取らずに拒否したが、目の前で泣かれてしまった。
「月乃くん……どうしても駄目?」
駄目も何も、こちらはまったく相手を知らないのだから、これ以上の対応は出来ないと思うのだが、どうなのだろう。
……頼むから目の前で泣かないで欲しい。悪いけどアンタの名前も顔も、今初めて知ったのに。それでどうして俺がアンタと付合えるんだろう。普通に考えてみても変じゃないか?
ベソベソと泣かれ、だんだんと拘束されている事に、うんざりしてくる。
自慢出来る事でもないが、自分は愛想を振りまいた事なんか無いし、モテようと思った事も無い。周りにはもっと如才が無くて優しくてイイヤツが山ほどいるだろう。何故俺なんか構うんだ。放って置いて欲しい。
俺は目の前で泣いてる女の子を前にしても、面倒で溜め息しか出ないような男だ。そんな奴なのに、何を期待してるのか本当に訳が解らない。
実のところ、あまり女は得意じゃない。嫌いという訳でもないけど、何かを期待して甘えてくる姿がどうにも苦手なのだ。
庇護欲をそそるとか、そういう仕草がたまらなく可愛いのだという話もよく聞く。それは頭では理解しているし、そういうものだと思っていても、馴染めないものは馴染めないのだから仕方が無い。
別に自分が守って欲しいとか甘えたいとか、そういうのとも違う。求めるのは対等な価値観。互いを刺激しあえる、そんな関係。それを今、同じ年頃の女の子に求めるのは難しいと、ある大人に言われてしまった。
スキンシップが薄い家で育ったせいか、女の子達が望むような、そういうベタベタしたものに馴れていないだけだと、そう言われてしまえばそれまでなのだが、以前、強引に押し切られて付合ってみた女の子と過ごした時間を思い返してみても、今後もそんな風になれるかどうか、あまり責任は持てない。
なのに何故か高校に上がってからというもの、交際を申し込まれる割合がやたらと増えてしまった。
ウザイ。本気でウザイ。なんでもいいから俺の事は放って欲しい。
「ごめん」
これ以上の言葉を言えず、シクシクと聞こえてくる女の子の声に背を向けた。
しばらく歩くと、一緒に帰るつもりがこんな事になってしまい、気を利かせて少し離れたところにいた勝也が、気の毒そうに笑いながら近づいてきた。不本意だが、もうこういった事が互いに日常に近い出来事になりつつあるので、顔を見合わせ、苦笑いするしかない。
目の前の友人は、俺以上に女の子に人気があったが、中学からの長い付き合いなので、誰か好きな人が居るらしい事は分かってる。そしてその事にとても苦しんでいることも。
でもこれは俺が無闇に詮索していい話じゃないし、勝也から直接話してもらえる言葉が俺にとっての真実だから、それを待つだけだ。
「行くか」
「うん」
穏やかな声に促され、彼の家へ向かって歩き始める。
お互いの趣味や話が合うので、互いの家を行き来するようになって大分なる。
俺の家は、両親が留守がちで気が楽だったし、勝也の家は兄弟が多いみたいだったけど、行動する時間帯が微妙にずれているせいか、なかなか他の家族ときちんと顔を合わせる機会はない。時折話に聞く、彼の三人居るという兄達は、ほとんど家にはいないようで、丁度良い放任感があった。
勝也の部屋で過ごす、静かな時間が好きだ。同じように勝也も、俺の部屋をそう言ってくれる。
他愛の無い話の間に生まれる、沈黙が気にならない関係は、俺にとって貴重なものだった。
今もそう。それぞれに集中するものが出来てしまい、ふと出来た無言。
別に黙ったままでも一向に構わなかったのだが、いい機会なので、長い間気になっていた事を聞いてみる事にした。
彼の兄の事。
俺としては「二番目の兄」という人の事が聞きたかったのだが、「兄」というフレーズに勝也の顔が一瞬緊張したのが分かった。すぐにいつもの顔に戻ったが、触れられたくないという空気が伝わる。
今、特にどうしても……、という話でもないので、俺は気付かなかった素振りで話題を変え、その後帰宅時間までを過ごして、三池家を後にした。
帰り、家までそう遠くは無い夜道を歩く。
遠くを走る高架の上。高速道路の高さにあわせたビルボードがライトアップされている。
眩しい。
『聖夜』だ。
あの雑誌でみた、見開きのグラビアと同じ顔。
迫力のあるアップが、特大のサイズでこちらを見つめている。
なんとも自分では解決し難い気分になり、振り切るように足早に家路を辿った。
突然人の気配に気付き、横の路地に視線を移す。
身体が硬直した。
自分の目を疑ってしまう。
勝也の兄さんが、誰かを抱きしめてキスをしている。
記憶の彼より少し大人びてはいるが、間違い無い。
写真のように脳裏に焼き付いたあの横顔。忘れる訳も無い。
心臓が飛び出るかと思った。
気が付いたら走っていた。
走って走って……家に早く帰りたい。それだけしか考えられなかった。
自分の部屋に入り、鍵をかけ、電気も点けずベッドに潜り込んだ。
目尻を伝って流れるものが涙だと気付いて、傷ついているらしい自分に驚いた。
次の日、俺は訳の解らぬ自分の気持ちを、全て見なかった、気付かなかった事として無理矢理ケリを付けた。
不可解なこのダメージは自分でも説明が付かないし、無表情は俺の十八番なのだから問題は無い。
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その後、何事もなかったように日々が過ぎ、ちょっとした話題から勝也から3人居る兄の内、2人は双子だという話を聞いた。
長い付き合いだったが、いままであまり兄弟の詳しい話をされていなかったので、ちょっと驚いた。
好奇心よりも、確かめいたい気持ちが強かったかもしれない。
最近撮ったという写真を見せてもらう。
服が違わなければ、まるで鏡に映った姿のようにそっくりな2人の青年の姿が、そこに写っていた。
同じ笑顔。
同じ髪型。
何処まで本当か解らないが、この時は、ある人をからかう為に、わざと同じにしていたのだと勝也は笑う。
脳裏に焼きついた、あの忘れられない横顔がオーバーラップする。
何故か、自分の覚えている顔は右に居る青年に重なってゆく。
左の青年は違う。
――そう、『聖夜』の空気に似ているのだ。
勝也が質問してくる。
「『正也』と『拓也』っていうんだ。どっちがどっちだと思う?」
俺は迷わず、一人の青年を指差し……、一人の名前を呼んだ。
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