SELENE

Birthday Celebration
 
 
 カレンダーの日付を示す数字を、京はじっと見つめた。
 8月も下旬、最後の週末。
 季節は残暑ともいえる時期にさしかかっていた。
 去年の今頃、自分は何をしていただろうと首をかしげるが、元々何事にも執着の無い京の事なので、去っていった日常は記憶に薄く、詳しい事はほとんど思い出せない。
 夏の思い出は、恋人が関わった時間と……勝也の誕生日だけ。
「勝也……」
 京の一番親しい位置にいる友人。
 親友と呼ばれ、同じく呼ぶ事を許されるようになってから、どのくらいの年月を一緒に過ごしただろうか。
「今年から当日は……やっぱ無理か」
 勝也が射止めた恋人は、京の担任でもあり、ほぼ毎日顔をあわせている人物。勿論二人の関係を知るものは、ほとんどいない。
 近すぎるほど近い位置で、長い間苦しい恋を続けていた勝也。
 京自身何が出来る訳ではなく、じれったいほど進まぬ二人の仲を、ただ見続けるしかなかった。
 ようやく想いを通じ合わせる事が出来た二人を、本当に良かったと心から祝福する気持に嘘は無い。だが、その陰に『寂しい』と思ってしまう自分も確かにいる。
 ふとした拍子に勝也を探し、必要としてしまう京を見つけた拓也が、不満を見せるのは当然の事で、この場合の嫉妬という感情は、正当化されても仕方がない。
 京本人も、無意識で発した言葉を指摘される度、申し訳ない気持ちになるのは勿論の事、かなり情けないと反省もする。
 京には拓也が居てくれる。それでいい。それ以外必要ないはず。
「解ってるけど……」
 勝也の誕生日、一緒に祝う事はもう無いとしても、贈り物くらいはしたい。
 どうせなら、勝也が恋人と二人で使えるようなものを。
 そんな気の利いたものが見つかるかどうかは解らなかったが、京は街へと向かった。
 遅くやってきた夏は、真夏の暑さをこの時期まで引きずり、かなりの気温で地面を焼いていた。
 街路樹の木陰に入り、小さくため息を吐く。
「あつ……」
 黒髪は尚、直射日光を吸収するのか、頭のてっぺんがとんでもないほど熱くなっていた。
 熱を逃がすように、髪を指で掻きあげ首を振る。ふわりと舞った風が、少しだけ気持ちよく感じた。
 街に出てきて数時間。思いつく限り様々な場所を歩き回ったが、贈り物として「これ」といった気に入る物が見つからない。何よりも自分は気に入ったが、勝也だったらどうだろう? と思うとどうしても決められないのだ。
 出来れば使ってもらえる物を。そして、勝也の恋人が……嫌がらないものを。
 今までは誰が相手であっても、品物を見れば余計な事を考えるまでもなく、送り先の相手の顔と重なり、難なく選ぶ事が出来ていたのに、今回はどうしても上手く行かない。
 どうしようかと本気で途方に暮れていた時、携帯電話のベルが鳴った。
『京?』
「うん」
 恋人の声に、ほっとため息が漏れる。
『用事が早く終ったんだ。逢わない?』
「あ……」
 どうしようかと悩む。
 拓也には逢いたいが、決まらないプレゼントを選ぶのに付き合せるのは申し訳ない。
『予定ある? 突然だし、用事があるならそっちを優先して構わないよ?』
「ううん、……大丈夫」
 咄嗟に返事をしてしまった。言ってしまってからどうしようと思う。
「俺、買い物に出てて……」
 今居る場所を告げると、珍しいと言われ、そうか? と思う。
『欲しいものは買えたの?』
「………………まだ」
『付き合うよ。すぐ行くから、涼しい所……そこだったらNビルの地下に来れる? 噴水の横のベンチで待っていてね』
 優しく言われ、答えると同時に頷いた。
 オフィスが回廊のように建っている中央にある、地下から吹き抜けた公開空地へと足を向ける。待ち合わせ場所はすぐそこで、目的地は既に見えていた。
 受付嬢が目の前にいるエレベーターか、見逃しそうな階段でしか来る事の出来ない場所のため、ほとんど人影は見えない。
 地下という位置と、建物と樹の作る影。噴水の起こす涼やかな風の流れで、実際地上よりもかなり気温は低くなっているようだった。
 待ち合わせ場所一つにしても拓也の気遣いが感じられ、京は幸せに頬を緩めたが、同時に残されていた問題も思い出してしまう。
 勝也の誕生日は明日。
 勝也は誰よりも優先する相手との時間を過ごすだろう。
 出来れば今夜、渡そうと考えていたプレゼントだが、どう考えても今決めてしまわなければ到底間に合わない。
 うだうだと取り留めの無い事を考え、行動が遅れた自分を今更後悔しても始まらないが、先に行動を起こしていたとしても、結局今のように悩んで決まらないまま、当日を迎えた事は確かな気がした。
「京」
 ポンと方を叩かれ顔を上げると、言葉通り本当にすぐやってきた拓也が目の前に立っていた。
「はやい」
「京に逢えると思ったら、どんな物も僕を阻む事は出来ないよ」
「もう……」
 臆面も無い台詞に頬を染めると、丁度人目の無いタイミングを狙い、拓也が京の瞼へと軽いキスをする。
「っ、な……に?」
「何? って事はないでしょう? キスだよ。足りない? もっとちゃんとしたのが欲しい?」
 とんでもないと、真っ赤になった京がブンブンと首を振ると、拓也は軽やかに笑った。
「買い物ってなに?」
 京の隣に腰を下ろした拓也が問い掛けてくる。
「……決まってない」
「は?」
「あ……。じゃなくて、まだ決まってない。あれ?」
「京……」
 クスクスと笑う声に、京は困った顔で俯いた。
「買い物って、自分のもの?」
「違う、勝也の」
 その名前を出した瞬間、拓也の表情が僅かに曇った様な気がした。
「勝也の誕生日、明日なのに、まだ何も……用意してなくて」
 まるで言い訳のように告げると、拓也は今まで笑っていたのが嘘のように無表情になる。
「そんなの買わなくて良いよ。気持だけでいいんじゃない?」
「そんな……」
 拓也は勝也の兄だから、それでも良いかもしれない。
 京にしても、気持は勿論込めるのは当然だが、贈り物が無いとどうもしっくり来ないのではないかと考えてしまう。
 そう思って拓也を見つめると、いつもは優しい瞳がやたらと冷たい。
「勝也の為なら、苦手な街の中にも出てくるんだね」
「う……」
 贈り物を選ぶという意識に囚われていたせいか、特別意識はしていなかったのだが、拓也の言うとおり、街の中や人ごみが苦手な事は嘘ではない。
 だが以前よりは、目的を持って街へ出て、そのまますぐに帰宅するだけならば、一人でも耐えられない程の苦痛はなくなっている。
「もう、大分……平気だし」
 これ以上の説明が出来ずにいると、フと拓也が笑ったような気がした。
「……?」
 どうしたのかと見つめると、今度は拓也はそっと京の黒髪を撫でた。
「京は、勝也にお礼をしたいんだね」
「……うん」
 拓也に伝えたかった言葉を当てられ、素直に頷く。 
 世渡り下手の京の傍に勝也が居てくれた事で、降りかかる面倒から逃れられた事は数知れない。
 少しでも恩を返したいと思いながらも、なかなかその機会には恵まれず、いつも歯がゆい思いをしていた。
 そんな中にやってくる誕生日という定期的なイベントは、僅かでもお返しが出来るいい機会なのだ。
「京は律儀だね」
「……でもないよ。貰ってばっかりだし」
 拓也にしても勝也にしても、京の欲しいと思うものをタイミング良くくれる。
 自分で手に入れるには、ほんの少し躊躇してしまうような、でも傍にあったら幸せになれるような、そんな優しい贈り物を。
「どんなものを探してるの?」
「具体的には……。あ、でも」
「でも?」
「勝也と先生が……一緒に使えるようなものが良いかな、って」
 京の答えを聞いた拓也が何故か少し驚いた顔をし、その後すぐにふわりと微笑を浮かべた。
 今まで纏っていた冷たい空気が嘘のように消えてゆく。
 花が綻ぶような微笑に見惚れ、京が頬を染めていると、拓也は一つの提案を示してくれた。
「勝也に誕生日プレゼントなんかするつもりもなかったけど、京が考えているなら、僕と一緒にひとつの物を贈らない?」
「あ……」
 とても嬉しい言葉だったが……。
「……いいの?」
 京の勝手な想いに、拓也をつき合わせていいのだろうかと心が揺れる。
 だが、陽にしても、京一人から贈る勝也へのプレゼントよりも、拓也と京の二人から贈られるもののほうがきっと受け入れやすいだろう。
「勿論だよ。京と一緒だったら、ちょっと頑張った物も贈れるよね」
「……うん」
「じゃぁね、ファニチャーなんかどうかな? このビルの1階に、一点物やオーダーを扱ってくれるインテリアショップがあるから、そこにいってみよう?」
「家具? でも……」
 拓也の部屋より通った回数の多い勝也の部屋。勝手知ったるその部屋の、どこのどの場所に『家具』を置けば良いのか、京には考えもつかなかった。
「勝也の部屋には置く場所が無いって?」
 図星の言葉に頷くと、その辺は問題ないと拓也がウインクする。
 意味が解らず首をかしげると、勝也には隠れ家があるんだよと、拓也が教えてくれた。
「ええ?」
「知らなかった?」
 驚いたまま京が頷くと、拓也が何故か嬉しそうに笑った。
「勝也が家に居ない時は、大概そこにいるんじゃないかな」
「そうなんだ」
「寂しい?」
「どうして?」
 京の即答に、拓也がまた幸せそうに微笑んだ。
 流石、拓也が連れてきてくれたインテリアショップなだけあって、ショウルームには様々なセンスの良い家具が並んでいた。どれも手作りの一点物だと言う。
 そんな中、まだ保護シートに包まれた濃いブルーのソファを京が見つけた。
 生地に直接触れられはしないが、クッションの堅さも座り心地も良さそうだ。
「これはご注文いただいた品で……」
 京が商品について尋ねると、店員は京の顔だけでなく拓也にも視線を向け、申し訳無さそうに対応してくれた。残念で仕方ないまま、京は搬出されてゆくのを見送る。
「ああいうの好き?」
「うん」
 未練がましくソファの出て行ったドアを見つめる京に、拓也が宥めるようにそっと耳打ちする。
「じゃぁ、勝也にも自分たちの気に入った物作ってもらう事にしよう」
 勝也へのプレゼントは、二人からの贈り物という事で、フルオーダーのソファに決まった。
 その夜、二人からのプレゼントを告げると、勝也はとても驚き、大袈裟では無いかというほど喜んでくれた。
 だがその後、勝也よりも驚かされたのは、実は京のほうだった。
 拓也の部屋に呼ばれてゆくと、インテリアショップで見つけた、あのブルーのソファが置いてあったのだ。
「え? あれ? これ……??」
「前のソファ、ちょっと小さかっただろう?」
 拓也の綺麗な顔がイタズラっぽく笑う。
「僕の用事はあの店だったんだよ。今日出来てくるソファを、家に運んでもらう前に見に行っていたんだ。良いタイミングだったかな……。ね、気に入ってくれた?」
 京が首を横に振る理由はない。
 真新しいソファに座った拓也に呼ばれ、京は誘われるまま伸ばされた腕に身を任せた。

END

 
 
 
 

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