文月小夜
Remembrancer
「あー。う゛ー」
息子が話しかけるように少女に向かってご機嫌な声を出したので、母親も父親も驚いた。
「子供同士は人見知りしないのかな?」
父親が苦笑混じりに言う。
機嫌が悪くても泣き叫ぶことのない息子だが、酷い時は父親が抱いても、泣き止まないことが多い。
「可愛い女の子が好きなのかも」
母親も驚きながらも、抱き疲れた手を伸ばした。
『女の子じゃないよ』
少女が言ったが、母親は抱いている赤ん坊の性別のことを言っているのだと勘違いした。
『そうね、男の子よ。弟さんはいくつ?』
『3ヶ月。首が据わったんだって』
『じゃあ、京のほうが少しだけお兄さんだわ』
京と呼ばれた赤ん坊は、小さな手を少女に伸ばす。少女は髪が赤ん坊にあたらないように、顔を近づける。頬に貝のような手が触れると、優しく微笑んだ。
『可愛いね』
『ありがとう』
そこへ少女と同じ姿をしたもう一人の少女が駆けてきた。セーラーのラインとリボンはブルー。
『マミーがそろそろ行くよって』
『ツイン?』
『うん。抱かせてくれてありがとう』
少女は礼を言って、赤ん坊を母親に返した。
「ああー、ぁー、ぁー」
途端に赤ん坊が泣き出す。珍しく、声を上げて泣いている。
「あら……」
母親はゆらゆらと赤ん坊を揺らす。
『ごめんなさい。泣かせちゃった……』
『いいのよ。お母さんが心配するわ』
『ちょっとだけ待ってて』
少女はぴょこんと地面に降りると、迎えに来た双子の少女と手を繋いで、家族の元へともどった。家族はもう帰る用意をしている。
少女は母親に何かを訴え、こちらを指差していた。
こちらから母親がそっと頭を下げると、向こうでも頭を下げてくれた。そして、少女に何かを渡している。
それを受け取った少女は、今度は一人で駆けもどってきた。
『これ!』
小さなウサギのマスコットだった。タオル地でできたそれは、中に鈴が入っているのか、振るとちろりろと愛らしい音を奏でた。
少女は赤ん坊の目の高さでそれを振って、音を聞かせている。
赤ん坊がウサギを掴む。
ちろりろ、ちろりろ。小さな音に、赤ん坊は泣き止んで、それを見つめる。
「いいの?」
くれるということだろうか。でも、少女の弟が困るのではないだろうか。
『いいよ。もう一つあるから。じゃあね』
少女は赤ん坊にバイバイと手を振って、家族の元に戻って行った。
双子と手を繋ぎ、母親の周りを飛び跳ねるように公園を出て行く。
父親がクーハンを抱き、兄が荷物を持っている。
「兄弟が多いといいわね」
多分、誰もが夢見る理想の家族の休日というひとこまだった。
「あんな可愛い女の子が、京のお嫁さんになってくれるといいな」
「そうね」
二人は微笑み合って、小さなウサギを手にした息子を見つめた。
タオルで作られたその小さなウサギは、背中に「Takuya」と名前を書かれていた。
「あの子の、弟の名前ね、きっと」
「ああ、そうだな。あの女の子の名前を聞くのを忘れてしまったな」
ようやく機嫌のなおった息子を抱き上げ、自分たちも立ち上がる。
娘の留学先の寄宿舎も今の時間なら、学生達が戻っているだろう。
姿の見えなくなった少女の家族とは反対の出口へと向かった。
誰の記憶からも薄く消えて行く、異国での出来事だった。