文月小夜

… …  … …




 
「拓也くーん」
 背後からかけられた声にうんざりする。
 それでも正也は振り返ってにっこり笑った。
「何?」
 わざわざ真似をする必要など無い。彼女はきっとわからないだろう。
「今日ね、帰り奈々子も一緒でいい?」
 猫なで声で、上目使いに見上げてくる。自分を可愛いと思っているのだろうか。
「いいよ」
「それでさー。正也君も一緒に帰れないかな? ほら、三人だと、奈々子が可哀想だし」
 頬が引きつりそうになるのを堪えて、極上の笑みを浮かべてやる。
「いいよ。正也にも言っておくから」
「きゃー、きっと、奈々子喜ぶわ」
 手を叩いて、それじゃあいつものところでねと言って、彼女は廊下を戻っていく。
 バーカ。心の中で舌を出す。
「どこがいいんだ、あんな女」
 いいよ。一緒に帰ってやるさ。ただし、それで最後になっても、自業自得なんだからな。
 正也は唇の端に薄い笑みを浮かべて、拓也の教室を目指した。
 
「お待たせ」
 デュエットで言うと、彼女たちはぽっと頬をピンクに染める。
「せっかくだから、どこか寄っていく?」
 考えるまでもなく、彼女たちは頷いた。
 通学路から少し離れた、白い壁の、いかにも女の子達が喜びそうな喫茶店に、4人は座った。拓也と彼女の朋美、正也と奈々子。
「拓也君、今日の古文の小テスト、難しかったよね。朋美、半分も出来なかったかも」
「えっ、あんな簡単なの、わからなかったの?」
 答えたのは、朋美の向かいに座る正也だった。
「っ……、うん。私、古文は苦手で。拓也君も苦手だって、言ってた……よね」
 朋美は引きつりながらも、なんとか笑おうとする。
「拓也も苦手だけど、半分も出来ないなんて、そんなバカじゃないよね」
 はっきりバカだと言われ、朋美はきっと正也を睨んだ。隣では奈々子がおろおろしている。助けてくれるはずの拓也は、苦笑いを浮かべるだけで、視線を外している。
「正也君、ちょっと酷いわ」
 さっきまでのきつい視線はどこへやら、いかにも泣き出しますという顔で、朋美は正也を見た。
「でもさ、きみも酷いんじゃないの?」
「だって、正也君」
「僕は拓也だけど」
「……え?」
 朋美は慌てて、そっくりな二つの顔を見比べた。
「だから、君の隣にいるのが、正也で、僕が拓也なんだって」
「嘘、そんな、どうして?」
「僕に一緒に帰ろうって、誘ったんだぜ」
 朋美の隣の正也が答える。
「だって、拓也君って呼びかけたじゃない。ちゃんと」
「ちゃんと? 僕達は犬じゃない。名前で呼びかけて振り向く方で区別なんてするなよ」
「み、みんなだって間違えるでしょ?」
「そうだね。でもさ、仮にも拓也君に好きだって言ったんでしょ、君は。だったら、わからなきゃ。どちらでもいいなんてつきあいは、僕は認められないの」
 しらけた顔で、正也はコーヒーを飲む。
「わ、わかるわよ。今なら」
「そう? だったら、どっちが君の好きな拓也なの? 言ってご覧よ。本当は、君の隣が拓也かもよ?」
 朋美の正面の少年が問う。
 朋美はうろたえ、二人を必死で見比べた。
「タイムオーバー。すぐに答えられなきゃ失格だよ」
 4人分のコーヒー代を置いて、そっくりな双子は立ち上がった。
「じゃあね」
 かららんとカウベルが鳴り、ドアが閉まるのを、二人の少女は茫然と見ていた。
 
「ちょっと可哀想だったかな?」
 拓也がクスリと笑う。
「可哀想! 可哀想なのは、僕たちだよ」
 正也は呆れた様に声をあげる。
「どうしてあんな女がいいんだよ。わっかんねーな」
「崇志さんみたいな人なんて、そうそういないよ、正也」
「いるさ。本当に拓也だけをわかってくれる人が、きっといるよ。妥協すんなよ」
 拓也は力なく笑って、正也の頭を軽く叩いた。
「本当に、お前は優しいね」
「崇志に聞かせてやりたいよ。その台詞」
「本当は崇志さんだってきっとわかってるって。僕は、お前みたいに優しくなれない。僕のほうこそ、女の子の顔を見分けてなんていなかったのさ。誰でも良かったんだから……」
 正也はちらりと自分の半身を見て、あーあと、ため息を漏らした。
「拓也がモデルになってたら、僕はどうしていただろう」
「かわらないさ。僕は崇志さんを好きにはならなかっただろうし、僕がモデルになっていたのなら、いずれ正也と出会って、二人は恋に落ちるさ」
「なんだよ、拓也のほうが優しいじゃん」
 恨めしい声でそう言って、二人は駅までの道のりを、どちらが早いか、競争した。
 


 
 その少年は、勝也に連れられてやってきた。どこかで会ったような気がしたけれど、そんななんぱな台詞を言えるような雰囲気の子ではなかった。
 勝也の友人の中では珍しく、綺麗な顔立ちの子だった。痩身の身体は背の高さをもてあましている様にさえ感じられた。
 色が白く、表情は硬い。どこか……、そう、どこか自分と似たところがあると拓也は思った。
 世間に対して冷めている。そんな気がした。
 秋良と勝也とビーフシチューを作りながら、危なげのない手付きで下ごしらえをしていく。ただ、時折ちらりと向けられる視線が、どこか頼りなげで気になった。
 双子が珍しいのかと思っていたが、正也と視線を合わせると、意味ありげに笑う。どうやら、見られているのは自分だけらしい。
 だから、崇志を挟んで座っていた位置を、気づかれないように変わってみた。視界の端で洋也が呆れた様に首を振っているのがわかる。
 そして……。
 一瞬、正也の位置に向けられた視線が、はっとして、拓也に流れてくるのがわかった。一度目が伏せられ、次には間違いなく拓也を捉えた。
「いいんじゃないの?」
 正也が崇志の頭上を乗り越える様に声をかけてくる。重いと騒ぐ崇志を気にもせず、正也は「好みだろ」と囁く。
「崇志さん、どこで見分けてる? 僕達のこと」
 正也の下敷きになっている崇志に、拓也は尋ねる。
「どこでって。見たらわかるとしか……」
「だって、一人だけを見てもわかるじゃない」
「んー、まあ。正也だ、ってわかるのと、違うなってわかるのと」
「答えになってないし」
 正也が膨れるのに、拓也は笑う。そんなものなのかと思う。あんがい、簡単なのかもと。けれど、それをこうもあっさり言った人はいない。
 きっと、相手を思うと、二人の違いもわかってくるのだろうか。
「だったら、僕たちはどうやって、相手の想いに答えていけばいいんだろうな」
 拓也の呟きに、崇志はわけがわからないという顔をした。
「一途に好きでいればいいんじゃないの?」
 正也のあっさりした答えに、そう、簡単なのだと、拓也は笑う。
 ビーフシチューが出来あがる頃、京と目が合う。
 にっこり笑いかけると、うろたえるように視線が外される。
 楽しい。面倒だと思っていた夕食会が、途端に楽しくなった。
 食後の紅茶が配られ、どうやって彼を引きとめようかと考えていると、誰が出しのか、トランプが出てきた。
 そう……、引きとめるのは、これが終わってからにしよう。
 拓也は微笑んでカードを配った。
 


 

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