文月小夜

 
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 学校で配られたプリントを眺めながら、京はうーーーーーんと声にならない唸りを漏らした。
 それは「夏休みの宿題」として出された、現国の宿題の一つ『読書感想文』についてだった。
 一枚のプリントにびっしりとタイトル・著者名・出版者名が並び、この中から夏休み中に五冊を読み、読書推薦カードを作り、そのうちの一つについては原稿用紙五枚の感想文を書けというのだ。
 読書推薦カードはいい、まだ書く欄が少なめだから。
 けれど五枚の感想文は京の苦手とするところだった。
 本を読むのは好きだ。時間があれば、あまり分野を問わずに、興味の引かれるままにたくさん読む。
 けれどその時に感じたことを、いざ言葉にしようとすれば、どうにも曖昧になってしまうのだ。
 幸い、ざっと並んだ書名の中には、読んだことのある本が五冊以上含まれており、焦って本を買って読まなくてはならないという心配はない。
 同じ宿題を抱えている親友の勝也に尋ねてみたところ、「適当に書いておけよ。何なら書いてやろうか?」という答えが返ってきた。
 京がもう少し気楽な性格ならば、その言葉に甘えていただろう。だが、自分の義務については真面目な京は、『書いてもらう』という選択はできなかった。
 そしてうーんと唸る結果である。
 真っ白なままの原稿用紙を見つめていると、携帯に電話が入った。メロディーでわかる。恋人の拓也からだ。
『京? こんばんは。今、忙しい?』
 拓也より優先することは無いと思いつつも、真っ白な原稿氏を前にしていると、忙しくないという返事がちょっと遅れてしまう。
『ごめんね、変な時間に電話して』
 拓也は京の微妙な変化もすぐにわかってしまうようだ。
「大丈夫……。えっと、宿題に悩んでいただけだから」
 正直に言うと、拓也はクスッと笑う。
『もうすぐ夏休みも終わりだもんね。でも珍しいね、京がギリギリまで宿題を長引かせるなんて。もう終わっていたと思ってた』
「う……」
 確かに他の宿題はすべて済んでいる。
『何が残っているの?』
「……読書感想文」
『あぁー、僕も苦手だったなぁ。正也に書かせたらばれちゃって、大変だったことがある』
「ええ?」
 拓也らしくない告白に、京が驚きの声をあげた。
『正也はあれで、論文が得意なんだよ。先生の気に入るような書き方が絶妙なんだ。なんなら正也に書かせようか?』
 普段似ていないと思っていた拓也と勝也だが、こんなところはやはり兄弟だなと思う。
「自分で頑張る」
 京の答えに拓也はふふふと笑って、京らしいねと言った。
『あっ、そうだ。インターネットで感想文のサイトがあるらしいよ。年齢別に何パターンか作ってあるんだって。写すのは嫌だろうけれど、どんな風に書けばいいのか、傾向はわかるんじゃないかな』
「へー……」
 確かに、書き方がわかれば、テンプレートにはめ込んでいけばいいような気もした。
「ありがとう、拓也さん。探して書いてみる」
『じゃあ、京の憂いがなくなったところで、明日はデートできる?』
 多分、それを言いたかったのだろう。拓也のデートの申し出に、京はうんと小さく返事をする。
『お昼前に迎えに行くね。あ、軽く羽織るものだけ持ってきてね』
 どこへ行くのか具体的には教えてくれずに、電話はおやすみと愛してるという言葉を伝えて切れてしまった。
 たくさんの幸せと少しの寂しさが部屋に残って、京はつけたままのパソコンに向かって、『感想文』と検索のキーワードを入力した。

 拓也が連れて行ってくれたのは、アイスバーという、室内の壁もテーブルも椅子もグラスも、すべてが氷でできたバーだった。
 室内はマイナス30℃の世界で、入り口でダウンコートと手袋を貰っても、半時間も我慢できなかった。拓也が上着を持って来いと言ってなければ、もっと早く出ていただろう。
「話題性としては、面白かったよね」
 一杯だけジュースを飲んで外に出ると、それまでうんざりとしていた夏の暑さが嬉しく感じる。
「寒くない? 大丈夫?」
「うん」
 中にいたときは息をするのも冷たかったが、拓也の車に乗っていると、心から落ち着くことができた。
「宿題はできた?」
 運転しながらの拓也に聞かれて、京は「書けた」と返事をする。
 感想文のサイトを見つけて覗いてみると、拓也の言っていたように、小学生低学年向き、高学年向き、中学生向きといったように、年代別に分けて、感想文が書かれていた。
 高校生向きというのはなかったのだが、そのサイトには感想文の書き方というのがかなり具体的に書かれていて、それを参考にしたのだ。
「拓也さん、どうして知ってたの?」
 大学生の拓也がその存在を知っていたことが不思議だった。
「ヒロちゃんの所に行ったときにね、秋良さんがそのサイトの例文をプリントしていたんだ。ちょっと怒っていたなぁ。クラスの中から県内のコンクールに出すのに、それを選ばないように注意するためだって」
「大変だ」
 京は秋良に教わったことはないのだが、あんな先生に教えてもらいたいなと思ったことは何度かある。
「大学でも、厳しい先生だと、レポートを丸写ししたらわかるように、ウェプの論文をおさえている教授は多いよ」
「へー」
 せっかく勉強をしに行っているのに、他人の論文を写して単位を取ろうという気持ちがわからない。
「宿題が全部終わっているんなら、今夜は帰さなくてもいい?」
 ぼんやりと先生は大変だと思っていたら、耳元で甘い囁きが聞こえ、京はびっくりした。
 目の前の信号は赤で、拓也に肩を抱かれて、本当に息がかかる距離で囁かれていた。
 予期せぬ距離に耳元まで赤くなる。
「可愛い、京」
 チュッと耳にキスされ、驚きに声をあげる前に唇にもキスをされた。
「拓也さんっ」
 いくら車の中とはいえ、往来の人に見られていたらと思うと気が気ではない。
 困って拓也を見つめると、すぐに車は発進する。
「やっぱり帰さない」
 拓也に宣言されて、京は抗議の声を飲み込んだ。




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