文月小夜

Happy Sunday Happy Birthday


 五月晴れ。
 5月の空は青く、新芽が吹き出し風薫る。
 そんな晴天にそよ風の心地いい日曜日、兄から借りた(正確には兄の恋人から借りた)ビートルを運転しながら、拓也は愛しい人を迎えるため、彼の家に向かっていた。
 後部座席には、綺麗なリボンをかけられた包みが四つ。
 いささか不本意ではあるが、弟からと、正也から、この車の持ち主である兄の恋人と兄の連名の包みが一つ、そして、自分の分。
 先ほどから車内にたちこめるのは、ピンクのミニバラをメインにした花束。それは母の日に京がプレゼントした品物のお礼を兼ねて、拓也の母親が用意した物だった。
 それらのプレゼントの運び役になったような気がして、拓也は苦笑する。だが、今日は朝からどうしても自然に笑みが浮かんでくる。
 おはようと言うかわりに、おめでとうと言いたくなるくらいに。
 そう、今日は京の誕生日。
 柔らかい春の陽射しもそれを祝福してくれるようで、ハンドルを握る手も、車内の音楽に合わせて指でリズムを叩いている。
 うきうきと……。
 すべてのことに感謝できる、そんな日。
 
 閑静な住宅地の奥まった場所に京の自宅はある。
 塀に沿って車を停め、花束だけを持って、拓也は門に立った。
 こほんと咳を一つして、インターホンを押す。
「はい」
 ほどなくして、軽やかな声が聞こえた。
「おはようございます。三池です」
 室内では門に立つ拓也の姿は見えているだろうけれど、きちんと挨拶をした。
「あら、……どうぞ」
 少し驚いたような、その声に拓也は不安になりながらも、オートで解除された門を開けてエントランスに進んだ。
「どうぞ、拓也さん」
 今日の母親の柔らかな笑顔に迎えられて、拓也はほっと一息つく。迎えに来ることを京が言い忘れたかと思ったのだ。
「すみません、早かったでしょうか」
「いいえ」
 クスクス笑う母親に、拓也は首を傾げる。
「ちょっとお待ち下さいね」
 母親はますます笑みを深くして、二階に呼びかけた。
「京、拓也さんがいらしたわよ」
 ガタンと大きな音がする。と、吹き抜けから、ひょいと顔を見せたのは、確かに京に間違いはなく。ただ、ぼとぼと雫が落ちそうなほど、髪が濡れている。
「…………」
 不機嫌そうな顔に覗きこまれて、拓也は少し不安になる。
「おはよう、京」
「…………うん」
 それだけを言って、出たときと同じように、首がひょいと引っ込む。
「うんは、挨拶じゃないのに」
 ごめんなさいと言う母親に、拓也は笑っていいですと返事をする。お上がりになってと勧められたが、拓也はそれを辞退した。
「予約を取ってあるんです。なので、ゆっくりとは……」
 言いながら、手にした花束を母親に渡す。
「うちの母からです。花は持って出かけられませんので」
「あら、ありがとうございます。でも、まずはあの子に渡してやってください」
 そうですねと会話をしているところへ、二階から京が下りてきた。
「時間、間違えてたのは京でしょう?」
「え?」
 笑いを堪えながら言う母親に、息子はムッと唇を尖らせる。何のことかと目で問う拓也に、母親が口を開きかけると、「行ってきます」と京が割り込み、拓也の腕をつかんで外に出ようと促した。
「き、京、これ。持っては出かけられないから」
 花束を見えるようにかざした拓也に、京は不思議なものを見るように可愛らしいブーケに目をやった。
「母さんから、京に。誕生日、おめでとうって」
「あ……」
 それで気がついたのか、京は立ち止まり、その花束を拓也から受け取った。クンと香りを吸い込んだ。
「持って行けないだろ。飾っておいてもらおう。ね?」
 つい抱きしめたくなるほど可愛らしい仕草に、うずうずする手を引っ込めるのに苦労する。
「お願いします」
 黙って花束を差し出す息子に代わり、『友人』にお願いされて、母親は花束を受け取った。
「いってらっしゃい」
 息子がしたように香りを楽しみながら、母親は二人を送り出す。
「夕食の時間までには送ってきますから」
「え?」
「ん?」
 驚く様に見上げてくる、黒めがちの大きな瞳に、優しく微笑んで、拓也は月乃家をあとにした。
 車までのわずかな距離を京は拓也のうしろについて歩く。
「あ……」
 青い車体を見つけて、京が小さな声を上げた。
「秋良さんの車を借りてきたんだ。どう?」
「うん……」
 京の返事を聞きながら、拓也はクスクス笑い出す。
「何?」
「今日は、京の拗ねた顔と、うんしか聞いていないような気がするよ」
 拓也の指摘に、京は顔を赤らめ、上目使いに拓也を見上げる。
「もしかして、時間、間違えてた?」
 わずかに上下する頭はまだ湿っている。
「いい匂い」
 チュッと、頭の天辺にキスをして、あっと京が声をあげた時には、拓也は車に乗り込んでいた。
「いこう。横浜のレストランに昼食の予約を入れてあるんだ」
 助手席に京が座り、シートベルトをつけるのを待ってから、拓也は車をスタートさせた。
 
「うしろ、見てごらん」
「あ……」
 後部座席に乗せられたプレゼントに、京は目を見張る。
「これ、拓也さんが?」
「一つだけね。他のは、勝也と、正也と、兄さんと秋良さんの二人からの分。京におめでとうって預かってきた」
「でも、貰ったりしたら……」
 京は心細そうに拓也を見た。拓也は優しく微笑む。
「貰っておけばいいよ。京に貰ってもらうのが嬉しいんだから」
「……うん……。拓也さんのは、どれ?」
 大小さまざまな箱と、色とりどりの包装紙。どれが拓也のプレゼントなのかわからない。出来れば拓也からのプレゼントを最初に開けたいと思った京は、運転する拓也の顔を眺めた。
「どれだと思う?」
 少し意地悪な拓也の、問いに対する問いに、京は戸惑う。けれど、後ろを振り向き、四つのプレゼントの中から、一番小さな箱を選び出した。
 深いブルーのラメの入った紙に、銀色のリボン。そのラッピングが一番、京の好みに近いものだった。なにより、拓也のイメージにぴったりという気がしたから。
「これ…………かな?」
 拓也は運転しながら、ちらりとそのプレゼントを見て、へぇと驚き、そしてすぐに嬉しそうに笑った。
「当たった。どうしてわかった? 勘?」
「そうかも。……開けてもいい?」
「どうぞ。気に入ってもらえるといいけど」
 丁寧にリボンを解き、紙を破らないようにテープをはがす。そして紙を外すと、中から透明なケースに収められ、薄黄色の液体の入った、細身のガラス瓶が現われた。
「あ……」
 ガラスに刻まれた文字は、京の好きなコロンの名前が刻まれていた。
 ケースから取りだし、手でそっと包む。ふと広がった香りは、清廉な水のイメージがした。京をいつも優しく包む、水のイメージで……。
「つけてみる?」
 京は微かに頷き、自分に向けて、一吹きプッシュする。車内に広がる甘い香りに、京は静かに息を吸い、目を閉じた。
「拓也さんのと、少し違う?」
「僕のはメンズで、京のはユニセックス。その方が京には似合うかなと思って。一緒の方が良かった?」
 拓也の説明に、京は頬を染めて首を振る。一緒の香りというのに、恥ずかしさが増す。
「ありがとう、拓也さん」
「喜んでもらえて嬉しいよ。でも、お礼が欲しいな」
「お礼?」
「うん、車だからね。ここでいい」
 拓也はそう言って、自分の右頬をつんつんとつついた。つまり、そこにお礼のキスをしろということなのだろう。
 京は少し身を乗り出して、……でも窓の外が気になって、……拓也の頬を同じように指先でつついた。
 くすっと笑って拓也は、その京の手を握る。
「拓也さん……」
「おめでとう、京」
「ありがとう」
「京が生まれてきてくれて、僕の前に現われてくれて……、本当に良かったと思うんだ。ありがとう、京……」
「拓也さん……」
 握り締められた手に、もう一方の手を重ねて、京は拓也の腕に額を擦り付けた。
「他のも開けてみる? 実は僕も中身が気になっているんだ」
 京は頷いて、残りのプレゼントの中から、今度は一番大きな物を取った。
「それは、正也から」
 正也からのプレゼントはTシャツだった。黒地で後ろの襟元に、銀色のロゴの刺繍があるシンプルな物だった。実際に会ったことは数度だが、京の好みに合わせたプレゼントが嬉しかった。
 次に選んだのは、洋也と秋良の二人からのもので、鉱石の薄い切片を埋め込み模様にした眼鏡ケースだった。シックな物に見えるが、自然の石の煌きを利用したそれは、とても綺麗だった。
 最後に選んだのが、勝也からのプレゼントで、中身はCDだった。ケースはイルカの写真で、タイトルが『ドルフィン』
「かけてみる?」
 拓也に言われて、京はCDのフイルムを破り、銀盤を取り出した。CDプレーヤーに差し込む。
 ざざと響く潮騒の後、海の中をイメージした音楽と、イルカの鳴き声。
 一瞬にして、車内が海の中のように感じられた。
「京……」
 頬を指で擦られて、涙が流れていた事を知る。
「なんだか、幸せだなって……。俺……」
「うん、もっと、もっと幸せにしてあげたいよ」
 あとはあなたがいればそれでいい。それだけでいい。
 ごしごしと涙を拭い、京は今度は本当に嬉しそうに微笑んだ。
 

 昼食を予約したレストランでとった。そこでも誕生日ということで、レストランから特別にケーキをデザートに出してもらい、ろうそくをたてて祝ってもらった。
 そのあと、どこまでも続く海岸線をドライブした。
 穏やかな時間に、顔を見合わせては微笑みあう。
 ただそれだけで幸せだった。
 だから拓也がまだ日も高いうちから「送っていくよ」と言った時、京は俯き、拓也のシャツの裾をぎゅっと掴んだ。いつものデートなら、夜まで二人で過ごすのに、今日は誕生日なのに何故という気持ちもあるのだろう。
 だから、まだ帰りたくない……。京の無言の甘えに拓也は穏やかに微笑む。
「今日は帰ろう……。ね?」
「……どうして」
 京は俯いたまま聞こえるか聞こえないかの小さな声で抗議する。
「今日は家族でお祝いするだろ? 日曜日だし」
 拓也の指摘に京は黙り込む。
「でも……」
 ようやくそれだけを言うと、京は握り締めたシャツをツンと引っ張った。
「今年はね、京の誕生日は家族でお祝いするべきだと思う。京は、今年、本当に生まれ変わるのだから」
 それを聞いて京は拓也の胸に額を擦り付ける。
「僕も、本当は帰したくないよ……」
「拓也さん……」
「でも、今日だけは……、ね」
 こくんと頷く小さな頭を、拓也は優しく撫でる。さらさらとした髪の柔らかな感触を楽しむように。
「明後日、また会えるかな? 実は、今日に間に合わなかった物があるんだ……」
「でも、もうプレゼント、もらったよ?」
 拓也は微笑んで、京の手を取り、その細い指先に口接けた。京の目元がほんのり赤くなる。
「うん、もう一つ……、あるんだ」
 薄い茶色の優しい瞳の中に、京は自分の姿を見つける。そこに自分が入り込めたようで嬉しくて。いつも真っ直ぐに自分を見つめてくれる、この人が、この瞳が大好きで……。
「だから、明後日。ね? 泊まる用意をしておいで……」
 拓也の声に微かな欲情を感じて京は思わず俯く。そのうなじまでピンク色に染まって、拓也はかき抱きたくなる欲望を押し留めるのに苦労する。
 ちゅっと、こめかみにキスをして、拓也は京の肩を抱いて車へと戻った。
 幸せな誕生日。
「京、生まれてきてくれて、ありがとう」
 本当に心の底からそう思い、それを愛しい人に伝えた。絡めた指の温もりが、今の幸せを物語っていた。






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