文月小夜&SELENE

 

Christmas ☆ Christmas

 





 冬の家族旅行を辞退した京に、父、近衛は案の定思い切り渋い顔を見せた。
 申し訳ないとは思いつつ、今年も息子抜きで行く事になるだろうと思われていた海外だったが、土壇場で近衛がキャンセルしたのには、家族の誰もが驚いた。
 予定が狂ったと、果敢にも不満と抗議を叫んでみた京の姉だったが、頑固な父親に到底勝てるわけも無く、久しぶりになる日本での正月を迎える事を、渋々と承諾させられてしまったようだ。
 そして、代わりにと告げられたのが、驚くような来客の知らせ。
 京が渡米期間中家族となってくれた、近衛の旧友であるマックス一家が全員来日してくるというのだ。
 急、且つ強引な取り決めだった事が誰の目にも明らかだったが、京の旅行不参加をある程度予想していたのだろう父親が仕組んだとしか思えない日程は、ばっちりクリスマスイブにぶつけられている。
 当然彼らが来れば京自身、全日付合わされるのは明白。決して嫌な訳ではないが、父の思惑が明確に見える分、どうしても憂鬱にならざるを得ない。
 過去、これ以上はないというほど世話になった経緯から、京が彼らとの時間を無下に断る事も出来無いだろう事も、近衛の思うつぼだったに違いない。

 京の日常では考えられないほど、グローバルな日々が始まった。
 20日の来日早朝から、連日デパートでの買い物や観光地巡りにつき合わされ、1日24時間、睡眠時間以外、常に彼らのホスト役を勤めさせられるというハードさ。
 一家が来て、まだ3日しか経っていないが、なんとも目まぐるしいまま、クリスマスイブにどんどん近づいていく。『その日』だけはなんとか抜け出そうと悲壮な決意を固める京だが、なかなか自分の予定を告げられずにいた。
 彼らの帰国は年明けの7日。まだ2週間以上も付き合わなければならない日があるかと思うと、申し訳無いと思いながらも、京はゲンナリしてしまう。
 今日もようやく買い物から帰宅し、一時的に開放されたが、疲労のせいで二階の自分の部屋さえも遠く感じる。
 珍しく誰も居ないリビングに、ライトも点けずソファでぐったりとしていると、そんな事は許さないとばかりにパッと室内が明るくなった。
 京は気付かれない程度の小さな溜め息をつきながら、容赦の無い明るさに顔を顰めていると、一人の少女がボスンと音を立て、勢いよく京の隣りに座った。
 誰かと確認するまでもない。マックス家にはアンジェリークという、可愛らしい天使の名を持つ京より四つ年下の少女が居る。その名の通り、外見はアメリカ人らしからぬ華奢さで、顔も大層可憐で愛らしい……らしいが、京の価値観ではただ一人の人にしか、美の判別がつかないので、あまり関係ない。
 アンジェリークは、外見はどうであれ中身は年頃の少女となんら変わらず。頭の中は人気アーティストとファッション、お菓子とボーイフレンドに夢中という、至って普通の、京の苦手なタイプの少女に成長していた。
(もう少し、大人しいと思っていたけど……)
 記憶を手繰ってみたが、自分一人ですら目一杯だった頃の京には、周囲に気を廻すだけの余禄などなく、アンジェリークに至ってはマックスの長男ジェームスの妹という認識程度だ。
「キョウ!」
「……?」
 無視も出来ず、だが返事をする気力も沸かず、なんとか視線だけを向ける。
「 ワタシ、コノオミセニ、イキタイ!」
 何処で覚えたのか、なかなか上手な日本語だったが、彼女のきゃぁきゃぁと、はしゃぐ姿を見ているだけで、京のなけなしの体力はどんどん吸い取られてゆき、がっくりと肩を落した。
「……無理」
 京は彼女が差し出した雑誌を見て、力なく首を振った。彼女が指差しているのは、都内でも有名な美味しくて可愛いケーキ屋さんが紹介されているページだった。
 麗しいギャルソンがサービスしてくれる美味しいケーキは、安いものでも一個千円以上するのだが、本当に美味しいのと、ギャルソンは顔で選んでいるという噂があるくらい美男ぞろいで、予約が数ヶ月先まで埋まっているという店なのだ。
「イヤ! ゼッタイイキタイノ! ネ、ネ、オネガイ!!」
 京は腕を取られ、身体をユサユサとゆすられる。
「……勘弁して」
 体力の限界を迎えていた京は、せめて今だけでも休ませて欲しいと、とうとうテーブルに突っ伏した。今回、ジェームズが来日して居なくて本当に良かったと思う。寄宿舎に居る彼にはたまにしか逢えなかったが、自宅に居た時のジェームズはかなりグローバルなタイプで、京はいつも振り回されて、ついてゆけなかった。
 京唯一の滋養強壮である恋人の拓也とは、彼女たちが来る前日を一緒に過ごしたきり、声もまともに聞けていない。常時誰かと一緒に居る京には、折角拓也からかかってきた電話にも、まともに出る事が出来ないでいるのだ。忍耐もぎりぎりの所まで近づいていた。
「キョウ!」
 我侭を聞きれてもらおうと躍起になるアンジェリークが、イライラしたように京の名を叫んだ。
 声を聞きつけた彼女の両親が、驚いたようにやって来て、アンジェリークを窘めてくれたが、それでも京への要求を止める気は無いらしく、キーキーと超音波のような声を張り上げている。
「京、アンジェの言う事、聞いてやりなさい」
 いつのまに居たのか、近衛の一言が威圧的な色を含んで部屋に響いた。
 京は反射的に恨みがましい目を向けてしまう。父の本意はここにある。『彼女』が来る前から察しは付いていた。
 だがこの状況では何も言い返す事も出来ず、諦めるしかない。仕方なく、予約の空きがないか問い合わせるため、京はこの世の中でかなり上位で苦手な部類に入る、電話の受話器を取るしかなかった。
「あら、どこに電話?」
 穏やかな声がリビングに響く。京の母親、沙耶と京の姉、都が、両手に一杯の荷物を手に帰宅したのだ。
「まぁ、勢揃いね」
「京、手伝って、荷物重いっ!」
「キョウ〜〜オネガイ〜!」
 のほほんとした母親の声の後ろで、仕切るように京を呼ぶ姉と、不満そうなアンジェの声。
 疲労と頭痛が絡み合う、今にも停止しそうな京の脳では、どれから手を付けて良いのか解らなくなってくる。
「とりあえずこれ、そっちに並べて」
 何段もの重箱から顔を出す日本料理の艶やかな色彩に、アメリカの一家は目が釘付け状態になる。京は受話器をもったまま、その光景をただぼーっと見ていた。今何を聞いても、正常な判断は望めそうに無かった。
「今夜はお客様が多いし、私の料理だけでは足りないと思ったから、あづみ野さんのところの……、あら、どうしたの京? 電話持ったまま」
「あぁ……」
 あづみ野とは、京の両親贔屓の日本料理を食べさせる店で、よく夫婦二人で食事に行ったりしているらしいが、今はそんな事はどうでもいい。首を傾げる母親に、いちいち説明するのも面倒で、何でもないと首を振り、それを返事とさせてもらう。
「京、ちょっと休みなさい。顔色が良くないわ」
 沙耶が眉を寄せる。途端にブーイングが金髪の少女のピンク色の唇から漏れたが、二人分の母の視線で諌められて停止した。
「夕食の時間になったら呼ぶから。それまで寝てなさい」
「でも……」
 体力が無いのは自分でも解っているが、こう言う場合は特になんだか恥ずかしい。
「いいから」
 母の強い言葉にあわせるように、本体から離しすぎた受話器が、不満そうな警告ベルを鳴らした。

 電話の警告ベルに助けられるように、京は受話器を下ろす。
「ほら、部屋で休んでなさい」
 背中を押されて、アンジェの不満そうな視線は見なかったことにして、京は自分の部屋へと引き上げた。
 ベッドに突っ伏すようにうつ伏せると、まぶたがとろんとしてくる。
 ……逢いたいな。
 目を閉じれば、拓也の優しい笑顔が浮かぶ。なかなか会う時間が取れないことにも、理解を示してくれるが、なんとなく寂しい。
「拓也さん……」
 京が名前を呼ぶのとほとんど同時に携帯のメロディが流れ出した。着信メロディは拓也からのもの。
「聞こえた?」
 そんなはずもないとわかっているが、つい電話に向かって問いかけてしまう。
「はい…」
 素っ気無く聞こえそうな声にも、拓也はやわらかい穏やかな声で話しかけてくれる。
『京? 今、電話大丈夫?』
「……うん」
『疲れてるみたいだけど、平気?』
 拓也の気遣いに、澱のように沈んでいたものが軽くなっていく。
「うん、大丈夫」
『そう、よかった。今はお客さんたち、側にいないの?』
 京は簡単に自分の部屋にいるわけを説明する。あまりに簡潔にまとめようとするので、途中で拓也が何度か質問を挟んで、ようやく事情が飲み込めると言った具合だったが、拓也も状況はつかめたようだ。
『そのお店だったら、少しくらい頼んであげられるよ。店長さんを知ってるから』
 拓也の申し出は有り難かったが、そこまで迷惑はかけられないだろうと気後れしてしまう。しかも、拓也の誕生日の24日に会えるという約束はまだできていないのに。
「でも……、迷惑じゃ……」
 京が申し訳なさそうに言うと、拓也は明るく笑った。
『僕が京の為にすることで、迷惑なことなんて何一つないよ。気にしないで任せて、ね? これは僕がしてあげたいことなんだ』
 拓也に少し押し切られる形で、京はお店に予約を入れることを頼んでしまう。
 またあとで電話するよと言って、拓也との会話は途切れてしまった。声を聞いただけで気持ちが軽くなる。けれど、その分会いたくなってしまう。
「俺……欲張りだ……」
 拓也が聞けば全然と笑うような台詞を言って、京は瞼を閉じた。

 階下からきゃあきゃあと楽しそうな声が聞こえる。あれ?と思って京は目を開けた。眠るつもりはなかったのに、いつの間にかうとうととしていたらしい。
 機密性の高い部屋なのにどうして階下の音が聞こえるだろうと思っていると、母親が京の肩を叩いていた。京を起こすために母親がドアを開け、それで音が聞こえたらしい。
「京、拓也さんがいらしたわよ。起きて下にいらっしゃい」
「え?」
 何故?と思いながらも、京は慌てて起き上がった。そのままパタパタと階段を駆け下りる。
 玄関に本当に拓也が立っていた。
「ごめんね、直接来てしまって」
 拓也の微笑みに笑おうとした京だが、次の瞬間にはその表情は無になってしまう。
 アンジェが拓也の腕に自分の腕を絡めて、どうぞ上がってと騒いでいるのだ。拓也は苦笑しながらも、その腕を放せずにいる。
「三池君、どうだね、夕食だけでも」
 父親が出てきて、拓也とアンジェをニコニコと見ている。いつもの父親からは考えられない歓迎振りだ。
「いえ、皆さんせっかくのご歓談でしょうから、こちらで失礼します。こちらのお嬢さんがお望みのお店の予約を取れましたので、そのご報告だけと思いまして」
  父親がアンジェに拓也の説明を英訳した。
「リアリィ?」
 アンジェはことのほか喜んで、拓也にしがみついた。京はますますむっとするが、父親はなんだか嬉しそうだ。
「24日のお昼前に迎えに来ます。お店まで京君とお嬢さんをご案内させていただきます」
 拓也は丁寧にお辞儀をして、それではと出て行こうとする。
「京、お見送りして」
 母親が気を利かせて言ってくれるが、京はなかなか一歩を踏み出せない。
「ワタシモ、オミオクリ」
 アンジェが日本語で自分もと言ったが、拓也は英語で『外は寒いからね』とやんわりと腕を解いた。それで京はようやく、玄関に下りることができた。
 玄関を出ると、拓也の言葉どおり、風が冷たかった。
「ごめんね、寒いのに」
 拓也が肩をそっと抱く。けれど、京はその腕から逃げ出してしまった。アンジェが掴んでいた腕だと思うと、どうしても素直になれない。
「24日に迎えに来るから。暖かくして待っててね。店までは何があってもついてきてね」
「?」
 どうしてそんなことを?と京が不思議そうにすると、拓也はくすっと笑って、お休みと言って素早く唇を盗んだ。

 本当に拓也が来たのかと思うほどあっけなく恋人は帰ってしまったが、拓也が来たことは疑いのない事実だと、家に戻ると思い知らせる。
「キョウ、カレハ? ダレ? ナニシテルヒト? ゲイノウジン?」
 目をハートにしているのかと思えるように潤ませて、アンジェは京に矢継ぎ早に質問を繰り返す。皮肉なことに、その質問に答える前に、父親が拓也のデータをアンジェに教えてしまう。
『アンジェ、彼は京の友人で、大学生だよ、ただの』
 どうも友人だとか、ただのだとかいう言葉にアクセントが置かれているように感じる。
『24日にも会える?』
『迎えに来る様に言ってたんだから、来るだろう。彼は英語も少しは話せるようだし、非常にジェントルマンだ。思い切り甘えるといいよ』
 まるで拓也が自分の息子のような台詞に、京は今拓也から貰った少しばかりの栄養を使い果たしてしまったように疲れを感じる。大体少しはじゃなくて、幼い頃イギリスに住んでいたという拓也は英語もかなり上手だ。外見からして日本人にはあまり見えない。
『彼もきっとアンジェのように可愛い女の子にはサービスしてくれるよ』
『楽しみ、私!』
 二人の会話にむっとしてしまう。
 いつも拓也に厳しいことばかり言うくせに、いかにも拓也のことを知っているばかりに、アンジェに説明するのもなんだか腹が立つ。
「まあ、あなた。拓也さんのことを誉めているのははじめてね」
 母親がクスクスと笑う。そして京にも困った人ねと微笑みかける。京は肩を竦めて、溜め息をついた。

 24日、クリスマスイヴ。拓也の誕生日。
 朝からアンジェはご機嫌だった。前日に買ってきたピンクのモヘアのセーターと赤系のチェックのミニスカートでおしゃれをしている。
 拓也を意識しているのだろうその姿に、京は自分の衣装を見下ろす。
 黒のハイネックに、ソフトレザーのジャケットとパンツ。あまりにも平凡だ。
 昼前にインターホンが鳴り、アンジェが迎えに飛びだしていく。出遅れてしまった京は、仕方なく玄関でブーツを履く。
「こんにちは」
 玄関を入ってきた声に京は「え?」と顔を上げる。
「いらっしゃい、拓也さん、今日はごめんなさい」
 母親の出迎えに、『拓也』はニコニコ笑う。
「これをどうぞ。皆さんにクリスマスプレゼントです」
 拓也は綺麗な薔薇の花束を差し出す。
「まあ、ありがとう」
 母親が嬉しそうにそれを受け取る。
「レディにはこちらを」
 拓也はアンジェにミニブーケを差し出した。
「きゃあ、ありがとう、とっても嬉しいわ」
 アンジェは飛び上がるほどに喜んで、拓也の頬にキスをした。拓也は微笑んでアンジェの頬にキスを返す。
「今日はよろしく頼むよ、拓也君」
 そんな拓也とアンジェを父親はニコニコと眺めている。
「夜までにはお送りしてきます。行こう、京」
 呼びかけられても、京はぼんやりと『拓也』を見上げてしまう。
「ほら、京、急ぎなさい」
 母親に急かされなければ、京はいつまでもその場に座り込んでいたかもしれない。
「え、でも……」
「京、急いで。予約まであまり余裕がないんだ」
 どうして京と呼ばれるのだろうかと思いながら、京は立ち上がる。
 みんなが『彼』を拓也と呼ぶのが不思議だった。
 だって、彼は拓也ではないのだから。

 迎えの車は、ブルーのNSX−Rで、乗りなれない車に京は戸惑ってしまう。
「後ろ狭くてごめんね」
 正也の言葉にどうしようかと思いながら、京は促されるままに、狭い後部座席に身を沈める。
「心配しなくていいから。任せて」
 乗る間際に囁かれた正也の言葉に、京はうんと頷く。こうなってしまえば、もう乗り込むしかないように思う。
 きっと拓也は何か急用ができてしまい、正也がピンチヒッターに立ったのだろう。
 けれど正也だって今日は誕生日だし、崇志と予定があったのではないだろうかと申し訳なく感じてしまう。
 アンジェはカッコいいスポーツカーに感激し、完璧な正也のエスコートに酔っているような目で正也を見ている。
『タクヤ、今日はケーキ屋さんだけ? 私、クリスマスツリーを観にいきたいわ』
 父親に甘えても大丈夫と言われたのを真に受けてか、アンジェはいろいろとおねだりをしている。
『いいよ。デートコースのリクエストは他にもある?』
 前の座席で交わされる会話に、京はどうして正也が名前の訂正をしないのだろうと首を傾げる。多分、アンジェは相手が正也でも、嫌だとは言わないだろう。
 そんなことを考えているうちに車は目的の店に着いてしまった。
 初めての車の、しかも狭い座席から解放され、京はほっとする。
 三人で並んで歩こうとするより前に、アンジェはさっさと正也と腕を組んで行ってしまう。仕方なく京は二人のあとをついていく。
「予約をお願いした三池ですが」
 正也がギャルソンに申し出ると、彼は困ったように三人を見比べた。
「ご予約ではお二人とお伺いしましたが……」
「あ、そうか。三人は無理?」
「はい、申し訳ございません」
「 どうしようか」
 正也は京とアンジェを見たが、この場合、誰が出なければならないかは一目瞭然だろう。
「キョウ、ワタシ、タクヤトイッショニイタイワ」
 京はそれでもいいのかと正也を見ると、正也はニコニコと笑って、駐車場に行ってみれば?と言った。
 何かわかったような気がして、京は正也に頭を下げて、駆け足で駐車場に戻った。
 そしてそこに黒のソアラを見つけて、顔が綻ぶ。
「うまくいった?」
 拓也は運転席から出てきて、京を助手席に乗せてくれる。
「でも……、正也さんに悪い……」
 俯く京に、拓也は頭を撫でる。
「大丈夫だよ。崇志さんが仕事でね。夕方までは暇なんだ。それまではうまく彼女とデートしてくれるよ」
 そう言って拓也は、京の母親に電話をかけた。アンジェは責任を持って弟が夕方に送り届けること、京は自分が夜に送っていくことを。
「逢いたかったよ、京」
 電話を終えて、拓也は駐車場の片隅でキスをする。
 繋がれた手が暖かく、京は数日の疲れが吹き飛んでいく。
「僕たちのデートをしようね」
 京はうんと頷いた。




 

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