斜陽  ちょっと解説(言い訳)
『斜陽』を読んでからご覧下さい。

◎『序章』と『内容』に食い違いがある。

す、すみません。
もともと『斜陽』は十二国記にはまって、最初に作った同人誌でした。
当時、尚隆が陽子に語った、『何もやる事がなくなれば、国をつぶしてみたくなる』という台詞が、私を貫きました。
『こいつ、絶対やる』
奇しくも、『華胥の幽夢』で、300年前にやりかけた事がばれましたが(笑)
で、本来『序章』部分は、同人誌の冒頭にくっつけた『詩』でした。
ものすごく凝って作ったんですよ。表紙こそ白黒印刷でしたが、箔押しタイトルでしたし(これがお金かかるのよ(TT))、遊び紙を半透明にして、その遊び紙に詩を印刷してもらって(これが乾き難いらしくて、超過料金と、日数がかかった)、遊び紙を透かして、ぐったりした六太(詩を読めばそれって○○……)を横抱きにした尚隆が見えるというものでした。
ま、同人誌なんて自己満足ですから(笑)、凝ったわりに売れませんでした(><)
今はこんなにたくさんの漢字を使って、小説書けません……。

◎何故、白虎隊だったか。

本当は、第一次か、第二次世界大戦と思ったのですが、六太と同じ年頃(見た目年齢)の戦士を出したかったために、白虎隊となりました。
白虎隊はご存知のように、自刃し、すべての兵士の氏名が明らかになっております。もちろん斉藤迪三郎という人物はおりません。

◎松平容保は本当に影武者だったか?

松平容保公に関しては、影武者という事実は一切ありません!
完全にフィクションです。

ただ、この方、病弱だったのは確かなようです。京都守護職(だったかな?)時代、本当に死にかけたような重篤な時があったとかで、物語上、かなり脚色しました。
本物の容保公は、六太が語ったように、謹慎しお家再興をはかったそうです。…………なんだかなぁ。

◎ラストが酷い

す、すみません。
でも、彼はああするのが一番幸せだったと、思いません?

 

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