共に一枚の葉となりて
禊場にやってきた泰明は、ふと柔らかな香りが流れてくるのを察知し、顔を上げた。
はらりと舞い落ちる桜の葉が一枚、水面に浮かぶ。
泰明の唇にかすかな笑みが浮かぶ。
彼は装束を脱ぎ捨て、静かに清水の中に足を踏み入れる。
刺すような冷たさにも、泰明は表情を変えず、身体を浸した。
水面に静かな波紋が広がり、桜葉が身動ぎする。
「高天原爾神留坐須皇賀親神漏岐神漏美命以知氏八百萬神等乎
」
祓言葉が滑らかに、泰明の唇から流れ出す。
空気がしんと研ぎ澄まされていくのがわかった。
怨霊と闘ったあと、彼はいつもこの場に足を運んだ。
白い紙が墨色をより黒く吸い取るように、人ならぬ身は怨霊の穢れを、八葉の誰よりも敏感に受けてしまう。
だが、彼はその事を、辛いとも、苦しいとも、感じることはなかった。
なかったのだが……。
「天乃盤座放知天乃八重雲乎伊頭乃千別伎爾千別伎、…………」
祓言葉がふと途切れる。
物思いが、彼の禊を止めてしまった。
…………何を思う?
自問する。
迷ってはいけない。
異界からやってきた旅人である神子は、迷い、悩み、泣き、笑い、怒り、悲しみ、哀れみ、感情豊かに人と接する。
泰明にとって、一番理解しがたい人の類であるはずなのに、ふと、思考を途切れさせれば、あの豊かな表情が胸に押し寄せる。
「何故、私を人形として扱ってはくれぬ」
誰もがそうしてきたように。じぶんを八葉の一葉として使ってくれればそれでいいのだ。
なのに……。
「何を思う?」
背後からかかる鋭い声に、泰明は咄嗟に印を結んで振り返る。
「あ……」
その人は唇に薄い笑いを浮かべて、腕を組んだまま、泰明を見つめていた。
「お前に祓い言葉さえ忘れさせるものは、何だ?」
からかうような、けれど優しい色の瞳が泰明を見つめる。彼は泰明の印が向かってくる事に、動揺すらしていないようだ。
「妬けるな」
そう言いながら、余裕の笑みは消えない。
「月が沈まぬうちに、戻りなさい」
泰明の答も聞かず、その人は泰明に背を向けた。
組んだ手を、泰明は水面に叩きつける。
水面が揺れ、葉が怯えるように遠ざかっていく。
「高山乃末短山乃末与里佐久那太里爾落多岐都速川乃瀬爾坐須瀬織津比売登云布神
」一心に泰明は祝詞を唱え続ける。
水は澄み、身体は冷え切っていた。
「高天原爾神留坐須皇賀親神漏岐神漏美命以知氏八百萬神等乎
」その姿を遠くに見つめながら、その人は寂しげに笑う。
「早く気づけ。お前の求めるものに、答えなど無いという事に」