「永泉様、おやめ下さい!」
下男の悲鳴もものともせず、永泉は必死の形相で鳥もちをつけた竿を振り回す。
「私が捕まえますから。永泉様。お願いですから!」
「駄目ですっ!」
竿を取り上げようとする下男から、永泉は逃げる。
「これは、わたくしが捕まえなければならないのです」
手伝ったりしたら、許しませんよと言い、永泉はそっと竿を伸ばす。その先には、松に止まって、悠然と永泉を見下ろしている1羽の、丸々と太った鳩が……。
「本当に鳩がお好きなんですか?」
背後からかかる声に気を取られ、突き出す竿は鳩の右羽根を掠めて空を切る。くくぅと一声鳴いて、鳩は飛んで行ってしまった。
「ああ、もう。お前が声をたてるから」
それよりは永泉の腕の問題だとは思ったが、賢明な下男はそれを口にしなかった。
「あっ、白い鳩。あれにしましょう」
永泉は珍しい白い鳩を見つけ、足音を忍ばせて近付いて行く。もっとも、忍ばせていると思えるのは、彼だけであったが……。元々が、虫取りや狩に向かない人である。きっと、そんなこともせずに大きくなっただろうと思われる。
そんな人が何故急に鳩を……?
首を傾げながら、下男は怪我をされる前に、絶対竿だけは取り上げ様と、決意を固めていた。
「それは永泉さん、鳩でしょうー」
「は……と?」
昼間、永泉は、泰明の誕生日には何を贈ればいいのだろうかと、神子に尋ねてみた。自分にはなんの取柄もなく、歌を贈るには、相手が悪過ぎた。
そうしたら神子は簡単に言ったのだ。泰明さんには、鳩、だと。
「そうよー、具体的にはぁ、永泉さん自身がリボンをー、つけてー」
「り、りぼんとは?」
神子は時折、神子のいた時代の言葉を話すので、途中で会話を止めて確かめなければならないことが多かった。
しかも、語尾を無駄に延ばすので、変な風に聞こえてしまう。泰明はそれに対して苛立ち、言葉から教えてやれと、藤姫に直談判していたが、効果はまるで出ていない。
「リボンっていうのはー、まあ、今の時代だと、水引きかしら?」
「み、水引きですか?」
「ええ、頑張ってね」
神子は何やら、とっても嬉しそうに永泉を励ました。
「永泉さんがぁ、と言うのが、ポイントですからねー」
ポイントとは、この前教えてもらった。この時代だと、「中心」ということだ。もっともその時は、男性の身体の話をしていて、その言葉が出てきたのだが?
首を傾げ、悩みながら、永泉は共を連れて、鳩のいそうなところをうろうろしていた。
もう……、日が暮れる。
泰明の誕生日が終わってしまう。
焦る気持ちとは裏腹に、鳩はまるで永泉をからかうように、彼の竿をよけて行く。
「永泉様……」
何度も代わろうと言っては叱られて、それでも下男は永泉に声をかけた。なんだか、彼が泣き出しそうで。
こんなに心細い永泉を見たのは初めてだ。いつも儚い人ではあったが、実は芯が強い事を知っている。そうでなければ、どうして帝の座を蹴るようなことが出来るだろう。
徳の高い人なのだ。
それが……。
「もう、帰りましょう。日が暮れては、鳥も出てきませんから」
宥めるように言うと、永泉はそっとため息をつき、頷いた。
「こんばんは」
永泉は座敷に通されたが、泰明は永泉の顔を見ようとはしなかった。
「あの、泰明殿……」
名前を呼んでみるが、泰明は聞こえなかったかのように、静かに机に向かって墨を摺っていた。
「泰明殿、すみませんでした」
「何を謝る」
短い問いは、鋭い響きを持っていた。
「わたくしは、今日、何も持ってこれなくて……」
「それだけか」
「はい」
「ならば何も要らぬ。帰れ」
不機嫌を顕に、泰明は吐き捨てた。
「泰明殿……」
それでも立ち去りがたく、永泉はぐずぐずと居座る。
「お前は……、!?」
何かを言いかけて振り返った泰明は、永泉の姿に言葉をなくした。
余り衣服に執着のある彼ではなかったが、さすがに出自の良さのせいか、いつも質素でありながら、最上の糸を使った衣を身につけ、小奇麗にしていた。
余りにみすぼらしい姿をしていては、帝の名前に傷をつけると恐れて。
その永泉が、泥の痕があったり、裂けた部分があったりする着物を着ているのだ。
「どうしたのだ。怨霊か?」
鬼の一族は退治したが、それでも京の街を跋扈する怨霊は、実は今もいるのだ。
「違います、これは……」
「これは?」
「松に足を取られたり、ちょっとした段差を滑ったりしまして……」
「何をしていたのだ。今日、ここにも来ないで!」
強く肩を掴まれ、永泉は顔を上げた。
強い瞳が自分を見ていた。
色の違う左右の目に、自分が映っている。それが嬉しかった。
「すみません、泰明殿。わたくしは鳩を捕まえられませんでした」
「鳩?」
「どうしてもわたくしが捕まえた鳩でなくてはだめでしょうか。もしお許しいただけるなら、明日にでも鳥屋に頼みます。いい毛並みの鳩を分けてくれるように」
「お前は、何を言っているのだ?」
泰明は怪訝な顔で永泉を見た。
「泰明様は、わたくしが捕まえた鳩が欲しいだろうと……」
「誰がそんなことを言った?」
「神子殿が」
泰明はそれを聞くと、盛大なため息をつき、永泉にもたれかかってきた。
永泉は慌ててその細い身体を抱きとめる。
「わたくしは、……間違っていたのでしょうか」
「私は清らかで真っ直ぐな永泉のような心が欲しいと言ったのだ」
「心?」
「そうだ。そうしたら神子は嬉しそうに笑った。ハートが欲しいんですね、わかりますぅと」
神子の口真似をして、泰明は顔を上げる。
「どうして心が鳩になるのでしょう?」
「だから、お前が間違えたのだ。鳩ではなくて、はぁとだ。異国の言葉で、心と言う意味だそうだ」
しばらく二人で顔を見合わせて、同時に吹き出した。
「だって、神子殿はいつも言葉を伸ばすから」
「でも、はぁとは言葉の真ん中で、伸ばしているだろう」
クスクスと笑いあって、やがて、永泉は泰明をそっと畳に倒す。
「それでわたくしに水引きをかけろと仰ったんですね。神子殿は」
「ありがたく頂戴する」
声をたてずに笑って、二人は唇を合わせる。
一日が終わろうとしている。泰明がこの世に送り出された、大切な一日が……。
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