外村家の人々は総じて、その弟子も含めて、透には冷たい態度をとった。
 正彦の弟の幸彦を除いては。
 透がまだ正彦の友人として外村家に出入りしていた時、家族は暖かく息子の友人を出迎えてくれていた。
 それが一変したのは、正彦が家を出て透と暮らすと宣言した瞬間からだった。
 二人がそろって頭を下げた時、透は一人でその罵倒を浴びなければならなかった。まるで透が正彦を誘惑し、引きずり込んだとばかりに、聞くにも耐えない言葉で責められた。
 正彦がそうではないと言い募ればその分、透にその怒りの矛先が向いた。
 結果、一人で外村家を追い出され、正彦と連絡すら取れない日が続いた。
 そんな中で、透と正彦の唯一の味方が、正彦の弟の幸彦だった。
 透からの電話に幸彦が出た時は、さすがに取り次いではもらえなかったが、それでも伝言を聞いてくれたのだ。
『ごめんね、透さん。兄貴は今、親父に連れて行かれて、稽古場の方に行ったんだ。何か、伝える事、ある?』
『大学のレポート、正彦だけが未提出なんだ。今週中に出さないとやばいんだ』
『伝えとく。まさか親父も、大学中退はさせないと思うんだ。だから……。大学に行けば、透さんにも会えるもんね。俺からもさ、大学くらい行った方がいいよって言うよ』
 正彦が必死の説得を続ける間、二人の連絡役になってくれたのが幸彦だった。
 やがて正彦が家を出るようになった時も、幸彦だけは喜んでくれて、二人に門出の祝いをくれた。
 一緒に暮らすようになっても、正彦の家族は透には冷たく、蔑むような視線が突き刺さるだけだった。
 二人の関係を何もばらさなくてもと、友人達は言ってくれたが、そうしなければ、総領息子として正彦は大学を卒業すれば結婚させられるだろうし、大学時代でさえ、一人暮らしさえも許してはくれなかっただろう。
 どうせ家は継げない。それを考えた末での、二人の告白だった。
 半年近くの戦いの末、二人はようやく一緒に暮らせるようになった。
 許してもらったのではない。
 どうしても別れさせられないと、半ばは諦め、すぐに熱は冷めるという残りはそんな期待の末の、無視に近い許諾だった。
 正彦が事故に遭った時、家族は透にかなりの事を言って責めたのだという。
 友人達が透をかばってくれたらしいが、透はそれら一切の事を覚えていない。
 目の前で正彦の身体が跳ね上がり、道路に叩きつけられた。その瞬間からは、断片的な事しか思い出せない。
 それはまるで、幾枚かの写真が目の前でシャッフルされるように浮かんでは消えた。
 救急車の中、病院のベッド、何かを怒鳴る正彦の両親の顔、花に囲まれた正彦、黒い服を着た人の長い列、そして……。
 正彦の棺が火葬場の厚い扉の向こうへと消えた時、透の意識も途切れた。
 気づけば、二人の部屋の中で、一人で寝ていた。
 その日からずっと、正彦を待っていた。
 
 
「お元気でしたか?」
 正彦の墓の前で、幸彦は親しげな微笑を浮かべた。
 二年が経ち、幸彦は亡くなった正彦と同じ年になっている。
 正彦と比べれば幼かった面立ちも、少年っぽさが抜け、兄弟だと感じさせるほどには兄に似てきている。
「…………きみは?」
 外村家の中で透の味方だった人。透にとっては、正彦の家族の中では、緊張感なく話せる相手のはずだった。
 なのに、今、その幸彦を前にして、透は身体を固くしていた。
 指先が痺れるような感じがする。鼓動が早くなる。足が震える。
 何かを言おうとするのに、笑いかけられるのに、同じように笑いかけたいのに、思うようにはできなかった。
「おかげさまで元気です。毎日、舞台だ、稽古だと、忙しいですよ。多分、そちらのお連れの方と同じように」
 幸彦が透の横に立つ門田に視線を移した。
「あ、……あのね、幸彦君、こちらは……」
 透が焦って門田を紹介しようとし、門田が会釈をする。
「存じ上げています。瀞月流の門田さんを知らないでは、関東の舞踊家としては失格ですから。それに、父からお二人のことも聞きました。心配していたんです。透さんが、今も兄貴のことで、苦しんでいるのではないかと。だから、良かったです」
 すらすらと幸彦が言うのに、透は泣き出しそうな顔で見ていた。
 二年の歳月が、幸彦を透の知らない人にしてしまったようだった。
 他人行儀に話されると、居たたまれなくなる。
 一度だけ、門田の計らいで正彦の両親とは会ったが、その時でさえ、こんなに緊張はしなかった。
 正彦の両親は、透に冷たかった事を詫び、正彦の仏壇にもお参りしてくれと言ってくれた。そして、自分たちの知らなかった正彦の事を、話してくれと。
 それですべてのわだかまりが消えたわけではなかったが、恨みは少しも感じなかった。
 同じ痛みを抱えた者同士の、言葉にはならない交流があった。
 その場には来なかった幸彦と、こうして出会えたのは、偶然に感謝したいところだが、どこかよそよそしい幸彦に、透から近づく事はできなかった。
 透の心の奥には、外村家の人に対する申し訳なさが常に残っている。
 なので自分の方から、先に親しげに話しかける事はできないのだった。
「幸彦君、あのね……」
「また親父たちも会いたがってますから、家に来て下さい。ご迷惑でなければ、門田さんもご一緒に、是非」
 幸彦に微笑みかけられ、門田も困りながらも、『そのうちに』と曖昧に返事をした。透の気持ちを聞かずに約束をする事は避けたかった。
「急ぎますので、僕はこれで失礼します。透さん、また」
 するりと横を抜けられ、透が何かを言う間もなく、幸彦はバケツを手に、通路を遠ざかって行く。
 すらりと伸びた背筋の後ろ姿は、やはり正彦に似ている。
 ふわりと漂う残り香も、正彦が愛用していた香と同じ。
 そんな彼に、少し突き放されたように話をされる事は辛かった。
「透」
 肩に触れた温もりに、透は緊張を解く。
「……やっぱり俺、許されないよね」
 特に酷い事を言われたわけでもない。それどころか、また家に来てと誘われた。
 なのに、どうしてか、拒絶されたように感じる。
「透が許してもらわなければならないようなことは、何一つないんだよ」
 門田も、友人も、同じ事を言ってくれる。
 けれど透は、どうしてあの時……、と自分を責め続けてきた。
 どうしてあの時、あの道を選んだんだろう。
 どうしてあの時、正彦を止められなかったんだろう。
 どうしてあの時、自分が死ななかったんだろう……と。
 
 
 

つづく…………