誓う言葉

 




               ふたりぶん  あいしてあげる


 キッチンに立ち料理を作る透の後ろ姿を、門田は少し肉がついてきたかなと眺めていた。
 出逢った頃の透は文字通り骨と皮で、よく立って歩けるものだと感心した。
 実際、もう少しで手遅れになっていただろうと医者も言っていた。
 まさに間一髪の出逢い。
 一年間、まったく外に出なかった透と、年の半分以上を京都で過ごしていた自分が、東京で一人きりでいたあの時に出逢えたのは、まさにゼロに近い確立だったに違いなかった。
 出逢いは奇跡的な偶然だったが、ここにこうして二人で過ごせる休日があるのは、二人の努力の賜物である。
 そして今も実はその努力は続いている。

 二人で暮らすようになり、お互いを愛している。
 けれどそれだけでは埋まらない心の距離は今もまだ僅かに存在している。
「何か手伝おうか?」
 門田は透の隣に立ち、透の手元を覗き込む。
「いいよ。門田さんに手伝ってもらったら、違うものになりそう」
 透の指摘に、門田は苦笑いを隠せない。
 男子厨房に入らずという古めかしい厳格な家庭に育ち、成人する前から流派の仕事に忙しく、一人で暮らし始めてからも、常に周りには弟子たちがいるようになった。
 そうなるともう、包丁すら持ったことのない、成人男性の出来上がりである。
 透にしっかり食べさせようとするためには、料理くらいできなくてはならないと気づいても、今更何ができるはずもなかった。
 自然と料理の担当は透となり、門田はせめてと、透の身体にいいものをリクエストする係となっていた。
「透、最近体重を量ったかい?」
「んー? 十日くらい前に量ったかな。あんまり変わってなかったけど」
 肩を落として透は、切り揃えた野菜を鍋に移す。
「そろそろ量ってみればどうだろう。少し増えていると思うんだよ」
「だけど……」
 あまり気乗りがしなさそうに透は話題をはぐらかそうとする。
「直道さん、味薄めの方がいい?」
「ああ、そうだね。その方がたくさん食べられるだろう?」
 門田の意見に、透は困ったように微笑んだ。
「直道さんは、どっちがいいの?」
 もう一度透に尋ねられて、門田は不思議そうに透を見返した。
「だから……」
「俺ね、もともと細いほうなんだ。それに、多分直道さんが想像している成人男性の半分くらいでお腹がいっぱいになる方だった。だから、俺にばかり気を遣わないで」
「あ……」
 透のどこか投げやりな言い方に、門田は今までの自分を顧みる。
「すまない。……つい」
「ううん、直道さんが俺のために言ってくれてることはわかるんだ。その分頑張って食べたいんだけど、やっぱり、無理みたいで……」
 菜箸を手に透は料理へと戻る。
 調味料を入れ、門田の言うように薄めの味付けをする。
 そんな俯きかげんの透の背中が心細そうで、門田は後ろから抱きしめた。
「私は元々味付けは薄い方が好きなんだ。京都の味付けに慣らされているからね。透はどっちがいい?」
「俺が濃い味付けが好きだったら、直道さん、どうする?」
「もちろん、食べるよ。これからは透の味付けに慣れていきたいから」
 ちゃっかりした門田の答えに透はくすっと笑う。
「直道さんって、口がうまいな」
「後援会の人たちと渡り合うためには、透に聞かせたくないようなことも言うよ」
「へぇ、見てみたいかも」
「見せたくないな」
 門田は透を抱きしめ、頬にキスを落とす。
「前よりは太ったでしょ? 一番太ってたときとあんまり変わんないよ?」
 それならかなり細かったんだなと門田は思った。
 瀞月流には住み込みの内弟子もおり、若い彼らはよく食べた。
 弟子とはいえ、他所様の子息を預かるわけだから、食べることの遠慮はさせたくない。だから、必要以上に門田も食べなさいと彼らに繰り返して言うことが多かった。
 そんな彼らを見ているからこそ、なおさら透の身体と食の細さが気がかりになるのだった。
 まして以前の透を知らないことで、透に無理強いをしてしまっていたということに、門田は反省をする。
 正彦と幸せだった頃の彼と同じコンディションに戻してやりたい。
 そう願うことすらも、透には負担になっているのかもしれないと感じる。
「直道さんは俺を甘やかしすぎるんだよ。俺、けっこう気が強いし、直道さんに遠慮もしてないし、あんまり気を遣いすぎないで。俺は今、ここにこうしていることが、一番幸せなんだ」
 まるで門田の気持ちを見透かしたような透の言葉に、門田は嬉しくなった。
 そうしてわかりあえていくのだろうという嬉しさ。
 今、透が傍にいてくれる幸せ。
 以前誓った言葉は、門田自身を幸せにしてくれるのかもしれない。
「透は、本当に元気になったんだね」
 身体も、心も……。
「直道さんのおかげだよ」
 菜箸を置いて透は門田へと向き直る。
 見つめ合う瞳は、相手しか映さない。
 それが二人の幸せの証でもある。
 瞳の中の恋人の顔が大きくなり、やがて閉じられて、見えなくなる。
 触れ合う唇はそっと重なり、少しずつ深くなる。

 二人は味付けで軽い諍いをしたが、結局その料理は焦げ付いて食べられなくなってしまう運命をたどるのだった。