Two years after



 喜紀の高校の学園祭が始まった。
 喜紀は三年生なので、所属していた放送部のメイン活動には直接参加はしない。けれど、春の放送コンクールに出したビデオの放送時間だけ、三年生の部員みんなで集まることになっている。
 クラスの出し物であるダーツの店番を、一時間割り当てられているが、それは事前に調整してもらって、クラブのほうと重ならないようになっている。
 午後一番にビデオコンクール作品の放送が始まるので、お昼を早めに取って、三年生の部員が集まり始めていた。
 緊張する一年生たちを激励しているのか、からかっているのかわからないような、和やかな雰囲気の中、放送室に独りの訪問者がやってきた。
「こんにちは」
 一、二年生はきょとんとしているが、三年生たちに緊張が走った。
「よかった。三年生がいて」
「も、森崎先輩」
 三年生の一人が驚いて薫の名前を呼んだ。
「久しぶりだね。これ、差し入れ」
「……ありがとうございます」
 一人が遠慮がちにその包みを受け取った。大きな箱は見た目より軽めで、中はお菓子だろうなと見当がつく。
「高村先輩、OBの方ですか?」
 一年生が不思議そうに三年生の一人に尋ねる。OBだというのはわかるが、はじめて見る顔だし、OBにしては三年生たちがかなり緊張をしているのが不思議なのだ。
 森崎と呼ばれたOBは、緊張されるタイプではなく、むしろ親しみやすい笑顔を浮かべている。その笑顔が綺麗で、後輩の中にはぽかんと口を開けて見ている者までいる。
「俺らの二つ上の先輩。お前、入り口出て、北島が来たら、入らないように言って、引き止めておけ」
 高村の指示に、一年生は不満そうな声を出す。差し入れは駅前のケーキ屋のマドレーヌで、今も甘い香りを漂わせているのだ。
 昼ご飯を食べたばかりでも、育ち盛りの高校生は、そんな匂いを黙って見過ごすことはできない。
「お前の分、取っといてやるから。早く行けよ」
 高村の既に命令の口調に、一年生は慌てて立ち上がった。そこへ、放送室のドアが再び開かれた。現われた人物を見て、高村は顔を顰める。
 他の三年生たちも、喜紀を見て、息を呑んだ。
 原因はわからないが、喜紀と薫が、二年前から険悪な状況になっていたことは、三年の部員たちは皆が知っていた。それ以来、薫が放送部に顔を出すこともなくなっていた。
 放送室の中に一気に緊張感が高まる。どうなることかと、三年生たちは息をするのも忘れていた。高村が喜紀を連れて出ようとしたとき、当の喜紀が明るい声を出した。
「あ! 先輩、もう着いてたんだ。俺、校門のほうまで行っちゃったよ。お、差し入れだ。薫先輩がくれたの? 俺のもある?」
「なんだ、迎えに行ってくれたの? それなら校門で待っていればよかったな。マドレーヌは一人二個くらいずつ当たるように買ってきたつもりだから、足りると思うよ。キキが人数を間違ってなければね」
 二人の打ち解けた会話に、三年生たちは、ほっとするよりも、なんだか狐につままれたような、不可解さを味わう。
 今の会話は、二年前の二人のようだ。何事もなかったかのような。
「あれ? みんなどうしたの? 食わないの? 俺、貰っちゃおう」
 喜紀のあっけらかんとした態度に、薫はクスクス笑う。
 皆の緊張もわかっていたし、自分が歓迎されていないこともあきらかだった。
「そんなに欲しかったら、帰りに買うから、ここはみんなにあげたら?」
「ほんと? でも、帰りは食べに行くでしょ? あ、啓ちゃんは?」
 高村は喜紀の口から出た啓の名前に驚いた。喜紀と中学から仲の良い高村は、もちろん啓のことも知っている。啓は一つ上で別の高校に進んだが、喜紀の口から啓の名前が出ない日はないと言ってもいいくらいの、喜紀にとっては大切な人である。
 啓と薫が知り合いとはとても思えなかったのだが……。
「友永は少し遅れるってメールが来たから、僕だけ先に来たんだ」
「えー、俺の放送に間に合うのかなぁ」
「それに遅れたら、三日間口を利かないって言ってやったから、走ってくるんじゃない?」
「ひでー」
 酷いと言いながらも、喜紀は満面の笑みである。
「高村先輩。あの人と北島先輩、仲良いじゃないですか」
 一年生は薫の差し入れを一つを口に、一つを手にしっかり持って、高村に苦情を申し立てる。
「俺の分までやるよ」
 言って、高村は放送室を出た。
 出たところで、廊下の向こうからやってくる啓の姿が見えた。少し意地悪く思い、放送室の中へ呼びかけてやる。
「喜紀、友永先輩、来てるぞ」
 喜紀はくるりと振り返り、喜び勇んで放送室を出てくる。
「ありがと、高村。啓ちゃーん、ここー! こっち!」
 辺りを憚らない大きな声で啓を呼び、手をあげてぶんぶんと振っている。
「バカ、恥ずかしいだろ」
 慌てて走ってきた啓は、喜紀の頭を脇に抱え、口を塞ぐ。
「いてて、痛いって。薫先輩、啓ちゃんが苛める」
 じゃれあう喜紀と啓を、薫が微笑ましそうに眺めている。
「喜んでいるように見えるけどなぁ」
 三人の様子に、さすがの高村も首を傾げてしまう。どこでどうなって、この三人が? と。
  喜紀と啓がふざけているのを見ている高村に、「悪かったね」と薫が声をかけてきた。
「森崎先輩……」
「また前のように、君たちの良い先輩になれるように努力するから」
「あんなふうに喜紀のこと、傷つけたりしないで下さいよ。まぁ、友永先輩もいるようだから、大丈夫だと思いますけど」
 ちくりと嫌味の一つも言いたくなる。その嫌味に対して、薫は無言の笑みで答えた。

 学園祭のあとのグランドで、三人は並んで立った。
「二年前だったよね……」
「……うん」
 グランドは明りも落とされ、すっかり暗くなっている。校舎からの明りで、三人の影が長く伸びている。
「こうしてまたここに君と立てて良かったな」
「薫、俺のこと、忘れてないか? 今」
「忘れられないでしょ。今くらいは二人にして欲しいなと思ってるのに」
「啓ちゃんが帰るなら、俺も帰る」
「帰らないよねぇ」
 三人でいなくちゃいけない。
 誰も欠けちゃいけない。
 絶望的と思えた三角形が、今は美しい図形のように思える。
 三人の距離が均等だから、三人でいられる。
「帰らねーけどな」
 啓が笑うと、つられて二人もクスクス笑い始める。
 そっと重ねるキスは三回……。