バカンス



「反対回りで帰ろうか」
 洋也の言葉の意味がわからなくて、秋良は首を傾げつつも、帰れるのならばいいかと頷いた。飛行機の手配はいつも洋也に任せているので、洋也の乗りたい方向でいいと思ったのだ。
 ニューヨークから反対回り。
ちょっと考えればわかったはずなのに、秋良は途中で降りることになるとは思ってもみなかった。
 ドゴール空港に着いた時は、「ええー?!」と叫びそうになった。
「だから、反対回りだよって言っただろう?」
 ちがーう! と秋良は抗議の声をあげる。
「これは反対回りじゃなくて、寄り道だよ。びっくりしたー」
 夏休みを利用して、洋也のいたニューヨークに迎えに行った。そのまま休みの終わりまで過ごして、一緒に帰るつもりだったのを、早めに帰ろうと言い出した洋也に、異存は特になかったので、飛行機に乗ったらパリだった。
「美味しいワインが欲しいなと思ったんだ」
 日本でも買えるのにと思ったが、いざパリの街を歩き始めると、そんな不満はすぐに消えてしまった。
 シャンゼリゼ通りは思っていたよりも陽気で、明るい町並みだった。
 凱旋門までを歩くと、ニューヨークにはないブランドショップもあり、母や姉へのお土産も悩むことなく選べた。洋也がニューヨークで買うのを止めたわけがようやくわかった。
 ショップの袋はホテルに直接届けてもらうサービスを利用して、身軽にオープンカフェも楽しむ。
「なんだか、パリに来た気分」
 間違いなくパリにいるのだが、そんな感想をもらす秋良が可愛くて、洋也もいつになく楽しい気分になった。
「明日は直接ワイナリーへ行こうと思うんだ。パリで今日中に行きたいところはある?」
 パリが目的の旅ではないため、急がなくてはならないのかつまらない。
「んー、やっぱりノートルダム寺院と、エッフェル塔かなー。ルーブル美術館は無理だよね?」
 ルーブルを本格的に観ようと思ったら、一日では足りないと聞いたことがある。
「秋良の見たいものによるよ」
「どういうこと?」
「ミロのヴィーナスとモナ・リザと落穂拾いだけでいいなら、1時間もあれば回れる」
「そんなことを聞いたら迷ってしまうなー」
 何しろ、パリの観光ガイドも持っていない状態で、色々回ろうというのが無理な話だ。
「ルーブルは諦める。だからノートルダム寺院とエッフェル塔にする」
 ノートルダム寺院に近いのはむしろルーブル美術館なのだが、エッフェル塔が近々登れなくなるという話もあるので、そちらに回ることは洋也も賛成だった。
 それにルーブルを残すことで、また誘いやすいという魂胆もあった。
 ノートルダム寺院は地下鉄ですぐなので、話題のためにも地下鉄に乗った。厳かな雰囲気を楽しみながら、見学する。そこからはタクシーを拾い、エッフェル塔へ向かう。
 時間を見ながら向かったので、ちょうど夜になり、ライトアップした美しい塔へ登ることができた。
 塔の上からは宝石を散りばめたような煌めく夜景を楽しんだ。
 軽い時差と疲れのために、ホテルのレストランで夕食をとった。
「明日はちょっと遠出になるよ」
「…………うん」
 入浴を済ませた秋良は、ほとんど寝言のような返事をする。
 部屋はツインだったが、ベッドは日本のシングルではなく、広い。秋良もほとんど眠っているのをいいことに隣に潜り込んで抱きしめる。
「おやすみ」
 優しくキスをすると、既に夢を見ているのか、秋良がふふっと楽しそうに笑った。

 翌日は朝からタクシーに乗って、ワイナリーに向かった。
 郊外に出たかと思うと、葡萄畑が延々と続き、のどかな風景が広がっていた。
 その中に煉瓦色の建物が現れて、二人は降り立った。
 洋也は少しばかりのフランス語と英語を混ぜて、工場の見学を頼んだ。
 一連の作業の説明を聞き、秋良に通訳しながら歩くと、出口ではワインの直売コーナーがあった。
「こんなところは日本と同じだよね」
 秋良の感心したような台詞に洋也も笑った。
 秋良は年代物より、浅いあっさり風味の物を好むので、試飲をさせてもらいながら、三つばかりの銘柄を選んで、航空便で発送した。
「これは今夜飲もうか」
 洋也はロゼの一本を選んで、それは手持ちように包んでもらった。
 帰りものんびりと田舎道を進み、パリの街に帰り着く。
 ホテルに戻って、ワインを冷やすように頼むついでに、ディナーのルームサービスも頼んだ。
 ホテルの部屋はカーテンを開けると、向かい側に昨日登ったエッフェル塔が見えた。
「綺麗だよね。細身のシルエットが綺麗だな」
 キラキラと輝く美しい塔を見ている秋良をうしろから抱きしめる。
 耳をくすぐるようにキスをすると、秋良は首を竦めながら笑う。
「ミルク、いい子にしてるかな」
 恥ずかしさを隠すように、関係ない話題を持ち出す。二人の愛する息子は、いつものように洋也の実家に預けてきた。ミルクのお土産は、ニューヨークとパリで買ってある。
「早く会いたい?」
 明日にはもう飛行機で日本に向かう。夜にはミルクと会える。
「会いたいよ、そりゃ」
「僕も秋良に会いたかったよ」
 洋也はぎゅっと秋良を腕の中に閉じ込める。
「もう会えてるじゃないか」
 暖かい腕の中で、秋良は笑う。この腕の中だからこそ笑える。
 見つめ合い、微笑み合い、唇を重ねる。
 いつもの幸せをいつものように感じられる幸せは、少しの間離れていたからこそ、いつものよりも深く感じられる。
 ゆったりと洋也の胸に頬を預けたところで、ルームサービスの到着を報せるチャイムが鳴る。
 名残惜しく離れて、ワインとディナーを迎え入れた。
 グラスにワインを注いで、乾杯をする。
 美しいローズ色を眺めた後、ゆっくりと口に含む。
「美味しい」
 秋良が嬉しそうに洋也を見る。同意を求める顔に、洋也も頷く。
 日本で買えば目を見張る値段のワインだが、現地で直買いしただけに、かなり安く買えた。それでも秋良が知れば贅沢だという値段なのだが、ユーロで表示されている値段を巧みに隠して買い求めた。
 これだけ喜んでもらえるのなら、わざわざパリに寄ったことも、ワイナリーまで出かけたことも、どんな苦労も吹っ飛ぶ。
 二人で一本を空ける頃には、秋良はほんのりと酔い、艶を含んだ視線で洋也を見つめる。
「愛してるよ」
 抱きしめても抵抗がない。
 キスをすると、またワインを飲んだような、甘い酔いが訪れた。