眠り姫



 大学から戻ってくると、玄関で迎えてくれたのは、小さな白い猫だった。
「ただいま」
 にゃあと鳴いて見上げてくる白い塊の頭を撫で、愛しい人を探してみるが、出てきてくれる気配はない。
「秋良はどうした?」
 ミルクに聞いても答えてくれるわけはなく、にゃあ、にゃあと、可愛い泣き声を繰り返すだけ。
「お腹空いたのか?」
 足元にまとわりつくミルクを踏まないようにリビングに入ると、そこに探していた人物はいた。
 にゃあと鳴いて、ミルクはソファで眠っている秋良の胸元に潜り込もうとする。
「こら、寝かせてやれ」
 尻尾を振って、なんとか秋良の胸に潜り込もうとしているミルクを抱き上げる。よほどぐっすり眠っているのか、秋良は起きる様子もない。
 僕はミルクを抱いたまま隣の部屋から毛布を持ってきて、秋良にかけた。やはり寒かったのか、その柔らかな感触が好きなのか、秋良は鼻先まで毛布の中に潜り込む。
 ミルクは毛布と秋良の間に入り込みたいのか、僕の腕の中から出ようともがいている。
「ダメだよ」
 ツンと鼻を突ついてやると、にゃんと鳴き、鼻先を僕の肩に擦り付ける。
「餌をやるから、おいで」
 キッチンに回り込み、ミルクのトレーにキャットフードを入れてやる。それで納得したのか、ミルクは一生懸命食べ始める。
 その様子を見届けて、僕も夕食仕度に取りかかった。


「あ、いないと思ったら」
 夕食の準備が整い、そろそろ秋良を起こそうかとリビングに戻ると、ちゃっかりミルクは秋良の懐に潜り込み、すやすやと眠っていた。
 思わず苦笑が漏れる。
 なんだか起こすのが勿体無く感じる風景に、僕は暫し魅入る。
 単純だが、幸せだと感じる。
 僕が守るべきものだと実感するのだ。
 起こすのがもったいなくて、結局、その幸せな景色を眺めていることにした。

 出会えたのは、奇跡のようなタイミング。
 自分から欲しいと思ったのは秋良がはじめてで。
 守るべきものをもってから僕は変わっていったと自分でも思う。
 けれど自分の選択ミスで秋良をなくしそうになって、自分の弱さを自覚した。そして、秋良に守られている自分をも。
 強い視線。澄んだ瞳。
 何もかもが愛しくて、逆らえない、穢せない白さ。
 触れるのも畏くて、今でも躊躇う自分がいる。
 それでも、全てをなくしても手に入れたいと願うほどに、秋良だけが欲しい。
 自分でも処理しきれない独占欲に、眩暈さえしそうで……。

「ん……」
 ごそりと秋良が身動きする。
「あれ?」
 腕にミルクを抱きしめていることを知り、白い小さな生き物を潰さないように、慌てて起きあがる。
「おはよう」
 苦笑しながら、秋良の横に座ると、秋良はきょろきょろと辺りを見回し、何度もまばたきをした。
 まだ眠ったままのミルクを膝に抱き、少し眠そうな目で僕を見た。
「洋也、帰ってたんだ」
「ただいま」
 タイミングのずれた挨拶を交わし、僕は秋良の顎を持ち上げ、ただいまのキスをする。
「長く寝てた?」
「そうだね。もう、夕食の時間だ」
「え、そんなに? 起こしてくれれば良かったのに」
「ずっと保存しておきたい、僕の愛しい風景だったんだ」
「え?」
 何を言っているのだろうという顔で秋良が首を傾げる。
「夕食より先に、秋良を食べてもいい?」
「な、なに?!」
 ぎゅっと抱きしめると、秋良は慌てて僕の手から逃れようとする。
 ソファの背に秋良をもたれさせ、抗議の言葉を、僕は自分の口に飲み込む。
「洋也……、やめ……、ミルクが……」
 僕の頬を押さえようとする秋良のその手首を掴み、喉に唇を寄せる。
 ……にゃあ。
 膝から聞こえてくる鳴き声に、秋良が身体を強張らせる。
「ミルク、ほら、自分の籠へ行くんだ」
 いつもならそれだけでミルクは籠へ戻るのだが、まだ半分眠っているのか、秋良の胸に伸びあがってくる。
「こら、爪を立てるんじゃない」
 服を引っ掛けるのはいいが、秋良の薄い皮膚に傷痕を残されるのはたまらない。
「だから、ここじゃ嫌だって」
 ここぞとばかり、秋良はミルクを抱きしめる。
「でもね、秋良。僕も我慢ができないの」
 軽く睨んでくる秋良の頬にキスをすると、ミルクも秋良の顎を舐めた。
「や、……洋也、ほんと、やめて」
 首を竦ませ、目尻に涙を浮かべている。
「秋良がミルクを放せばいいんだよ?」
 意地悪く、耳元で囁くと、秋良は迷い、そしてミルクを放した。
 にゃあ。ミルクは不満そうに鳴いたが、秋良は必死でミルクの籠を指差した。
 にゃあー。あくびを一つ残して、ミルクは籠の中に潜り込む。
 あの中には、ミルクお気に入りの、『毛布』がある。だから、今は秋良を返して欲しいと思う。
 そう、あの小さな猫にさえ、僕は秋良をとられたくない。
「もう、洋也」
「可愛い顔をして寝ているからだよ」
「変なこと言わない……で……」
 シャツの下から手を入れ、滑らかな胸を撫でると、秋良の抵抗は途切れる。
「愛してる、秋良……」
 あの眠れぬ夜から、僕は遠慮なくこの言葉を口にする。秋良は言葉では返してくれないが、僕の首に腕を回すことで答えてくれる。
 愛してる。おやすみの代わりに囁く言葉は、今は秋良の快感を呼び覚ますために使う。
 愛してる、愛してる……。
「あ……、洋也……」
 ジーンズのファスナーをゆっくり下ろすと、秋良の肩が震える。
「灯り……、消して……」
 外気に晒された、秋良のもの。既に勃ちあがり、僕の手の中で、熱い脈を打っている。
「嫌だ。……見せて」
 僕にしがみつき、激しく首を振る。
「消して、頼むから」
「目を閉じてて……」
 キスをして、舌を絡める。深い口接けを交わしながら、僕はゆっくり秋良を擦りあげる。
「んっ!」
 喉の奥から漏れる快感の声に、僕は手の動きを速める。
「……はぁ…………」
 唇を離すと、二人の間をきらりと光る糸が結び、それは途切れる。秋良は背もたれに背中を預け、目を閉じて快感を追っている。
「秋良、気持ちいい?」
 濡れた唇と目元に、欲望が高まる。
「口でしてもいい?」
 わざと聞く。秋良は頷きかけて、慌てて首を振る。
 まだ理性の欠片が残っているのが悔しい。
「ねえ、秋良……、口でしたいんだ。いいだろ?」
 ぐっときつく握り込む。
「あっ!」
 秋良は顎を仰け反らせ、腕で顔を覆った。
「秋良……、口で、…………いいだろ?」
 こくりと小さく顎が上下する。けれど……。
「駄目なの?」
「洋也……」
 甘い声に、僕は微笑んで恭しくそれに口接けた。
「ああっ!」
 焦らし過ぎたせいか、それは僕が口の中に含んだ途端、弾けた。
 ドクンと広がる、ほろ苦い液体を、僕は残らず飲み込む。
「やだ……」
 はあはあと大きく胸を上下させて、秋良は僕の肩を掴む。
「こっちにきて」
 僕は自分の前を広げ、秋良のジーンズを奪い去り、正面に抱き上げる。
「……洋也……」
「愛してる……」
「洋也……」
「秋良」
 口接けを交わし、僕は秋良の後ろをほぐしながら、自分を埋め込んでいった。