お見舞い



 トントンと軽いノックの音がして、史也は読んでいた雑誌から目を上げた。
「どうぞ」
 明るい日差しが差し込む室内は、たくさんの花が飾られて、優しい薫りに包まれている。
 一見のどかな風景だが、白い壁に白いカーテン、ベッドのシーツも真っ白で、脇に点滴のスタンドを立てられている状態では、のどかとも言い難い。
 大学病院の特別室で、史也は点滴につながれての静養を余儀なくされていた。
 そろそろと静かにドアが開き、ひょこりと顔をのぞかせたのは、陽と京という非常に珍しい組み合わせだった。
「お加減はいかがですか?」
 陽が果物の入った、いかにもな見舞い用の籠を持って病室内に入ってくる。
「わざわざありがとう。たいしたことはないんだよ」
 雑誌を読むために身体を起こしていた史也は、入ってきた二人に微笑みかける。
「びっくりしました……」
 本人のほうが顔色を悪くして、京が心配そうに横にやってくる。
「父が入院したんだ」
 拓也がいかにも軽く言ったのが昨日の夜。驚いてどうしたのかと尋ねると、拓也は笑いながら「過労だって」と答えた。
「ここしばらく、日本とアメリカを往復していたからね。最初はエコノミー症候群かと慌てたんだけど、ただの過労だったよ。病院に押し込まないと休めないから、入院させたようなものだね」
 拓也はなんでもないように言うが、やはり顔を見るまでは、大丈夫だとは信じられなかった。
「もう若くないということだね」
 史也は苦笑する。その表情はすっかりいつもどおりで、ようやく京もほっとできた。
「珍しい組み合わせだね。拓也と勝也はどうしたのかな?」
「あ、勝也君は一緒に来たんですが、途中で的場先生に捕まって」
 陽が笑いながら説明する。それで三人で学校からここへ直接来たらしいとわかった。
「拓也さんは、正也さんとお母さんを迎えてからここに来るって言ってました」
「これ、ありきたりなお見舞いですが。僕と月乃君から」
 陽の差し出した果物籠に、史也はありがとうと二人に礼を言う。
「花ばっかりだって、勝也が言ってたから」
 京は言いながら首をめぐらせて病室内を見回した。
 確かにたくさんの花で埋め尽くされている。会社関係のお見舞いだろう。
 過労なら食事制限もないだろうし、花よりも果物の方がよかったかもしれない。
「あいつは自分が食べたかったからかもしれないな」
 史也の揶揄に二人はくすっと笑った。
 その時、またトントンとドアがノックされた。
「どうぞ」
 ドアが開いて顔をのぞかせたのは、秋良と崇志だ。
「お加減はどうですか? あれ?」
 秋良は部屋に入ってきて、陽と京に気がついて、こんにちはとはにかんだ笑顔で挨拶をする。崇志もそれに合わせて会釈をする。
 同じような病状の説明をして、二人がほっとしたところで、文也は洋也はと尋ねた。正也はさっきの説明で、家に香那子を迎えに行っていると知っている。
「的場先生に挨拶に。飛ばしていくとうるさいからって。僕たちは駅で待ちあわせて、洋也に迎えにきてもらったんです」
 秋良は前日にも病院にきていたので、陽から果物を預かって、室内に備え付けの冷蔵庫へと入れていく。
「秋良君、ママが飲み物を入れてくれていたと思うんだけれど」
「あ、はい。あります。飲まれますか?」
「いや、悪いけれどみんなに配ってくれないか?」
「はい。あ、小山、悪いけど、そこのトレーを取って」
 秋良は頼みやすい友達にお願いをして、冷蔵庫から出したペットボトルのコーヒーをグラスに注ぎ分けていく。
 それを崇志が配り終えると、並んでベッドの脇に座った。
「お二人は前からの知り合いなんですか?」
 互いに苗字で呼び合う関係に、兄弟を通して知り合ったとは思えない親密さを感じて、陽が尋ねた。
「大学の下宿で知り合ったんです。学部は違ったけど」
 崇志が説明すると、すごい偶然ですねと陽が驚く。京も前から不思議だなと思っていたことが、はっきりわかって陽の驚きに同意するように頷く。
「はじめて会った時はびっくりしたよな」
 秋良も笑いながら答えている。
「あ、じゃあ、あのすごい人も知ってるんですか?」
「すごい人?」
 崇志が首を傾げる。
「勝也が苦手なんですよね、秋良さんの大学の友達」
「あー、鳥羽!」
 秋良がはっと気がついたように声をあげる。
「あぁ、鳥羽! 知ってます、知ってます。へー、勝也君、苦手なんだ」
 勝也にも苦手な人がいるのかと、京は興味を引かれて話に聞き入る。
 ひとしきり鳥羽を話題にして盛り上がる。
 四人で楽しく話す様子を、史也はニコニコしながら見ている。
「あ、すみません。やかましくして疲れますよね」
 陽がすまなそうに史也を見た。
「いやいや、みんなと居ると楽しいよ。息子達といても、こんなにたくさん話さないからね。それよりはみんなと居るほうが楽しいな。疲れも吹っ飛ぶ」
「果物、むきましょうか?」
 京が椅子を立つと、秋良も一緒に立ち上がった。
「ケーキもありますよ。僕たちが持ってきました」
 秋良は部屋の隅に置かれていた折りたたみ式のテーブルを持ってくる。
 ソファセットもあるのだが、みんなはパイプ椅子をベッドの周りに運んで、史也を囲むように話していたのだ。
 恋人の父親のお見舞いに義理だけできたのではないとわかって、史也は嬉しく感じる。
 京が器用に梨とリンゴをむいて、皿に盛り付ける。
 秋良たちが買ってきたプチケーキもそれぞれに盛り分けて、さあ食べようかとした時、病室のドアが開いた。
「あー、いいな」
 勝也が目ざとくパーティーの様子を示しているテーブルに目をやる。
「やれやれ、やかましいのが来たな」
 史也の言葉にみんなが笑う。
 勝也に続いて洋也と的場も入ってくる。
「みんな揃ってるなー。お嫁さんも含めて仲のいい家族ですねー」
 的場の言葉に何人かが果物を喉に詰まらせる。
「三池さん、この点滴で最後ですよ。後は検査の結果がよければ、退院できますから」
 医者の言葉に史也はさすがにほっとしたのか、笑って頷いた。
「あらー、賑やかねー」
 病室に華やかな声が響いて、的場がピシッと背中を伸ばす。
「まぁ、先生も。すみません、遅れてしまって」
 香那子は慌てて病室に入ってくる。
「いえ、簡単な説明をしていただけですから。明日にはもう退院していただけそうですよ」
 とても丁寧な言葉遣いに、四兄弟は苦笑するしかない。
 的場にお嫁さん扱いされた四人は、退院の言葉にほっとしていたので、四兄弟の意味ありげな苦笑には気づかない。
「せっかく五人でまったりとした空気を楽しんでいたのにな」
 こんな機会はなかなか恵まれないだろう。
 息子達を除いて、その恋人達の話を聞くことは、想像以上に楽しかった。
「たまには入院も悪くないかもな」
「パパ、そうなる前にちゃんと休んでくださいね」
 愛してやまない妻に睨まれて、史也は首を竦める。
 妻に頭が上がらないのは、息子たちとも共有している弱点かもしれない。
 あまり病院には似つかわしくない楽しい笑い声に包まれて、四泊五日の入院ライフは、おおごとにならずに終わろうとしていた。