MILKY NIGHT
「にゃぁ」
猫が鳴いて、玄関へ向かう。
僕より先に愛しい人の帰宅を嗅ぎつける猫に、実はちょっとむかついたりする。
そしてほんとうにすぐ、玄関が開いた。
「ただいまぁ」
少し高めの柔らかい声。教室で毎日聞いていれば、さぞ楽しいだろうと思う。
火から目が離せなくて、出迎えに行けないでいると、クスクス笑い声が聞こえてくる。
「ミルク、ただいま。ママは?」
「誰がママだ?」
ようやく火を止めて玄関に行くと、秋良は白い猫を抱いて、その頭を撫でていた。
「ただいま」
「にゃぁ」
二つの声に思わず笑みが零れる。
「おかえり」
頬に軽くキスをする。
「どうしたの、この荷物」
秋良の足元にはいろいろなものが置かれていた。ミルクを抱くためにそれらを下ろしたのだろう。
「誕生日、おめでとう」
秋良はミルクを床に下ろして、花束を取り、僕に差し出した。
「ありがとう」
白い百合をメインにしたその花束を受け取る。
「ケーキも買って来たんだ。チョコレートケーキ。それと、プレゼントもあるんだよ、もちろん。花は、本当は買うつもりなかったんだけど、花屋さんの前を通ったらさ、その花が洋也のイメージに似ているなーと思ったら、欲しくなっちゃったんだ」
花を買ったいきさつを説明する秋良は少し恥ずかしそうで、愛しい気持ちがこみ上げてきて、力いっぱい抱きしめた。シャカシャカと、花を包んでいるラッピングのセロファンの音がする。
「ありがとう、秋良」
「もう……、びっくりするよ」
そう言いながらも、秋良の手は僕の背中に回される。
「にゃぁ」
猫の声に、秋良はクスクス笑う。
「ほら、ミルクもお腹が空いたってさ。ママ」
秋良は時折、こうして僕をからかう。
猫が我が家にやって来た時、僕の学校が暇な時期だったので、自然と僕が猫の世話をするようになり、膝に抱いてミルクをやっている姿を『ママみたいだ』と言ってから、秋良はミルクのことになると、僕のことをママと呼ぶ。
「ママ、ねぇ……」
「テレビに出ているアイドルだって、グループで1番背が高いのに、ピンクのエプロン着てママって言ってるよ」
子供たちの影響か、秋良はテレビの番組に妙に詳しい。生徒の興味対象を知るためには必要だからと、その手の番組も時間があれば見るようにしている。その時間を僕は仕事に充てるようにしているのだけれど……。
「もしかして、プレゼントってエプロンじゃないだろうね……」
ケーキをリビングに運びながら、僕は思わず確かめてしまう。ピンクの、おそらくはフリルたっぷりのエプロンを想像してしまったのだ。
「まさか」
秋良は声をたてて笑う。
「でも、一瞬は……、考えたかな?」
小首を傾げるその姿に、思い止まってくれて良かったと、心からそう思った……。
二人で食事をした後、ケーキの箱を開けた。
『ひろやくん、お誕生日おめでとう』
チョコレートの板に白い文字が並ぶ。それを見て、思わず口元が綻んだ。
「二人だと、ちょっと多いと思ったんだけど。やっぱり、ロウソクに火をつけたいじゃない? そうしたらお店の人が誕生日ですか? って聞くから、そうだって言ったら、メッセージ入れてくれるって言うから……」
「嬉しいよ。ほんとに」
ケーキプレートに移し、ロウソクを立てた。リビングの灯りを落とすと、秋良が一本一本に火をつける。
「にゃぁ」
部屋が暗くなったのに驚いたのか、それともロウソクの火が気になったのか、ミルクが鳴いた。
「大丈夫だよ」
足元に擦り寄ってきた猫の頭を撫でる。柔らかな白い毛は、とても手触りがいい。
椅子に座ると、トンと膝に乗ってきた。
「何度目の誕生日かな……」
「え?」
「秋良と出会ってから、何度目の誕生日かな?と思ってさ」
ああ、と秋良が笑う。
「こうしてお祝いするのは、3度目だね」
ロウソクの灯りの向こうで秋良が微笑んでいる。
「でも、ロウソクまで立てたのははじめてだよね。……おめでとう」
「ありがとう。もう消していい?」
秋良が頷くのを見て、僕は火を吹き消した。途端に部屋が暗くなる。
秋良が立っていき、スイッチを入れる。明るくなったテーブルの上ではカサブランカが花弁で光を弾く。
「なんだか、ナイフを入れるの、もったいないよね」
秋良はそう言いながら、二人分を切り分け、ディッシュに取り分けてくれた。
「美味しい」
甘さをずいぶん抑えたそのチョコレートケーキは、舌の上でほろりと溶け、あとで程よい甘さを運んでくれる。リキュールも多めで、どちらかといえば、大人向けのチョコレートケーキだった。
「にゃぁ」
泣き声に俯くと、膝の上でミルクが物欲しそうに見上げていた。
「食べさせても大丈夫かな?」
少しだけならと、指でホイップのところを掬い、口元まで運んでやると、ふんふんと嗅いだあと、ミルクはぺろりと小さな舌を出し、舐め始めた。
「美味しいみたいだな」
すべてを舐めとって、また「にゃぁ」と鳴く。
「駄目だよ。アルコールが入っているんだから」
ツンと鼻を押してやると、抗議の泣き声を上げる。視線を感じて顔を上げると、秋良が慌てて視線を逸らした。
「……?」
何か気に触ることがあったのだろうかと思う。けれど、秋良はすぐにまた僕のほうを向いて、ニッコリ微笑んだ。
「ずっと……、二人でお祝いしたいね……」
「本当は、秋良の誕生日も二人きりで祝いたいんだけど?」
僕がからかうように言うと、秋良は困ったように笑う。今年も訪れた乱入者たち。玄関先でプレゼントを渡して帰ってくれるはずもなく、結局、いつものように秋良の誕生日を、二人でお祝いは出来なかった。
「これからも……、一緒にいて……。ずっと」
僕がそう言って秋良を見つめると、少し頬を染めて頷いてくれた。
それが……、僕にとっては、何よりの……、プレゼントになった。
僕はベッドサイドに腰掛け、ミルクの背中を撫でていた。ミルクは気持ち良さそうに、目を閉じている。寝ているのか、起きているのかわからなかった。
僕は元々動物が好きではなかったけれど、秋良が拾ってきたこのネコを、可愛がれないほど、冷たくもないつもりだった。そして、予想外にラッキーだったのは、このネコの毛触りだった。
拾って来た時はかなり衰弱もして、毛も絡み合っていたし、所々にははげているところもあった。それが健康状態が良くなると、猫の毛は、とても触りごこちが良かった。
しかも……、秋良の細くて軟らかい髪質に、感触がとても似ていて……。
秋良は普段からあまり髪を触らせてくれないので、いつのまにか、このネコを撫でて我慢している自分に気がついていた。
「お風呂、流してきたよ」
秋良が寝室に入ってくるなり、続く言葉を止めて、動きも一瞬、止めていた。秋良の髪はまだ半乾きで、タオルを手に持っている。
「…………秋良。来て」
手を差し出すが、秋良は視線を逸らした。
「そこは……、ミルクの場所なんだろ」
秋良は自分の言った言葉に驚いたように口を開き、次の瞬間、唇を噛んだ。
「ほら、ミルク、下りろ。自分のベッドに行け」
僕はミルクを膝から下ろし、その背中を押してやった。
ミルクはドアの方へ歩いて行き、ドアのところにいる秋良に、『にゃぁ』と泣いた。
「あ、ああ……」
秋良はドアを少しだけ開けた。そのわずかな隙間から、ネコは廊下へと出て行った。自分のかごに戻るか、夜行性の本性を思い出して、家の中をうろうろするかもしれない。
けれど、僕には目の前にいる恋人の方が大切だった。
「秋良……」
僕の前まで歩いてきた秋良の手を取ると、秋良は僕の隣に座り、僕の肩に顔を埋めてきた。
「秋良?」
秋良の肩に手を回して、抱き寄せる。そして、不機嫌な唇に、キスを重ねる。
長いキスのあと、秋良は僕の肩口のパジャマを掴み、額を摺り寄せてきた。
「洋也……」
聞こえるか、聞こえないか、わからない程度の微かな声が僕を呼んだ。
「いつも……、秋良だけだよ」
耳元で囁くと、秋良が首に腕を回してくる。細い背中を抱きしめると、くぐもった声が聞こえた。
「愛してる」
何度も尋ねて、それでも言ってもらえない事の方が多い言葉が届く。心の中が愛しいという感情だけで溢れて、僕は秋良をベッドに押し倒した。
横を向いて顔を隠そうとする頬を押さえ、口接ける。唇を舐めると秋良の舌が出迎えてくれる。
甘い舌を吸い、僕の口内に導くと、触れるか触れないかの恐々といった感じで歯列を辿って行く。舌の裏を舐めると、ピクンと止まり、僕の舌を舐めてくる。
ゆっくりとディープなキスを味わいながら、僕は秋良のパジャマのボタンを外していく。現われる白く滑らかな胸に、掌を這わせる。
「ん……」
舌が出ていき、甘い声が漏れる。
ふと気づいて、秋良から贈られたそれで秋良の綺麗な肌を傷つけたくはなくて、外してベッドヘッドに置き、自分もパジャマの上を脱いだ。
指先で胸を撫で下ろす。
「秋良、愛してる」
濡れた唇を吸い、キスを下にずらせてゆく。
僕の肩を掴んでいた手に力がこもるのがわかった。
喉を吸い、鎖骨を舐め、音をたててキスをする。
「洋也……」
柔らかな声で呼ばれ、体温が上がる。
薄いピンクの乳首に舌を這わせ、甘く噛むと、秋良の背中が跳ねる。
パジャマのズボンに手をくぐらせ、起ちあがりかけた秋良のものを緩く掴む。
「あ……」
淡い声が響き、それは僕の手の中で硬く形を変えてゆく。
乳首を離れ、キスを更に下にずらせていく。もう片方の手でパジャマのズボンを下着ごと脱がせていく。
藍色の海に浮かぶ、白く綺麗な裸体。
その中心を僕は口に含んだ。
「あっ、…………ん」
秘めやかな声が室内に響く。すっかり張り詰めたそれを唇で扱く。
手で腿を撫でながら、秋良の足を広げていく。足を肩に乗せ、少し浮いた腰の下に、手を滑らせる。
「あ、洋也……、んん……」
口の中のものが更に硬さを増す。浮き出た血管に沿って、舌を這わせる。
「んんっ、……もう……」
滲み出た液体を舌で舐め取ると、秋良の腰が震える。
「やめ……、ひろ…や……」
髪の毛を掴まれる。けれど、強く吸うと、その手の力が抜けていく。
「ん……、んんっ、…………だめ、…………も、もう……」
何度もこぼれる秋良の熱い声に、僕は伸びあがって秋良の耳元に熱い息で囁く。
「もう、いきたい?」
「ん!……」
腰を押し付けられ、肩を震わせる。きつくしがみつかれ、秋良の声が僕の耳朶に吹き込まれる。
「洋也……、もう……」
僕もパジャマの下を脱ぎ、既に滾っている自分のものと、秋良を擦り合わせるように、腰を押し付ける。
「熱い……」
秋良の声を吸い取るように口接け、指をうしろに滑らせる。
柔らかな入口は綻びかけ、それでも指の訪れに、萎縮するように窄まる。
「秋良、僕をここに……」
耳朶を眺めながら囁くと、秋良の背中が震える。指をゆっくり潜り込ませていくと、逃げるのに腰が押しつけられるが、それは自分の熱を僕のに擦りつけるだけだった。
「あっ……、ああ!」
秋良の甘い声に、僕のものは熱さの容量を増す。それが秋良に伝わったのが、首を竦ませる。
「や、ひろや……、いきたい……」
逃げることも出来ず、秋良は自分で腰を押し付け、僕の肩を噛む。
「ここ……?」
僕は秋良と自分のものを掴み、ゆっくり上下に愛撫する。うしろの指を、更に増やす。
「洋也……、洋也……」
秋良が何度も僕の名前を呼ぶ。
「洋也……、洋也……」
絶頂が近くなり、肩を噛み、力が入らず、それでも歯を立てようとする。
「秋良、……愛してるよ。秋良……」
囁いて秋良の中に入った指で感じる部分を擦り、前の手できつく扱いた。
「……っ!!」
喉が反りかえり、秋良の身体が強張る。
ドクンと僕のものに響く熱い脈とともに、二人のものが濡れるのを感じた。
「秋良……」
弛緩する秋良の身体を抱き寄せる。
零れた一粒の涙を吸い、口接ける。
「洋也……」
首に腕を回し、秋良が擦り寄ってくる。
「いい……?」
訊くと、微かに頷くのがわかった。
僕は秋良の身体をうつ伏せて…………。
静かな寝息の秋良は、疲れたまぶたを動かしもしない。
柔らかな髪はまだしっとりと濡れている。
頬にかかる髪を指で掻き揚げてやると、ぴくりと肩が揺れた。
宥めるように髪を撫でると、また寝息が穏やかになる。
「いつもこうして撫でさせてくれれば、ミルクを撫でたりしないよ?」
込み上げる笑みを隠し切れずに囁くが、もちろん秋良は眠ったままだ。
柔らかで、いつまでもこうして触れていたいほど手触りが良くて、綺麗な髪を繰り返し撫でる。
「ミルク……」
ネコの夢を見ているのだろうか、秋良がその名前を呟いた。
「よく似てるよ、きみたちは」
思わず笑って、僕は自分も眠りの波に攫われるまで、その艶やかな髪を撫でていた……。