バースデイ・ナイト
 



 駅前のロータリーは、夏休みだからなのか、大勢の人で溢れていた。その中を頭一つ分は背の高い少年が慌てて駆けて行く。駅の改札横の伝言板に立っている一人の青年を見つけると、少年は相好を崩して大きな声を上げた。
「アキちゃん!」
 アキちゃんと呼ばれた青年は一瞬頬を染めて、それでも少年に向かって優しい微笑みを向ける。
「ごめん、遅れちゃった」
「寝坊したんだろ、勝也」
 少年は違うよと首を振って、額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。
 青年、勝也が幼い頃に恋して、今も淡い想いを捨てきれない相手、秋良は最近特に精悍さを増した勝也の顔をまぶしそうに見上げる。
 高校生になってから、勝也はまるで脱皮する様に、目覚しく成長した。
 秋良は勝也の中で何かが変わっていくのを間近で見ながら、けれど、何もしてやれなかった。
 勝也が悩んでいる時も、苦しんでいる時も、ただ傍にいただけだった。勝也は自分で答えを見つけ、何かを決めたようだった。
 その悩みも、答えも、秋良は知らない。その過程を見ているだけだった。
 勝也はやがて、今までとはあきらかに違う笑顔で笑うようになった。
「出掛けに電話がかかってきたんだよ。それで……」
 言いにくそうに口を尖らせる勝也は、高い身長や男らしい顔に似合わず、年相応に見えて、秋良はホッとする。
 この少年を無理にも大人にしてしまったのは自分だ。そしてお互いにそのことをよくわかっていながら、気付かない振りをしあう。
 時に疲れるそのお芝居を、いつまで続けなければならないのだろうか。互いに切り出せないまま、いたずらに時を重ねている。
 そして、変わりつつある勝也に、秋良は最近、寂しさと不安とを胸に抱いている。
「それで? どこへ行くんだ?」
 秋良の問いに、勝也はにっこり笑う。
「映画、行こ。アキちゃん」
「買い物じゃないのか?」
 勝也に誕生日プレゼントは何がいいかを聞いたら、待ち合わせの時間を指定された。てっきり何か欲しいものが決まっているのだと思っていたら、映画だと言う。
「俺の誕生日でしょ? 1日つきあってよ。それでいい」
「勝也!」
 グイと肩を抱かれ、改札へと連れて行かれる。
 真夏の太陽が、そんな二人を見送っていた。
 
 映画を観て、昼の食事を一緒にとって、アミューズメントパークへ連れて行かれて、1日はあっという間に暮れていく。
 インドアゲームとは言え、絶叫マシンで思い切り叫んだり、シューティングゲームでは勝也の活躍でその日の最高得点を取ったりして、思いもかけず、秋良自身も楽しんでいた。
「アキちゃん、楽しかった?」
 駅からの帰り道、星の瞬く道を二人で歩きながら、勝也は優しく問う。
「ほんと、勝也の誕生日なのにな」
「俺も楽しかったよ。すごく」
 勝也はクレーンゲームで勝ち取ったふにゃふにゃのパンダのぬいぐるみを両手でぷにぷにと押しながら、秋良に微笑みかける。
「こんなに1日とっぷりアキちゃんと一緒にいるって、はじめてのことじゃないかなー」
「そうか? …………そうかもな」
 うん、と勝也は頷いて、ぬいぐるみをぽんと上に投げては、受け止める。
「アキちゃん、何もきかなかったよね」
 いつか話してくれるだろうか。そう思いながら過ごしてきた、薄氷を踏むような日々。
「だってお前、絶対しゃべらないって目、してたぞ」
 冗談混じりに恨み言をぶつけると、勝也はクスクス笑う。
 勝也はいつも感じていた。自分の背中に向けられる、心配そうな目。けれど勝也が真っ直ぐに見詰め返すと、秋良は安心した様に微笑んでくれた。
 その微笑みと信頼を失わない様にと思うことだけでも、勝也にとってはどれだけ心強かっただろう。そして……。
 勝也は足を止めた。
 どうした?と、秋良も立ち止まって振り返る。
「アキちゃん、これからもさ、アキちゃんって呼んでいい?」
 唐突に勝也が問う。
 秋良は笑って、いいよと返事をする。
「今更、どうしたんだよ」
 突然、勝也は秋良を抱きしめる。ぽとりと、ぬいぐるみが二人の足元に落ちる。
「勝也?」
 じゃれついてくることはあっても、こんな風に真剣に抱きしめられたことはなかった。
 特に高校生になってから勝也は、強いて秋良と触れ合うのを避けていた様にさえ思えたのに。
 秋良は戸惑う様に勝也の名前を呼んだ。
「アキちゃん、俺ね、好きな人ができた」
 頭の上で響く声は、微かに震えていた。
 なんと答えていいものかわからず、秋良はただじっと抱きしめられていた。
「その人のこと、アキちゃんより、好きかも知れない」
 秋良は抱きしめられたまま、バカと呟く。
「僕より好きで、当たり前だろ」
「だって」
 そんな人が出来るなんて、勝也は考えもしなかった。いつまでも、この苦しい想いを抱き続けなければならないのかと、自分を恨んでいた。自分を憎んでいた。この人を恨むことも、憎むことも出来なくて。
「今度、紹介してくれよな」
「まだ、駄目」
「昔の担任としてもか?」
 勝也の拒否を、兄の恋人とは紹介できないだろうからと受け取ったのか、秋良は寂しそうに言う。
「違うよ、アキちゃん。違うんだ。紹介できる様になったらさ、アキちゃんのこと、隠したりしないよ。ただね、まだ俺の片想いだから」
 勝也の答えに、秋良はそっと勝也の背中を抱いてやる。
「大丈夫だよ。きっと、勝也の気持ちは通じるさ」
「…………うん」
 寂しそうに響く声。
 そして勝也はそっと秋良を離す。
「片想いもね、楽しいもんだよ、アキちゃん」
 いつもの明るい声。それだけで勝也が無理をしているのがわかる。
 落としてしまったぬいぐるみを拾い上げ、秋良はそっと口接ける。そして……、自分の触れたところを、勝也の頬に押し付けた。
「頑張れ」
 勝也は一瞬驚いた顔をして、すぐににっこりと笑った。
「最高のプレゼントだね」
 でもこいつむかつく、と言って、罪のないぬいぐるみを軽く叩く真似をする。
 いつまでも、生徒として、弟としてしか見てやれなかった。その真剣な想いに気付いていながら、ずっと気付かない振りをしているしか出来なかった。
 そしてそれを勝也も気付いていたはずだ。
 秋良と自分の兄が暮らす家の前で、寄っていけよと誘う秋良に、勝也は手を振って帰っていった。
 その背中を見送りながら、秋良は願う。
 どうぞ幸せになってくれと。
 誰よりも、自分よりも、幸せになって欲しい。それだけ辛い想いをしてきた子だ。
 必死で生きてきた子だから、あんなにいい子はいないから。
 誰よりも、自分よりも幸せになる権利はあるはずだから。
 どうぞ、幸せに……。
 彼の想いが叶いますように……。
 彼の想いが相手に届きます様に。
 もう、辛い恋などして欲しくない。自分にそれを願う資格はありはしないが……。
 自分の涙のわけも知らず、秋良は夜に消えていく、見守りつづけてきた背中にずっと祈り続けていた。