安藤秋良君の切実な悩み

 
 
 
 陽だまりの中のサンルーム。暖房も必要のないくらい暖かい。
 ロッキングチェアのクッションは柔らかで、秋良を心地よい眠りに誘う。
「うー、眠ってもいいかなー」
 部屋には今誰もいないが、ついひとりごちてしまう。
 この部屋と椅子をプレゼントされてから、秋良は休みの日のほとんどをここで過ごすようになってしまい、最初は苦笑していた同居人も、次第に怖い顔をするようになっていった。
 本人は怒っていないとは言っているが、その顔は不機嫌そのものである。
 時折自分の受け持ちの生徒達より子供っぽくなってしまう恋人は、秋良の気侭を許してくれるが、そのあとのフォローが大変になるのだ。わが身に返ってくるその拗ね方に、自分の寝床にこもるのも実はびくびくものだったりする。
 つい洋也に「今日は仕事しないの?」と聞いて、苦笑混じりに行ってもいいよと言って貰ったばかりだ。だが、あまりにもこもると、連れ出されてしまう。しかも、ただお茶を誘われるだけならいいのだが、そのまま寝室まで運ばれることになったら大変だと思う。
「だって、ここに寝転ぶと、眠くなるし」
 寝転ばなければいいのだが、ここはまるで自分を誘っているように感じられるのだ。
「洋也には何がいいかなぁ」
 すごすぎる誕生日プレゼントに眩暈がする。洋也はプレゼントはこの椅子のほうだといったが、部屋を改装したことは事実だ。それにこの椅子だって、決して安くはないだろう。
 誕生日のプレゼントに何が欲しい?と直接聞けばいいのだが、なんとなく答えが予想できてしまう。『秋良が欲しい』などと言われて平静でいられる自信がない。同時に身の危険でもある。
 今更その行為が嫌などとは言わないが、隠すことなく言われることに慣れることができないのだ。
「ううーん。何でも持ってるし」
 日頃から何かが欲しいと言ったこともないし、欲しいものならたいていすぐに買ってしまいそうである。
 そういう相手に何を贈ればいいというのだろう。
 つらつらと考えているうちに秋良はやはりというか、当然というか、眠りに引き込まれていった。
 
 
 
「秋良、僕の誕生日には、これをつけてね」
 洋也に水色のリボンを渡される。
「これ? これをどうするの? つけるって?」
 幅広の光沢のあるリボンを受け取って秋良は首を傾げる。
「頭でも、首でもいいよ」
「頭? 首?」
 訳のわからない秋良から渡したばかりのリボンを取り返し、洋也はリボンを秋良の首に回す。
「何するの?」
 巻かれたリボンを見るために俯いていると、洋也の長い器用な指が、秋良の首に大きな蝶々結びを作る。
「秋良が僕の誕生日に何がいいのか迷っているみたいだから、秋良をくれればいいよって教えてあげてるの」
「えええっ!」
「僕の誕生日は、一日中、秋良は裸でベッドで僕を待つの」
「そ、そんなっ、むりだよっ、ほら、僕、学校あるし」
「だって、他に何がいいのか、思いつかないんでしょ。だから秋良そのものをくれればいいよ」
「だ、だ、だめーーーーーーーーーーー」
 
 
 
「秋良、どうしたの?」
 揺り動かされて、はっと目か覚める。
 目の前に洋也の心配そうな顔があった。
「うなされていたよ。この場所で珍しいね」
 洋也は手に持っていたマグカップを秋良の手に握らせる。ホットココアの甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「あ……れ?」
 秋良は瞬きしながら起き上がった。
「夢でも見たの?」
 洋也は肘置きに腰を落として、秋良の肩を抱き寄せた。
 緩く抱かれながら、秋良は今見たばかりの夢を反芻する。このままではダメだ。本当にリボンの刑になってしまう。
「そろそろ買い物に行こうと思うんだけれど、今夜は何を食べたい?」
 楽しそうな洋也の声に、うーんと唸りながらメニューを考える。そして一口飲んだココアをどこかへ置こうと思ったが、直接床に置くしかないと気がついた。
「あ、そうだ」
「何? メニューが決まった?」
「ううん、なんでもない。今夜は……、パエリアがいいな。海老たっぷりの」
 洋也の得意な料理を思い浮かべ、秋良はリクエストする。
「わかった。一緒に買い物に行く?」
「うん、いく」
 秋良は洋也に手を引かれ、お気に入りのチェアーに暫しの別れを告げた。
 
 
 
「あ、洋也? 迎えに来てくれると嬉しいなぁ」
 秋良は携帯電話から洋也へと、一生懸命甘えた声で話す。本当はそんな声など出さなくても絶対断られることなどないのに、秋良は断られちゃったらどうしようと真剣に悩んでの、精一杯の演技である。
『いいよ。学校?』
 洋也は秋良の心配などよそに、すぐにOKの返事をくれた。
「ううん、今、F駅にいるんだ。なんだか混んでて、乗るのが嫌になっちゃったんだ」
 少し言い訳をしてしまう。
『暖かいところで待ってて。すぐに行くから』
 ごめんねと言って電話を切る。
 洋也は電話で言ったとおり、すぐに玄関を出てきた。アウディーのエンジンをかけ、滑らかに道路に出て行く。
 そのテールランプが完全に見えなくなってから、秋良は家の脇からごそごそと出てきた。
「ほんと、ごめん」
 聞こえるはずもないが、一応謝っておく。
 秋良は急いでワーゲンから荷物を取り出した。昨日のうちに買っておいた荷物と、さっき帰りに買ってきたものとをあわせて家の中に運び込む。
「にゃー」
「ただいま、ミルク」
 愛猫が擦り寄ってくるのをなおざりに撫でて、秋良の巣へとそれを運び入れる。思うようにかまってもらえなかった猫が、秋良の足元にまとわりつく。
「ダメだよ、ミルク。急ぐんだってば」
 秋良はミルクを宥めながら、一生懸命セッティングしていた。と、携帯電話が鳴り響く。もちろん相手は恋人だ。
『秋良、着いたよ。どこ?』
「ごめん、あのね、帰ってきちゃったんだ」
『え?』
「ほんと、ごめんね。家で待ってるから、急いで帰ってきて」
『どこか具合でも悪いの?』
 心配性の恋人は、秋良の後ろめたさを元気がないと受け取ってしまったらしい。
「全然。元気。ごめんね、まってるから」
『本当にどこも悪くないんだね?』
 ほとんど騙されたとわかっているはずなのに、洋也はまったく怒った風でもなく、電話を切った。
「ううー、怒ってませんように」
 祈るような気持ちで、秋良は最後の仕上げにとりかかった。
 
 
「おかえり。さっきはごめん」
 元気な秋良を見ても、まだ心配なのか、洋也は秋良と額をくっつける。
「だ、大丈夫だってば。ほら、こっち」
 秋良は必死で洋也の腕から抜け出し、腕を引っ張っていく。
「なに?」
 秋良に手を引かれながら、帰宅のキスをしていないことを不満に思いつつ、引かれるままに秋良のサンルームへと連れて行かれる。
「どうぞ」
 一体何だ?と思いながら、洋也は一ヶ月前の自分がしたことも忘れ、ドアを引いた。
「誕生日おめでとう」
 背中から声をかけられる。
 部屋の中には、昨日までなかったアンティーク調のテーブルが置かれ、その上にケーキとシャンパンと、二つの細身のグラスもあった。
「えっとね。プレゼントはグラスなんだ。カットが綺麗だなって、前に言ってただろう?」
 たまたま一緒に見ていたドキュメンタリーで、ガラス職人が一つずつ手作りしていたグラスは、カットワークがシンプルに見えて、それでいてガラスの光の弾き方が絶妙だったのだ。
 テーブルは秋良の誕生日以降はこの部屋から運び出されて、家具といえば秋良の椅子だけだったのだ。それだといつも秋良一人になってしまう。
 だから秋良はこの部屋に似合いそうなアンティークのテーブルを探した。脚の曲線とその彫刻が綺麗なテーブルを見つけるまでに、何軒の店を回ったかわからない。それでもこのテーブルを見つけられて、その苦労は吹き飛んだ。
「ありがとう、秋良」
 特別の招待状を貰ったようで嬉しくて、洋也は微笑んで秋良を抱きしめた。
「乾杯しようよ」
「そうだね」
 秋良のための特別な場所。それを作ってしまったことを実は後悔したこともあった。
 それなのに、秋良はその場所に、洋也の居場所を作ってくれた。それが何より嬉しかった。
「嬉しいよ」
 素直に気持ちが出てくる。そんな簡単なことも、秋良と出会って教えてもらった。
 家なんて、寝食するためだけのものだと思っていた。それなのに、秋良がいるだけで、全然別の意味を持つようになる。
「さっきはごめんね、騙して」
 もちろん洋也は少しも怒っていなかった。それどころか、こんなサプライズが用意されているなら、喜びのほうが勝るのに。
「そのお詫びは秋良で払ってね」
「え? えええっ?!」
 照れ隠しに、洋也は秋良を抱きしめる。そしてようやく、帰宅と謝罪とお祝いのキスを恋人から貰ったのだった。