Love Letter


 
「おはよう」
 教室に入ると、久志は自分の机に鞄を置いて、隣の孝治に挨拶をする。
「はよう」
 いつもなら久志の方が早いのに、今日はぎりぎりといったところの登校に、孝治が心配そうな視線を投げかける。
「珍しいな。朝寝坊か?」
 うんとか、そうとか、軽くかわされると思っていたら、久志は妙に慌てて首を振った。
「そ、そんなんじゃないんだ。ちょっと駅でね。えっと……」
 途端に顔を真っ赤にしてしどろもどろになる。
「痴漢でもされちゃった?」
「ち、違うよ!」
 むきになって否定する久志に、孝治は吹き出してしまう。
「冗談だって。いくら可愛く見えても、杉田は男だもんなー。制服だって着てるし」
「可愛くなんか見えないよ!」
 だからもうそのふくれっつらはどう見ても、小学生……、とは言えずに、孝治はお腹を抱えて笑い出す。
「俺ねー、知ってるしー」
 そんな二人の間に、工藤が割り込んできた。
「見ちゃったもんねー。大変だったねー、杉田くーん」
「えっ」
 工藤の意味ありげな視線に久志はうろたえる。
「何? 何見たの?」
 孝治が身を乗り出すと、工藤はさっと久志の制服のポケットに手を入れた。
「ジャーン!」
「ああっ!」
 工藤は何かを頭上高く掲げた。教室中の視線が集まる。
 工藤の手には、男子校にはあまり見かけない代物が握られていた。
「く、工藤君!」
 久志は慌てて取り戻そうとするが、何しろクラスで一番背は低いし、対する工藤は背が高い方の部類に入る。
「これは今朝、杉田久志君が聖女の中学生らしき女の子からもらったものでーすっ!」
 おおおーっと、低い声が教室に響き渡る。
「か、返して」
 久志は真っ赤になり、そして青くなって、必死で手を伸ばすが、悲しいかな、まったく届かない。
「もちろん返すさ。中も読んだりしないよ。でも、この可愛い封筒! 拝ませてもらいたかったんだよなー!」
 ぴらぴらと封筒を振る。ピンク色に可愛いイラストの入ったそれは、クラスメイトの手から手へと渡っていく。
 久志は泣き出しそうな顔でそれを見送っていた。隣では孝治が気の毒そうに、久志を見ている。
「さっさと鞄の奥に仕舞っておかないから」
「で、でも……」
 ワーワーと、教室の中を舞う手紙が、ふいと、誰かの手に取り上げられた。
「ああっ!」
「せ、先生……」
 怜一は手紙を取り上げ、持っていた出席簿でその生徒をパタンと叩く」
「何やってるんだ、お前たちは」
 へへへと、引きつり笑いで、みんなが下がっていく。
「誰のだー? あんまり見せびらかすなよー」
 教室を見渡しても名乗りをあげるものはいない。
「お前のか?」
 取り上げた生徒に差し出すと、彼は首を振る。
「す、杉田のだって」
「へ?」
 怜一は間抜けな声を出して久志を見た。
 どうしていいものかわからず、久志はおろおろと佇んでいる。
「取りに来い、ほら」
 怜一は苦笑して、久志にそれを差し出す。久志はぎこちない動きで、手紙を取りに来た。
「みんなを羨ましがらせるんじゃないぞ」
 あっさりとそれを返し、みんなに席につくように促した。
「案外気にしねーのな」
 孝治の呟く声が聞こえ、久志はポケットの中で手紙を握り潰してしまった。
 
 
「杉田」
 帰ろうとするところを呼びとめられた。クラス委員の孝治の用件を少しだけ手伝わされた久志が帰る頃には、生徒玄関は人影もまばらだった。
「急ぐか?」
 手招きされて廊下の隅に行くと、怜一はそんな事を聞いてきた。
「いいえ」
「じゃあ、よって行けよ」
 久志は首を傾げて考えてから頷いた。
「僕のほうが先になるかなぁ。開けて待っててもいい?」
「じゃなくて、駅とは反対に歩いて、国道を右に曲がったホームセンターのあたりで待ってろ」
「え?」
「俺ももう帰るから、車で拾う」
 そう言うと、怜一は久志の返事も待たずに、職員室の方へ小走りに駆け出した。
「ふーん、情熱的だねえ」
「中西君!」
 背中から声をかけられて、久志は驚いて振り返った。心臓がどきどきと飛び跳ねている様だ。
「大丈夫だって、俺しか聞いちゃいないって」
「えっと……。一緒に……、行く?」
「冗談。行かない行かない。けど、意外にも気にしてたんだなー」
 にやりと笑われて、久志は1歩下がってしまう。
「何を?」
「いや、まあさ。今日は杉田を電車に乗せたくないんじゃないの? 明日も車で送るとか言い出しそう。気をつけろよ?」
「だから、何を?」
 何を言われているのかさっぱりわからない久志は、腹立ち紛れに軽く睨んでやる。孝治はまったく気にする様子もなく、明るく笑って、
「そりゃレイちゃんも苦労するよな」
 そう言って、手を振りながら、特別棟の方へ足を向けた。これからクラブ活動があるのだろう。
「遅れちゃう」
 久志は慌てて靴を履き替えると、校門を飛び出し、いつもとは反対方向へ駆け出した。
 
 
「ん……」
 優しくキスをされながら、耳朶を揉まれる。
 決して欲情を誘うようなキスではないのに、身体の中が熱くなっていく。
 肩を抱かれる手に身を任せても、不安はなかった。あるとすれば、これから自分が感じるだろう、快感に対してだろうか。それはいつも、久志を自分ではないもののように翻弄するから。
 ちゅっ、ちゅっと音をたてて唇を合わせてから顔を離し、怜一は久志を見つめて微笑む。ぼんやりと、焦点の合いにくい瞳で、自分を見る久志が可愛くてならないのだ。
 キスも、それから先の事も、久志はあまり慣れるということがない。いつも恥ずかしそうで、すぐに顔を伏せてしまう。
 だが、長いキスの後は、いつもこうしてぼんやりと自分を見てくる。その表情が、怜一は好きだった。
 大きな目の中の、黒目がちの瞳の中に、自分が映っている。それを更に覗きこもうとすると、久志は急に自我を取り戻すのか、怜一の胸に顔を埋めてくる。
「へー、泊まっていけよ」
 髪を撫でながら言うと、久志はくるりと顔を上げる。
「ダメか?」
「明日、送っていくとか言う?」
「は?」
 突然の久志の疑問に怜一は驚く。
「明日……」
「そりゃ、家の近くまでは送ってやるさ。いつものことだろ?」
「え?」
 今度は久志がきょとんと怜一を見た。
「明日も泊まるか? いっそ、一緒に暮らすか?」
 クスクス笑って、怜一は久志を抱きしめる。
「だって、学校……」
「土曜日にも学校へ行くのか?」
 しばらく考えて、久志は笑い始めた。
「変な奴だな」
「中西君があんなこと言うから」
「孝治が何か言ったか?」
 放課後のことを説明すると、怜一は鼻の頭に皺を寄せて、嫌そうな顔をした。
「どういう意味だったんだろう」
 ふっと怜一は笑い、ソファの上に仰向けになって、久志を胸の上に抱き上げた。
「先生」
 突然の体勢に驚いて、久志は抗議の声を上げた。
「ラブレター、どうした?」
 ぎくりと久志の身体が強張る。
「いいさ、聞かないから」
「でも……」
「聞いた方がいいのか?」
 わからない……。久志は自分にも聞こえないような声で呟いた。
 ぽんぽんと背中を叩かれる。子供をあやすような仕草は、けれど久志は嫌いではなかった。
「悪いけど」
 そう前置きしてから、怜一は久志の頬を両手で挟んで自分のほうを向かせた。
「俺はお前を離してやれない。あの手紙にyesの返事をするなら、俺がお前を追いかけられないように、俺の目を潰して行ってくれよな」
 真剣な目で刺すように見詰められて、久志は瞳を揺らせる。
「先生……」
「そうしたら、お前が誰かと幸せそうに笑う姿も見ずに済むからな」
 ひさしの不安な顔を見ていられなくて、怜一は強引に自分の胸に、久志の顔を押し付ける。
「僕には、先生だけだもん」
 くぐもった声がきこえてくる。
「ああ……」
「先生がいればいいよ」
「ああ、……わかってる」
「あの手紙だって、返そうと思ったのに、どうしてもって押しつけられちゃったんだ」
「そうか……」
「先生が、好きだよ」
 その声が泣き声に聞こえて、怜一は胸が痛んだ。
「久志……」
「先生、だけだよ」
 再会して、想いを伝え合って、なのに擦れ違って別れてしまった。それでも尚、離れていられなかった。
 その想いを一瞬でも疑ってしまったのだろうか。
「悪かったな、久志」
 久志は怜一の腕の中で首を振る。
「先生がいれば、いい……」
 一緒にいれば、それだけで幸せで、その幸せの分だけ不安があった。
 二人の位置が近過ぎるのだ。
 早く卒業してくれよ……。
 そう願いながら、怜一は細い顎を持ち上げ、口接けた……。