第6話 またまた女性説登場 9代将軍徳川家重女性説

 女性説といえば、もう一つある。ずっと前、とんでもない事をテレビで放映していた。
 「暴れん坊将軍」で有名な徳川吉宗の息子(長男)である9代将軍徳川家重が女性だったという珍説だ。
 吉宗の息子としては、暗君と言われた家重だが、結構頭は良かったらしい。確か能楽好きという話も伝わっている。能楽はその当時でも古典芸能。源氏や古典の知識がないと楽しめない。それに、脳性麻痺ということは事実らしかったが、側用人は使っても横行を許さなかった。
 賄賂政治で有名な田沼が頭角を現したのは次の家治の時代である。田沼にしても、貶められたのは、次の老中松平定信の陰謀である。大体、彼は名前で損をしているのだ。「田沼」なんて汚いドロドロのところをイメージしてしまう。次の家治にしても、将棋や風流に傾倒したが、政治はちゃんとしていたようだ。
 家治の死は、一橋家の野心が見え見えの将軍交代劇である。いくら医学が発達していない時代とはいえ、首を傾げる事実が多すぎる。暗殺事件と私は個人的に思っている。犯人は田沼ではなく、松平定信。田沼は絶対、家治を殺しはしない。むしろ、一日でも長生きをして子孫繁栄を願っていたはずなのだ。田沼政権がもっと続いていれば、幕末のごたごたで数多の命を失うってことは避けられたのではないか?ただ、残念な事に息子はどうしようもない奴ということは事実だったらしい。孫の代で、田沼家もそこそこに復興している。が、子孫は短命が多いらしい。何とか現代まで続いているようだが……。
 田沼については他の所で触れるから置いておこう。それより家重女性説である。
 事の発端は、徳川の菩提寺、壇上寺。代々将軍の廟堂が、第二次世界大戦の時、空襲で焼けた。戦後廟堂跡地をホテルなどに利用するため、墓の改葬・廟堂の復元を行う必要が出てきた事である。その時に発掘して学術調査した。
 しかし、まだDNA調査などは発達していなかったため、不手際な点が多く、今は改めて火葬して一緒に合祀(多分、一緒にして火葬してしまったのだろう)ということで再調査は事実上不可能となった。残念な事である。
 その際、家重の遺骨も発掘調査されている。家重の血液型はA。完璧主義者に多い血液型である。で、歯の磨耗などから脳性麻痺という事実は裏付けられた。おそらく、当時薬品に使われていた鉛や水銀が、幼い頃過剰に反応したと思われる。それか先天性の脳性麻痺の可能性が高い。問題は、頭骨や骨盤が女性のような形だった事である。
 死因も尿道感染か尿毒症。衛生面の悪い昔、女性に多かった病である。そして、謙信のように更年期に差し掛かる年齢に亡くなっている(謙信は満48。家重も満49)。
 では、仮に女性なら何故、将軍になれたのだろうか?
 吉宗は家重が女性なら「いくら御三家の姫でも嫁の貰い手がない」と心配したのだろう。そこで、幼い頃は頭が良かったから、男性として育てた事も充分推理できる。当時の女性は高貴な姫君でも、お茶・お花など手先を使う習い事が多かった。裁縫も一通り出来なくてはならない。男性としてなら、障害者でも江戸時代は武士として生きていけた。と、言う事は、家治と清水重好は誰の子かと言うことだが、吉宗は、大御所になってからもかなり生きていた。そこで吉宗の子と言う事も考えられる。それか、誰かに頼んで家重に身ごもらせて産ませたか?前者はもちろん老女が口が堅ければ可能。後者は妊娠期間中は大奥に隠れていて時々、儀式の時に顔を出せば可能だろう。少なくとも家治は前者の確率が高い。家重は家治の生母とされる女性と仲が良くなかったと言う事だ。もちろん彼女は正室ではない。女性なら、父親の妾とは、仲が良くなろうはずはない。
 もう一つの要因がある。時代背景が、太平の江戸時代中期。「暴れん坊将軍」と呼ばれた吉宗とて、実際に人を刀で切り殺す事はなかった。あの民放のドラマ、または大河ドラマのチャンバラは脚色だ。確かに武術(とくに弓)は強かったらしいが。
 だからこそ、吉宗と同時代、おそらく同世代である浅野の殿様とて人を切れなかったのだ。彼が実戦向けの武術を習っていたなら、短刀なら吉良上野介の頭を叩くのではなく、胸を刺した方が確実に殺せる事を知っていたはずである。それに、戦国時代なら、吉良邸討ち入りの時、浪士側の死者0と言うこともありえないはずである。最低3人は犠牲者が出たはずである。いかに、当時の武士が、戦闘員ではなく「事務屋」や「サラリーマン」になっていたかと言うことだ。
 だから病弱で武術全くダメ、それに言語障害があっても、政治的手腕に長けていれば将軍になることは可能だった。しかし、女性ならダメである。当時の女性には、しなければいけない仕事が多すぎた。姫君でも、である。お琴、などはもちろん、香合わせにしても香をたくのには火を付けなければならない。今みたいにマッチを擦って、すぐ火がつくわけではない。火種から火を移すのだ。
 歩けるぐらいが関の山。マッチも擦れないつばさ級の脳性麻痺の障害者が、それが出来るわけがない。また、男性の着物に「火のし」を入れて、きちんとしわ伸ばしをするのも武家階級の女性の大切な仕事だった。今のアイロンのようにスイッチをポンと押すだけで温まって簡単にしわ伸ばし出来るものでもない。あのピンとたった裃の肩や袴のひだには、武家社会の女性の誇りと涙がつまっているのだ。そう思うと、時代劇も面白く見られる。
 何度も言うが、吉宗の子ゆえ、家重は障害を持っていても、頭が良かったらしい。まあ、そこそこに大岡忠光ら通訳や祐筆らを使って政務をこなしていた。しかし、何故か「通訳」役の大岡忠光が死ぬと、成長した家治に将軍職を譲って引退している。罷免されたという説があるが、どうも頷けない。老中や側用人は使ったが、綱吉の頃のように彼らに専横を許さなかったという家重だ。それなりにリーダーシップはあったと思う。忠光の死がきっかけだったと思う。
 その翌年、後を追うかのように尿毒症で死んでいるから、大岡とは友情以上の交流だったのだろう。家重が女性なら大岡忠光は「恋人以上夫未満」の関係だったかも……とまあ、勝利するためとはいえ、恋を禁じられ、孤独だっただろう謙信とは違い、救いは持てる。
 話すことが苦手で「通訳」が要った事は、家重の有名なエピソードだが、脳性麻痺の他の要因に、声が高すぎてか細いという弊害もあれば、充分頷ける。私も声が細いので、初対面の人だと「通訳」が要る。ただし英語とイタリア語は別。低い発音の言語だからだ。正しい発音ならという条件付きだが通じた。
 同じ脳性麻痺の疑いのある将軍に、あの「篤姫」の夫である家定がいるが、そっちはちゃんと家臣とは話が出来るのだ。それに、料理という変な趣味がある。馬鹿殿を演じていたという説が有力だが、仮に脳性麻痺にしても、軽度ではなかっただろうか?まあ、家定の時代は周りが名君だし、外国公使らや通訳たちも優秀だったので不明朗な発言でも注意して聞いてくれたということか?
 それに、日光参拝の折に、仮設トイレを沢山作らせたというが、男なら、立ちションという「スーパー芸」ができるはず。それに当時は衣冠束帯のご大層な衣装用に、ちゃんと小便筒とそれを持つ専門の役人がいた。下痢の時以外は、トイレなど必要ない。男性なら膀胱が大きく頻尿ではないはず。逆に言うと、頻尿は女性が多くかかる症状である。(さくらんぼはつぱさよりトイレに行かない)
 第一、頭骨を復元してみたら、壇上寺に眠る徳川将軍の中で一番、美男子だったというのに、肖像画では緊張してか「ひょっとこを皺くちゃにしたような顔」である。それでは、吉宗公も頭を痛めるはずだ。その上、本物の男なら「弟に……」という家臣の忠告にも耳を貸したかもしれない。同じ障害者として、人間として残念でならない。
 結論 こちらもDNA鑑定をしてみなければはっきりした事は解らないが、骨盤や頭骨など物証のパーツや状況判断のネタは幾つもある。むしろ故八切止夫先生が取り上げなかったのが不思議、というやつ。謙信女性説より確実では?と思うのだが……。
 米村圭伍先生、家重の時代、是非是非取り上げて下さい。家重は暗君ではない。むしろ父親の「遺産」を守る親孝行な優等生だった。ただ、障害者にたいする偏見が、彼、もしくは彼女を悲劇に陥れた。と言えよう。私も江戸時代劇を書くなら家重を主人公に書きたいと思う。
 でも、松本清張先生で家重主人公の作品あったよね。あの先生、社会派ミステリーで有名だが、脳性麻痺の人主人公の作品で賞取ったという不思議な人だ。その延長かな?
参考文献等
「ウィキペティア」等

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