第1話 何とイエス教団の名経理役だった?
イスカリオテのユダ

 まずは謝っておく。ここに書くのはとんでも説の極みだからだ。キリスト教徒のみなさま、ごめんなさい。
 今回、書くのはキリストの話ではない。その弟子で裏切ったとされるイスカリオテのユダの話である。彼は定説では貶められているが、実はイエスの存命中に膨れ上がった教団を破産と分裂から救ったかもしれないという説である。
 受け売り情報+私の推理からだが、ユダは当時、キリストの「団体」の経理担当で優れた経理手段を持っていた。キリストが現れて以来、彼を慕ってよってくる弟子志願の人(男性)や救われたいという女性(この時代、不当に差別されていた)がどんどん増えていった。
 彼らは多くは漁師や農民など、教養や統制力がない人々だった。
 その中ではユダは異質な存在だった。名士の息子で、それなりの教養を持っていたという。イエスの予知能力や神についての洞察の深さに感服して弟子になったという。イエスが実は大工の息子ではなく、神官の息子だったことはミステリー編にもふれているが、旧約聖書を諳んじているという教養の深さから、死海文書説が有力視されている。
 ただ、カリスマ性は優れていたが、イエスには経済的な能力に欠けていたらしい。12人の後に殉教したりした弟子たちの他にユダやマリアら女性たちがいたということは、イエスの晩年には少なくとも数百人以上の団体だったかもしれない。これらの人々を率いるには経済的な才能がある者も必要だった。それがユダだったと考えられる。
 当然、ユダヤ王がイエスの「教団」に対して危機感を抱くのも無理はない。そしてユダヤは当時、古代ローマ帝国の傀儡国家だ。そういう不穏な空気は避けたいと考えるだろう。王の思いは当然イエスとかユダにも通じていた。自分がどのような危険な立場か、イエスは知っていた。そう考えておかしくはない。
 更に、集団は巨大化すれば分裂の危機がある。弟子たちの中にもいさかいがあったのだろう。そこでユダは、と言うかイエスは一計を案じた。弟子たちにも教えがある程度浸透した今、自分が消えてしまえば。いさかいも解消されるかもしれないと。折しも教団は巨大化したため財政難。そのままでは将来、教団もたちゆかなくなることはユダとイエスには見えていた。
 そこで、イエスはわざと逮捕されることにした。と私は考える。
 おそらくイエスは一人でも多くの虐げられた人を救おうと無理を重ねて身体は悲鳴を上げていただろう。自分の死が近いことをイエス自身も知っていたと考えられる。
 更に会計や事務的業務を預かる補佐役のユダにしても、もう限界だった。逮捕=死ということは気づいていたのはイエスだけだった。ユダは親族の力でイエスを助け出そうと思っていた。
 最後の晩餐で、「裏切り者がいる」と言ったのはイエスの台本通り。ユダは事前にイエスに命じられてやっただけだ。弟子の一人に「知らない」と言うだろうと言ったのは、彼が分裂の元凶で、イエスを神格化したい派閥だったと見抜いていたと思われる。その後、イエスの真意を悟ったのか?彼は教団をまとめ上げて殉教している。
  しかし、死刑になるとは知らなかったユダは、死刑の知らせを受けてショックを受けた。それでもイエスを助けようと親類の有力者を頼ったが、頼られた者もその場の王の様子や人々の群集心理に負けて助けられなかった。師にすまないと自殺してしまった。それが案外真相かもしれない。そう考えるのは懸賞金の額の低さである。教団を運営していくには当然足りなかっただろう。
 その後の復活については残念ながら説明が付かないが、イエスは実は双子で、弟が身代わりに死んだ……というとんでも説まである。仮死状態だったのが生き返ったとするのが普通だが、死んでから槍を刺しているという。輸血もまだ普及していない時代、失血死だったら甦生は実質的に無理である。。
 では、死んだはずのイエスに会ったというのは嘘だったのかと言うとそうでもない。集団催眠という事例がある。近い例は、聖母マリアの奇跡というもので、みんなで見たという。嘘を言っているわけではなく、イエスが近いうちに倒れて死んだとしたら、復活なんてことは誰も考えない。しかし、処刑という惨たらしい死に方だったし、自分か見ている事しか出来なかったというやましい心があれば集団催眠に掛かってしまうのだろう。多分、イエス逮捕後は、一部の女性たちを除いて、信者たちは自分にも塁が及ばないかと戦々恐々で、身を隠している事しか出来なかったのだろう。
結論 失敗した補佐役の典型的例だ。貶められているし、金のためにイエスを売ったと言う。が、それならなぜ洞察力の鋭いはずのイエスは弟子として迎え入れたのか?それが解せない。あまりに膨れ上がった「教団」の集団としての危険性をイエスは気が付いていた。そこで、どうせ死ぬならと考えたのだろう。ユダからは止められたかもしれないが、それでもイエスは決行させてしまった。
 受け取った金が少額だったという説もあり不明だ。相当厳しい修行をしたそうなので、聖ヨハネから洗礼を受けた際かその前、すでに自分の死期も解っていたようだ。そのため、磔の刑は彼にとっては、教団を一つにする最後のメッセージだったに違いない。皮肉な事に、イエスの処刑がなければ、諸派に分かれてしまったが、世界最大の宗教であるキリスト教は二千年も続かないだろう。
参考文献
ウイキペティア
「沈黙」「悲しみの歌」遠藤周作著
高校時代もらった新約聖書
「ダヴィンチ・コード」
その他

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