5.契約〜解体工事

旧宅さん、さようなら……(T_T)

 いよいよ契約の日になりました。前日から最終打ち合わせの為、はるばる愛知から来てくれたつばさママ、さくらんぼ君の母方の叔父さんと父方の遠縁の伯父さん(本家の伯父さんと呼んでいる。うちは分家のそのまた分家らしい。嫁のつばさにとっては?五十個。さくらんぼは父方に親類はいても疎遠らしい)が先週、及び先々週の挨拶の時に依頼した通りに、S社側のH氏が来る前に集結しました。
 でも、一応、妻ですが、只の同居人であるつばさとしては「何で共同名義にしなきゃならないの?」が納得いかない点でした。たった何分の一、投資するだけです。家の主人はさくらんぼ君です。しかし、「この場合、共同名義にした方が良い」とは母以外のさくらんぼ君の親類の伯父さんたちの意見でした。H氏も「一円でもダメなんです。ましてや何分の一でしょ?税法とか法律の関係で……」とのこと。(母曰く、それでも、主人名義にしている家があるそうな)
 さくらんぼは「とにかく建て直せれぱ良い」という精神で、名義はどうでも良いようすで、さっさと一月までに定期を一部決済用預金にする作業に集中していました。もちろん私もですが、何だか貯金が少なくなるのって心が寒くなりますね。旦那の馬を買う一豊の妻の心境でした。偶然にもその次の年の大河「功名が辻」で主人公が千代でしたが……。(私の本名千代美……とほほですぅ)
 契約は主契約書にはさくらんぼが記載しましたが、その他の項目は殆どつばさが記載していました。解らないうちにいつの間にか署名させられ、何だか「これで良いのかしらん」と不安になりました。あとで契約書をよく読んでみると、契約の後のキャンセルや注文は、特別の場合を除き、違約という事になると書かれていました。契約の前に全ての設計・インテリア(部屋割りから電灯の種類・コンセントの高さまで)・支払の方法まで決めた私達のやり方は正しかったという事になります。
 これは私が会社員時代、システム設計を習った時に、教えられた方法と同じでした。良いシステムを構築するには、ハード面のシステム設計・ソフト面の概要設計・詳細設計さえしっかり、お客様の要求や自分たちの可能な事を話し合っておくこと。プログラム製造に入って「あのハードが足りなかった」では遅い。お客様の要求ミスか私達の説明不足になります。私たちはドライバの調達やソフトの追加開発など仕事のやり直しで予定外の残業を覚悟しなければなりません。お客様の方も、場合によっては追加請求や納入の遅れを覚悟しなければなりません。
 小さな工務店なら結果オーライで思い出してやってくれるかもしれません。しかし、それでも別料金を取られることを覚悟しなければなりません。
 ですが、大会社で家を発注するには、設計までが肝要なのです。前項でつばさが、結果オーライの考え方のつばさママ=お勢津ちゃんを怒鳴りつけて排除したのは、こうした訳です。確かにつばさママは人生経験豊富ですが、今の大会社の論理をまるで知らない。さくらんぼはつばさたちの親子喧嘩にはタッチしませんでしたが、つばさのシステム開発の理論に賛成してくれました。彼自身も製造部門でしたがシステム開発に関わっておりましたから……。ただ、私は、実際にシステム開発はしたことはありません。確かに社内のシステム一本と、運用ソフト一式は作成?しました。が、実際のお客様に提案する物と比べると、子供のおもちゃみたいな物です。
 実際のお客様に提案する物件は、課長(または主任)から平まで数名〜数十名の要員で作成しますが、こちらはたった一人。これじゃ結果は知れたものですね。やめるまで、よく問題なく?作動していたものですわ。(自嘲)
 しかし、会社を辞めてからやっと、会社で習ったことを形を変えて生かせたとは、皮肉なことですね。
 契約署名が終った時点で、確かH氏は上司に報告すると一旦帰り、立会人の伯父さんたちも母も帰りました。その後、現場監督のM氏が「この度御宅の現場を任されました」と挨拶に来られました。機械ばかりの我が家らしく若く優秀そうな方でした。それが序の口と知ったのは、解体などがおわり、家が建ち始めた時でした。何人の人が私達の家を作るのに関わったことでしょう。数え切れません。
 契約が終り、一週間後H氏K氏のコンビが最終確認図面などを持ってきました。無事、上司のゴーサインが出たそうです。で、四人でお寿司をつまみながら話をした事を興味深く覚えています。脱線して、ヤクザの親分の話になったH氏、マジなさくらんぼとまだ若いK氏と怖そうに聞いていました。一方、営業マンと毎日顔つき合わせていた総務出身のつばさは、顧客にパチンコメーカーがいた同期の営業マンいたっけと、懐かしく聞いていました。パチンコ屋とヤーさんは近い関係と聞きました。それとバブル期の総会屋問題。どこの大企業でも、裏社会と背中合わせなんだなと勉強になりました。
 それから二週間余り、引越しまでつばさは戦場のような忙しさでした。ある程度、さくらんぼが準備してくれましたが、ダンボールの山との闘いでした。引越し荷物の箱詰め、その箱を仏壇の部屋と奥の廊下。二階では、六畳のお勢津ちゃんが寝ていた部屋に山積みとなりました。その合間に最初の払い込み。これはつばさが何とか払い込める額でしたので、つばさの決算性預金から払い込みました。で、仏壇はお寺の和尚さんにお願いしてお魂抜きをして頂き、位牌代わりの過去帳は確か奥に入れていただきました。和尚さんも驚き心配してくださって、完成のとき喜んでお祝いのお花をくださいました程です。
 いよいよ引越しの日、あまりの荷物の多さに、覗きに来たH氏も引越し屋さんも呆れ顔でした。いっその事と、倉庫は壊さないから、と重要でない物とそうでないものを分けて倉庫の要らない物を家の周りに出し、使用しないものを倉庫に、仏壇・服など、そうも行かない物を持っていくことにしました。
 その結果、荷物は少なくなり、私たちが寝たりパソコンなど日常生活をする場所を何とか確保することが出来ました。実は設計士のK氏に「仮住まいに移ってもパソコン通信環境だけは確保しておいてください。お願いします」と言われてしまっていたのです。引越し前日に仮住まいに行って絨毯を敷き、私のノートパソコンだけは持っていって無線LANにつなげました。
 こうして、ほぼ無事に引越しを終えましたが、流石に、最後に戻って鍵をかける時、この家ともお別れなんだと思うとつばさは大泣きでした。色々不便なこともあったけれど、ここで主婦を始めたんです。そりゃ別れが悲しくないといえば嘘になります。
 こうして、仮住まいの生活を始めました。しかーし、コンロ、レンジ台はないわ、電話台・テーブルはないという変な状態。慌ててホームセンターに走りまして、簡易コンロ・レンジ台・電話台を買って組み立てました。不器用なつばさにとっては少しきつかったです。(@_@)
 それに簡易コンロは一つ口。掛け持ち調理不可能です。料理苦手なつばさといえ、多少は料理しないと大赤字になります。これには困りました。
 教訓 男の一人暮らしならともかく、二人以上で自炊するなら高くてもコンロは二つ口にすること。もっとも、もう私は二度と仮住まいはしたくないですし、する機会もないと思いますがね。
 解体工事は見ない方がいいと言われましたが、私たちは三回ばかり見に行きました。高橋商事の社長さんが「悪いようにしないよ」と仰ってくださったように、一つずつパーツを外すように若いお兄ちゃんが二人〜四人で作業してました。
 彼らの黙々とした働きに、多分、解体時の騒音も他の家のように大きくなかったと思いたいです。
文 つばさ 監修 信州さくらんぼ
以上

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