4.設計U 本格設計

つばさママ合流 ネオ二世帯住宅
五センチの攻防 こんなもんで マイッカ

 つばさにとって、予想はしていましたが、まさか、という事態が持ち上がりました。つばさママことお勢津ちゃんが目が悪くなり、内職の服修理が出来なくなったという事態です。いつか、と思っていたのですが……。それが現実になってしまいました。高血圧の薬などの副作用が出た段階で、目が悪くなることは予測はついていたのです。もともと、服飾関連の仕事は、私たちIT関連同様に目を酷使します。
 一応、作ってあった母の部屋。当初、予算の関係で、縮小しようと思っていたのです。たまに来るぐらいなら4.5畳でもいいのではと考えていました。しかし、一緒に住むなら6畳以下にならないことになりました。
 と、言うわけで、将来的に母を引き取ることになり、つばさも資金を出すことになってしまいました。姑さん引き取るのなら一銭も出しませんが、自分の親ですものね。嫁に行きましたが跡取りとして責任感じてです。つばさには生まれる二年前、二歳で死んだ姉以外、兄弟いません。実質的な一人っ子です。この時ほど「姉が生きててくれれば……」と悔しく思ったことはありませんでした。
 ただ、資金を出すからには只では転びません。条件を出しました。つばさママとは性格合わないつばさ、逃げ場所として二畳半ほどの家事室兼書斎をさくらんぼとは別に作ることです。後でさくらんぼに名古屋人らしいと言われましたが……。もともと、お勢津ちゃんとの性格が合わないため、距離が離れたさくらんぼをあえて夫に選んだつばさ、正直言って困りました。
 しかし、このタイミングで母の将来の同居が決まってよかったと、今は思います。もし、予算が足らなくて、縮小、縮小で、私達の部屋と客間しか出来なかったら……、お勢津ちゃんは来ても好きなミシンも踏めず、肩身の狭い思いをしたかもしれません。(実際に来たのは完成半年後です)
 普通二世帯住宅は、台所・風呂・トイレを二つ作りますが、つばさとつばさママが実の親子、と言うことで台所・風呂を一つにして、トイレだけを二つにしました。ですから、中途半端な二世帯住宅です。
 ただ、私たち夫婦と将来生まれてくる子供は二階。母と来客・仏間は1階と完全に居住空間を分離しました。ただ、はじめ持って来た設計が母の部屋が少し狭く、ミシンとペッドを置くと一杯でした。対して台所とリビングは広いです。
 で、台所の壁を五センチリビングの方にずらすようお願いしました。返事は50センチとかなら無理だけど5センチなら可能との事でした。
 あまりに母との連絡をしなければならないことばかり、しかも、ミシンの幅やら整理ダンスの大きさやら細かいことばかりでしたので、まだ何も考えていない母は切れて、「何でそんな細かいことばかり聞くのよっ」「だから、今の建築の方式は昔と違って設計が肝心なの」「設計?んなもん適当じゃない?お父さんと大工さんが板に書いてたよ」「昔はそうだったかも知れないけど、今は設計が肝心なの。それで何もかもが決まってくるのよ」と私はとうとう怒鳴りました。母にLANの配線やらコンセントの位置やら言っても?です。コンセントは足りなきゃタコ足というのが常識の前近代的発想の母でした。
 で、とうとう切れたつばさは、設計士のKさんに母の部屋は、押入だけのシンプルな部屋で適当にコンセントをつけて下さいとお願いしました。Kさんは怪訝そうでしたが、同じ年代のお母さんがいる営業のHさんに説明を受けて納得したようです。さくらんぼはKさんに母の事を「ど根性ガエルの世界の住人」と言いましたが、その通りです。(それには笑ってしまいました。笑点なら『山田君〜座布団三枚持ってきて〜』と歌丸師匠の声がしそうです)ただ彼の世代ではピョン吉君を辛うじて知っていたという所でしょう。「ああ、裸電球の世界ですね」とHさん。流石に知ってました。ただ、年上かと思ったHさん、実は案外若く、つばさと同い年でした。(@_@)
 工場見学の前に私は帰省して残った貯金を全部、長野の銀行に移しましたが、母との意見は平行線でした。
 いよいよ工場見学。ただしさくらんぼ、Hさんだけだとつばさが黙ってしまう(未だに男性恐怖症。正確に言うと、健常者の男性が苦手)ので、アシスタントのUさん(女性)も……と頼んでいました。無理なお願いかなとつばさは思いましたが、Hさんは快諾していました。当日はタクシーで松代から長野まで行きましたが、途中で事故が起こり、新幹線の時間に遅れるとはらはらしましたが、運転手さんがど根性でぎりぎりセーフにしてくれました。
 工場は茨城県にありました。巨大なところで、設備もすごいものでした。ただ、私がさくらんぼの中部地区の同系列の会社の話をさくらんぼとしていたら、Uさんが興味津々に「あの……社内結婚?」と聞いてきたので閉口。説明していると一時間かかりそうなので「専門学校の同期生でした」と答えて置きました。同系列のNESとNEXSに就職後、十年経ってメールしだして……なんて言ってるの面倒でしたから……。(笑)さくらんぼ、COBOLがどーの、FORTRANがど〜のとやり始めるので「あんたの話は飛びすぎ。私しかわかんないぞ」と注意。「だって、建築ってよく解らないから……頭整理するために……」だとさ。
 あのさ、あんたの頭の中、一度解剖して見てみたいよ、さくらんぼ君。それに建築用CAD開発していたの誰だっ、と叫びたくなるのを押さえるのに必死だったつばさでした。(自爆)聞いていたお二人は?百個だったと思います。
 帰ってからの調整の結果、色々忙しいお勢津ちゃんはそれでも、契約前日の最終打ち合わせに来てくれることになりました。そのまま立会人として契約に参加することになりました。
 さくらんぼ側は、と申しますと、私と一緒に、親戚にあいさつ回り。何故か私が付き添ってないといけないようで、私はさくらんぼの親戚には黙っていましたが、さくらんぼは資金の面でローンの払い込みを心配する叔父さんたちに、「つばさちゃんが何割出すから大丈夫だよ。それで残高は二人合わせて……で」とばらしてしまいました。「そりゃ大したもんだ」と叔父さんたち。つばさの株か上がったか、下がったか?です。
 で、さくらんぼ側は立会人として本家の伯父さんとさくらんぼママの弟さんが参加することとなりました。
 いよいよ、最終調整の日、長野駅に着いたばかりのお勢津ちゃんに早速、サプライズな事が待ってました。「つばさの元勤務先のようなもの」と言いましたが、実はお勢津ちゃん、つばさの元勤務先に行ったことなかったのです。上司や仲間の顔はつばさの父の葬式の時、来ていたから多分見ていたと思うのですが、自分の娘の働く姿を見た事、ないんだから、始末に終えません。何時までも母の中では私は小さい頃のままなんです。
 S社の長野支店の前で圧倒。会議室に通されて圧倒の様子。しかし、母の部屋のコンセントの高さは母が決めなくてはなりません。Kさんの問いに「これくらい」と壁のメジャーを指す母。他の所や台所の高さ・色はつばさたちとインテリアコーディネータの人が決めていました。
 ただ、一つだけ忘れていた箇所があります。仏間の襖の柄でした。どうしても桔梗にこだわるさくらんぼと、なければ梅でいいというつばさ。結局、お勢津ちゃんが探すことになりました。桔梗の柄がカタログには残念ながらなかったのです。
 蛇足 さくらんぼが印象に残っているのは、ダミーのお風呂でマジに高さはどーの、入りやすさはど〜のと話していたH氏とお勢津ちゃんの場面だそうな。どうって事無い場面とつばさは思うのですが、さくらんぼは未だに、それ思い出して突如笑い出します。
 やっぱりさくらんぼって変な奴と思いました。一度頭の中、どうなっているのか見てみたい……と思うのつばさだけ?
文 つばさ 監修 信州さくらんぼ
以上

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