2.展示場見学〜仮プランニング〜見積依頼

「地元ヤダ」さくらんぼ、わがまま?を言う。
ど素人つばさ、設計図?を描く。とほほな出来
 家を建てるには、まず、私たちの家を建ててくれる建築業者を決めなければなりません。それが第一の難関でした。
 世の中には色々な人がいまして、材料調達して自分で家を建てる器用な方もいらっしゃいます。ところが、私たちは踏み台も満足に作れない日曜大工の腕前です。せいぜい、ホームセンターで調達したパソコン台やワゴンを組み立てるぐらいですな。今回は特に「バリヤフリー」という特殊な条件の家です。素人には無理と言うことは初めから解り切っていました。
 建築業者を決める、と一言で申しましても、その選択を誤ると一生後悔することになりかねません。(姉歯耐震偽装事件やリフォーム詐欺等がそれですね)
 ただ、つばさは、「ここ建ててくれた所に頼めば?」と思いました。しかしさくらんぼは「地元はヤダ」とばっさり切り捨て。そこは地元の中堅の所でした。
 確かに、私たちより上の世代の人には障害者に対する偏見や差別がひどいです。地元なら私たちを知っているから、必要以上に馬鹿にされて、法外な料金を取られた上、手抜きの工事をされるかもしれません。
 意外かもしれませんが、私たち障害者に偏見や差別の目を向けてくるのは、若い世代には、いない事はないですが、それほど多くありません。50代以降、特に戦前〜戦後の初期に教育を受けた方が多いのです。その頃の教育は差別も「悪」とそれほど言われてなかったし、弱い者苛めも生徒のお手本のはずである教師が、率先してやっていたという時代です。(良い例?がつばさの小5〜6の頃の担任、強い苛めっ子を贔屓して弱い私たちは冷遇されていました。今思い出しても怒りでハラワタが煮えくり返ります。私が「学校」に対して憎悪に近い感情があるのはそのためです)差別や虐めが社会問題化するのは、日本が本格的に「先進国」の仲間入りをした昭和50年代後半からでした。おそらく「外圧」からでしょう。その頃小学校教育を受けた人は差別や苛めをそんなにしません。。つまり私たちの世代より少し下からですね。だから、今は、たまに苛め自殺があるとニュースになるのです。昔も苛め自殺はありました。あってももみ消されていたと思います。苛められて死んだ子、浮かばれません。せめて戦後あっただけでも告発して欲しいです。怒。
 地方には特にこの傾向があります。東京・名古屋市のような都会では、それほどなかったんですが、長野市に移って「まだ偏見があるんだな」と感じました。これは、地方の保守・排他的な本能みたいなものですから、仕方がないでしょうが……。自分が障害者になったら、どうなるんでしょう?
 長くなりましたが、あえて書きました。(ここだけは、教師の子供であるさくらんぼの削除司令には絶対従いません。つばさのこだわりです)
 地元の建築企業の経営者は確かに50〜60代以上。もちろん一概に言えませんが、偏見を持つ世代に該当します。さくらんぼの避ける気持ちも解るから私もそれに従いました。
 そこで、展示場に行きました。近くに、小さな展示場がありましたがあえて避けて。車で30分ほど離れた展示場に……。しかし、そこでも……ありましたよ。差別と偏見。まず、私たちだけで親がついてこない(親がいないんですから、こちらは当然)事への不審感。これは?でしたが、休憩場で謎が解けました。六十代の小母さん連中が集まって嫁の悪口やら息子の不熱心やらの話題で花を咲かせていましたから。
 さくらんぼ、妙なところで感心して「今って親の方が熱心?そういう時代なんだ〜」私は呆れ〜でした。そりゃ、親が退職金などで頭金払っても、ローン払うの大抵息子夫婦です。息子夫婦としてみれば、できれば賃貸で済ませて家なんか建てたくないでしょうよ。それに嫁にしてみりゃ、うるさい姑との同居は嫌でしょう。うちは同居するとしてもつばさママことお勢津ちゃんでしたが、それでも嫌でした。
 それと、お金があるように見えない私たちの格好。さくらんぼはいつもの会社でのカジュアル姿で、私はいつものパンタロンとシャツでした。考えてみれば当たり前です。三回に分けて、あわせて4箇所回りました。(一回目は1社。二回目に2社。三回目1社と、前回伺った1社です)
 でも2社だけ、偏見の目で見ない担当者がいた展示場がありました。しかし、1社はさくらんぼが過去ソフトを開発した顧客でしたからアウト。ソフトを開発するにはある程度建築ノウハウを知らなければなりません。さくらんぼはその会社の欠点を知っていました。だから、気が進まなかったのでしょう。さくらんぼは、二回目の見学時、既に、もう1社と決めていたようです。そこがダメなら、建て替えるのはやめて、不要な品だけ捨てるなりしようと考えていたようです。
 母やお客さんが来ても、部屋さえ空ければ泊まれます。
 こんな感じの家がいいな、と、子供用の地図作成ソフトを使い、簡単な図を描きました。さくらんぼにCADで清書を頼むつもりでしたが、「こいつは良い」とさくらんぼ、それをそのままクリヤーフォルダーに挟んで入れてしまいました。
 「だってうちの会社のCADソフト使ったら正体ばれるじゃん?」とは文句言った私へのさくらんぼの答え。そりゃそうだけど……。フリーソフト使う手もあるんだぞ〜。つばさ、お勢津ちゃんと違って絵画センス全くなしの空間音痴。後日、「姉ちゃん」のお勢津ちゃんの通報を受けて飛んできた、元建築業界にいた叔父に、見せろといわれて見せたのですが「使えないな」とばっさりやられました。それは初めから理解はしてましたが……。
 あえてそれをターゲットにした展示場のS社の女性営業アシスタント、Uさんと、偶然居合わせた営業(当時係長、その後課長に昇格)のH氏に見せたさくらんぼでしたが、お二人とも冷静に私たちの話を聞いて下さいました。Uさんと私はその後親しくなり、今でもお付き合いが続いていますが、後で聞いたところ、私たちの家を建てる事が出来る営業さんはH氏しかいないと直感したそうな。その眼力、すごすぎる〜。(@_@)
 その翌日、私がまさか来ないと昼寝していたとき、H氏が来ました。慌てて、起きて家の内外を案内して、彼に自分がメル友に会った時用に作った名刺を渡しました。私たちの場合、電話より、メールの方が意思伝達に向いていると思ったからです。幸運なことに、S社も大会社ゆえ、私がいたNECグループ同様、メールシステムが発達していました。
 以来、主に私とH係長とのメールのやり取り(もちろんさくらんぼといちいち相談してのことですが)や彼がさくらんぼ在宅の時、来て下さったりして、見積もりもプランニングもまあ、スムーズに行きました。初めはさくらんぼが寝ている午前にH氏が来てしまって、さくらんぼが不機嫌で爆発しかけたことがありましたが……。次からは私がお願いして、ミーティング?を午後にしてもらいました。
 最後はオフィスで、設計士さんを紹介されてミーティング。で、私は細かいところは設計士のK氏に直接お願いするようになってしまいました。オフィスは私が勤務していた社に近い雰囲気だったので、むしろ懐かしく感じましたが、一般の方は引くかもしれませんね。現に、威圧感に圧倒された表情のお客様が多かったです。
文 つばさ 監修 信州さくらんぼ
以上

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