太 宰 府 市

【大宰府政庁周辺から水城へ】


  不丁(ふちょう)     
太宰府の役所の範囲にあったので、不丁は府庁ではないかと言われている。


  水城(みずき)     
663年日本は唐・新羅と戦争し白村江(はくすきのえ)の戦いに敗れた。太宰府を守るために築かれたのが水城の土塁である。
日本書紀や万葉集にも水城という地名が出てくる。


  矢倉の丘(やくらのおか) 
武器を収める矢倉(蔵)か、あるいは見張りの櫓(やぐら)があったところかも知れない。

  父子嶋  (ててこじま) 
水城の土塁を作る盛土作業のため、多くの農民達が働いた。大里(現在の下大利)に住む父子が、モッコをかつい
で土を運んでいたところ、「土塁ができあがったぞー」と叫ぶ声を聞き、力が抜けてしまって、かついでいた土を放り出した。
それがちょうど土まんじゅうのように盛り上がった。そこでここを父子嶋と呼ぶようになった。

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